levante2019の旅日記

YAHOOブログの終了に伴い、引っ越してきました。 アメリカ3年、ドイツ3年の駐在を終え、2019年3月に帰国しました。 自転車やウォーキングなどを中心に日々の活動を紹介しています。

軍事博物館、他

令和2年 降下訓練始めに行って来ました

2020年1月12日、第1空挺団の降下訓練始めを見学してきました。
って、ほぼ2か月前の話題を今頃アップしますが。。。

第1空挺師団は、2004年に特殊作戦群が出来るまでは、陸上自衛隊唯一の空挺部隊であり、自衛隊最精鋭部隊の一つです。叔父が所属していた事もあり、子供の頃から憧れた部隊です。

空挺と言えば、第1空挺団に始まり、映画「遠すぎた橋」で米軍の第82空挺師団に憧れ、名作ドラマ「バンド・オブ・ブラーザーズ」での米軍の第101空挺師団と、ハマりまくっている兵種です。

航空祭で分遣隊の降下は、何度か見た事がありましたが、本拠地の習志野での降下訓練は楽しみでした。


IMG_2547
新京成線の習志野駅で降りて南東に歩くと、第1空挺団の駐屯する習志野駐屯所がありますが、今回の降下訓練は、更に国道296号線沿いを東に歩いた所にある習志野演習場で行われます。


IMG_2549
こちらが習志野演習場の入り口。
到着した時間は9:20でした。


IMG_2557
門を入ってすぐに、今回の訓練に参加するCH-47J チヌークやAH-1 コブラが駐機されており、気分が盛り上がります。

しかし、ここから演習場までが遠い!
約2kmありますが、途中は特に見るものも無く、ただ歩くだけ。
送迎バスもありましたが、待っているより歩いた方が早かったです。


IMG_2568
約30分歩いて、約30分ほど売店を物色した後、10:30に見学場所に行きました。
広い演習場を見渡せるよう、長い土手が築かれており、土手の上から見学します。
私が土手を上った時は、すでに観客でいっぱいでした。

それにしても、この日は寒かった!
家を出る前は、せっかくの機会なので第二次世界大戦の米軍の空挺ジャケットで出かけようと考えましたが、結局一番厚いダウンを着て出かけました。
空挺ジャケットで来てたら、バストーニュの経験が再現されたはず。(笑)


IMG_2577
11:00に降下訓練が始まりました。
まずは降下誘導員が単身、チヌークから降下します。


IMG_2607
続いて、指揮官によるデモ降下が行われました。
第1空挺団や米軍の指揮官達による降下が行われました。
なお、今回の訓練には米国のアラスカ陸軍や沖縄に駐留する第1殊部隊群、更には第82空挺師団!も参加しました。


IMG_2642
第1空挺団の降下。


IMG_2648
この人は倒れることなく着地しました。
すごい!


IMG_2654
米軍のパラシュートは四角い形。


IMG_2681
河野太郎防衛大臣が観閲のためにチヌークから降りてきて、貴賓客用の丘に登ります。


IMG_2710
現地偵察のために海上自衛隊のP3Cが飛来。
高価な対潜哨戒機が偵察に来るんだ。


IMG_2734
陸上自衛隊のLR-2ハヤブサも偵察に飛来しました。

この後、海岸からの艦砲射撃(そのつもりの爆発)が行われました。


IMG_2746
チヌークから一団が降下しました。
パラグライダー式の落下傘で隊列を組んで、貴賓席上を降下しました。


IMG_2758
本隊による降下が始まりました。
先兵は、C130Jから降下する米空挺部隊の面々。


IMG_2810
そしていよいよ第1空挺団の降下です!
C130H、C1、C2輸送機が次々と飛来し、次々と兵員がジャンプしていきます。


IMG_2802
おーっ!空挺三昧!!!


IMG_2937
次から次へと降下が続き、壮観です!
「遠すぎた橋」や「バンド・オブ・ブラザース」の現実版を見るようで、ひたすら感動~!
来て良かった!!!


IMG_2944
AH-1コブラが飛来し、降下部隊を掩護します。
コブラに見とれていたら、後方からヘリコプター音がしたので振り向いたところ、


IMG_2957
ギリ―スーツを着込んだスナイパーを乗せたUH-1イロコイが目の前を飛び去りました!
コブラに気を取られていた私にとって、不意打ちの登場で、逆毛が立つほど感動しました!


IMG_2973
ヘリは着地せず、スナイパーは飛び降りると同時に散会し、敵のいる右側の丘に向かって進撃します。


IMG_2987
オートバイ乗車の偵察兵もチヌークで到着しました。


IMG_3002
更に増援がチヌークからファストロープで降下します。


IMG_3025
コブラも二機参加。
小倉駐屯地では単機のデモでしたが、やはり規模が違います。


IMG_3034
更に更に、増援がイロコイからリペリングで降下します。


IMG_3049
空挺特科大隊の120mm迫撃砲が空輸されてきました。


IMG_3064
砲撃陣地を構築します。
カモフラージュネットや測距装置もチヌークで運ばれていました。


IMG_3074
すると海岸に上陸した(想定の)水陸両用兵員輸送車AAV7が進出してきました。
空挺部隊の待ちわびた増援部隊の到着です。

AAV7は、今回初めて見ました。


IMG_3080
16式機動戦闘車も到着。


IMG_3098
そして真打登場、最新鋭の10式戦車の登場です!
今回始めて見ましたが、、恰好いい~!!!
小倉の狭い駐屯地と違い、全速で突撃する戦車は大迫力です。


IMG_3106
更に、90式戦車も登場!
この戦車も、今回初めて見ました。
(機動戦闘車にピントが合っていますが。。。)


IMG_3109
全軍突撃!!!
空挺部隊の横を抜け、戦車が敵支配地域に進攻します。


IMG_3126
そして、M270 MLRS(中央)や03式中距離地対空誘導弾(写真右で一部見えている車両)などの支援車両も進出してきました。


IMG_3138
そうして、状況終わり!
今回訓練に参加した空挺部隊に対する、防衛大臣を始めとする恒例のお偉いさんの訓示がありますが、そんなことはどうでもよいいです。(笑)
これほど多くの兵員が降下したのですね!
なお、左に整列した米軍部隊は赤いベレー帽をかぶっていました。
英軍のようです。(笑)


IMG_3140
閲兵式では、ヘリも整列。
イロコイが並んで飛ぶ光景は、まるで「地獄の黙示録」のようです。


IMG_3189
訓練を終え、戻って来た部隊。
戦車に歩兵が随伴して、ジオラマの世界のようです。


IMG_3219
自走する、155mmりゅう弾砲 FH70。
小倉駐屯地では、自走シーンを見過ごしたため、初見となります。


IMG_3223
そして、我らが(笑)74式戦車が帰って来ました。
今回の訓練では敵部隊役として、貴賓席の丘の向こう側に展開していたので、この日は初めて見ました。
10式も90式も良い戦車ですが、おじさんには、傾斜砲塔が美しいこの戦車が最高です!!!


IMG_3241
訓練から戻った車両が一般公開のために整列しました。
74式戦車から16式機動戦闘車まで、陸自の主力戦闘車両が勢ぞろい。
九州じゃ見れない光景です!


IMG_3261
堤防の上から見学できるので展示車両が一望できます。


IMG_3252
戦車の上部構造も良く見えます。


IMG_3284
続いて下に降りて、車両の見学をしました。
10式戦車は模型や写真でしか見たことが無かったですが、砲塔が複雑な形状していますね。


IMG_3283
恰好良いですが、ちょっとずんぐり。
砲塔も大きく見た目90式より重そうに見えますが、実際は90式より6tも軽い戦車です。


IMG_3275
90式も初めて見ました。
レオパルド2のコピー戦車のイメージでしたが、レオちゃんよりはコンパクトに見えます。
(レオパルド2は大好きな戦車なので、90式も好きです!)


IMG_3269
力強い横からの姿。


IMG_3360
そして、74式!!!
低い車体と、被弾経始に優れた砲塔と、戦車の美しさを体現しています。


IMG_3350
正面からのイケメン比べ。
最初は10式戦車です。
恰好よいです!
複雑かつ意外と大きい砲塔が特徴です。


IMG_3343
思ったより小顔の美男子だった90式。
レオパルド2同様、ドイツのタイガー1型戦車のような角ばった顔が素敵です。


IMG_3355
そして、美しいーーー!としか言いようのない74式戦車です。
老朽化が進んでいますが、生涯現役を貫いて欲しいものです。


IMG_3293
最後は、AAV7。
米国の海兵隊でも使用されている水陸両用兵員輸送車で、長崎に駐屯する水陸機動団から来たようです。
これも今回初めて見た車両。
海兵隊が使っていることから、優秀な兵員輸送車なのでしょうが、車高が高く、箱々してて、私の好みではありません。(笑)

他にも96式多目的誘導弾システム、96式装輪装甲車、87式偵察警戒車、軽装甲機動車、93式近距離地対空誘導弾、93式近距離地対空誘導弾等が展示されていました。


IMG_3339
戦車等の轍の残る展示会場。
いかにも演習場って雰囲気です。


IMG_3363
状況(訓練)が終わって、屯所に戻る空挺兵。
今晩、飲みに行く話でもしているのでしょうか?(笑)


IMG_3366
演習場の横の駐機場には、支援部隊のトラッククレーンやトラックが駐車していました。


IMG_3367
ドリル車もいました。
空挺部隊が工事車両まで持って、ほんと、軍(自衛隊)って自給自足体制が徹底しているのですね。

これで今回の見学は終了。
この後、入場した門まで歩いて行き、15時に演習場を後にしました。

今回、あこがれの習志野の演習場に来ましたが、降下訓練始めに来て良かった!、迫力あった!!、感動!!!三昧でした。
九州の基地祭とは規模と迫力が違いますね。
来年も来たいなぁ~!


IMG_3370
帰りに見た、空挺団の駐屯地に立つ、落下傘の降下訓令設備の塔。

カラヒー!(笑)

終わり。

小倉駐屯地創立63周年記念祭(2019年)

2019年11月23日(土)小倉駐屯地の創立記念祭に行ってきました。

月曜の北九州での仕事のため、金曜の夜から実家に帰り、小倉駐屯地の記念祭に行きました。
この駐屯地には、現在陸上自衛隊第4師団隷下の第40普通科連隊が駐屯しており、子供の頃から何度も来ていますが、約10年ぶりの見学で楽しみでした。
更に、この数年で私の自衛隊愛も、大いに増しているので。(笑)


DSC_8153
開所の9:00に駐屯地に到着。
正門からの景色は、昔と変わらない気がします。
ただし上の写真は、日の当たりの良くなった帰り(13:30頃)のもの。


DSC_8144
入場門を入って、最初に迎えてくれるのは常設の兵器展示。
最初に紹介するのは私の大好きな74式戦車です。
74式の後、90式、10式と続き、既に3世代前の戦車ですが、住宅地や山地が多い日本の防衛では、接近戦闘が増えるので、攻撃力や防御力が劣る74式でも、未だに有効な戦車だと思います。(最新の10式は走攻守そろって優秀な戦車のようですが。)
何より、74式は美しい!(笑)

<74式戦車 諸元>
全長: 9,410mm
全幅: 3,180mm
全高: 2,250mm(標準姿勢)
重量: 38t
主砲: 51口径105mmライフル砲
副武装: 74式車載7.62mm機関銃
12.7mm重機関銃M2
乗員: 4名


DSC_8150
続いて、61式戦車です。
私が軍事に興味を持った頃には、古臭さを感じていましたが、戦後の国産第一号のこの戦車は、今見ると恰好良いです。

<61式戦車 諸元>
全長: 8,190mm
全幅: 2,950mm
全高: 2,490mm
重量: 35t
主砲: 61式52口径90mmライフル砲
副武装: 7.62mm機関銃M1919A4
12.7mm重機関銃M2
乗員: 4名


DSC_8148
OH-6Dヘリコプター。
ヒューズ・ヘリコプターズ社が開発した小型ヘリコプターで、偵察や指揮任務に使われています。


DSC_7721
駐屯地はすでに開場していますが、内部は今だ準備中でした。
渡河用のボートも黄色のロープで囲われていましたが、午後に来たらロープは無くなり、子供たちが中で遊んでいました。


DSC_7723
展示準備中の隊員たち?
記念祭のマップでは装備の展示となっていましたが、まだ準備が出来ていませんでした。
後から来たら、災害救助の装備が展示されていました。


DSC_7724
資材運搬車。
民間向けの不整地運搬車を陸上自衛隊仕様にして採用し、普通科、特科、施設科と部隊全般に使われています。


DSC_7731
09:10頃には、見るものも無くなったので、資料館に来ました。
なお、館前のモミジは紅葉真っ盛りでした。

小倉駐屯地は旧陸軍の歩兵第14連隊が駐屯していました。
第14連隊は 1875年(明治8年)に設立され、明治初期の争乱、秋月の乱、萩の乱、西南戦争に従軍しました。その後も日清戦争や日露戦争、第二次世界大戦を歴戦し、資料館にはその戦歴や、現在駐屯している第40歩兵連隊の歴史を紹介していました。


DSC_7750-1
歩兵第14連隊から乃木、杉山将軍が出た事から資料館の前には両名の像が立っていました。
賛否両論はあっても乃木将軍は有名ですが、杉山将軍って誰???
ググって見ると、太平洋戦争開戦時の参謀総長だった杉山元将軍の事でしたが、戦歴ははかばかしく無いですね。小倉出身なのですが、残念。


DSC_7752
隊舎の前に1/2tトラックが駐車されていました。


DSC_7754
横にいた隊員に聞くと、なんと連隊長車でした。
乗り降りの利便性のために助手席が外されています。


DSC_7766
観閲式を待つ隊員たち。


DSC_7777
陸上自衛隊の主力小銃である89式小銃です。
先日、東京マルイのガスガンを購入し、今回一番関心が強かった小銃ですが、今回一般展示は無く、隊員が地面に置いた際に撮影。
使い込まれており、掴む部分(ハンドガード先端や銃口等)が白くなっています。

それにしても、今回実銃を持ってみたかったな。

DSC_7774
観閲パレードを待つ車両群。
手前の三台は第40普通科連隊の第2普通科中隊の所属車両で、後方の3台は第3普通科中隊の所属。


DSC_7770
同じく観閲パレードを待つ第1普通科中隊の車両群と隊員たち。

ちなみに車の奥の建物は小倉駐屯地の厚生棟で、この日も売店は開いていたので、私も色々買いこみました。


DSC_7793
厚生棟で物色している間に、観閲式が始まっていました。(笑)


DSC_7806
観閲式の後は、観閲パレードです。
この日に集結した車両が順次観閲台の前を通り過ぎます。


DSC_7898
続く模擬戦闘訓練展示のために敵対部隊が準備を始めました。
陸上自衛隊の制服は迷彩柄に統一されていますが、敵対部隊はOD色のもの。
キャリアプレート等の装備も一般装備と異なっています。


DSC_7902
観閲パレードの後もグラウンドで演奏をしていた音楽隊も戻って来ました。


DSC_7914
模擬戦闘訓練の最初はOH-6ヘリコプターによる敵地偵察です。

模擬戦闘訓練は11:50からの予定でしたが、前倒しで11:20に始まりました。


DSC_7918
続いて、バイクによる偵察です。
でも、敵前で派手なジャンプをしたり。。。


DSC_7922
銃を撃ちまくったり。。。
まあ、技能の展示を行っているだけなので、シナリオにケチをつけるのも大人気ないですが。
実際、周りの観客は彼らの技能に感嘆していました。


DSC_7930
続いて87式偵察警戒車が侵入してきました。
バイクによる偵察では敵を発見できず、威力偵察を行っているのでしょうか。


DSC_7946
敵の位置を確認したので、特化(砲兵)部隊が制圧射撃を行います。
155mm榴弾砲(FH70)、120mm迫撃砲、81mm迫撃砲が展開します。


DSC_7976
発射!
155mmの発射音は腹に響きます!!!


DSC_7952
向かいの建物からはスナイパーによる射撃も行われました。
また、この少し前、敵地後方の建物にヘリボーンしたレンジャーが、敵の迫撃砲を破壊し、確実に敵兵力を削いでいました。


DSC_7979
いよいよ主力部隊による攻勢です。
まずは、16式機動戦闘車による攻撃です。
本来平地での攻勢は戦車の役割だと思いますが、兵力が不足しているのでしょう。(笑)
もちろん、本当は小倉駐屯地で初めての展示となる、最新式装備の16式機動戦闘車のデモンストレーションですが。

ちなみに目の前に控えている隊員が、155mm砲や105mm砲の発射の際には、注意の看板を掲げてくれました。


DSC_7995
16式機動戦闘車の主砲発射シーン。
105mm砲の発砲音は、155mm砲と比べるとマイルドでした。


DSC_8012
16式機動戦闘車の後ろからは、軽装甲機動車と下車した歩兵が射撃しています。
彼らの援護射撃の間に、先遣部隊が敵陣地の鉄条網を破壊しました。


DSC_8013
空からはUH-1も支援しています。


DSC_8032
そして、最後は普通科(歩兵)による突撃です。
例え強力な戦車部隊が敵陣地を蹂躙しても、陣地を制圧するのは今でも歩兵の仕事です。
この日も普通科部隊が敵陣地を占領して、状況終わり!


DSC_8047
模擬訓練に参加した兵士が戻って来ました。
完全武装と、フェイスペイントがりりしいですね。

模擬戦闘訓練の後は、兵器の静態展示です。


DSC_8050
高機動車は、陸上自衛隊で広く使われており、普通科部隊の小銃小隊1個班(10名)を輸送できます。
また、この車両をベースに色々な派生車両が作られています。
写真の車両は、第40普通科連隊 第3普通科中隊の車両。

<高機動車 諸元>
全長: 4,910mm
全幅: 2,150mm
全高: 2,240mm
重量: 2.64t
乗員数: 10名


DSC_8052
1/2tトラック。
第二次世界大戦で活躍したジープをベースに73式小型トラックが作られましたが、1996年からパジェロをベースにモデルチェンジ。ただし、新型装備ではなく、あくまでも旧型車両の更新であるため、「73式」の呼称が引き継がれ、制式名称は「73式小型トラック」のままでした。
ただし、平成13年度納車分から1/2tトラックに改名されました。
写真の車両は、第40普通科連隊本部所属。

<1/2tトラック 諸元>
全長: 4,140mm
全幅: 1,765mm
全高: 1,970mm
重量: 1.94t
積載量: 440kg
乗員数: 6名


DSC_8055
普通科隊員の防御力を向上させるために開発された軽装甲機動車。
普段の足にも使われるそうですが、大きすぎて不評とか。
まあ、町中を走るのは1/2tトラック(パジェロ)の方が良いですよね。
写真の車両は、第40普通科連隊本部所属。

<軽装甲機動車 諸元>
全長: 4,400mm
全幅: 2,040mm
全高: 1,850mm
重量: 4.5t
乗員数: 4名


DSC_7771
82式指揮通信車。
日本において第二次世界大戦後、初めて実用化された装輪装甲車で、主に師団司令部や普通科連隊本部、特科連隊本部などに1983年から配備されています。
また、この車両をベースに、87式偵察警戒車や化学防護車が開発されました。

<82式指揮通信車 諸元>
全長: 5,720mm
全幅: 2,480mm
全高: 2,380mm
重量: 13.6t
乗員数: 8名
主武装: 12.7mm重機関銃M2
副武装: 62式7.62mm機関銃
5.56mm機関銃MINIMI


DSC_8064
建物の横では先ほどのスナイパーが電話していました。
任務終了を上官(彼女)にでも報告しているのでしょうか?


DSC_8074
16式機動戦闘車は、74式戦車と同じ52口径105mmライフル砲を持つ戦闘車両です。
防御力や戦場機動力は戦車に劣るものの、空輸性能や路上走行力を生かした素早い展開が可能で、歩兵の支援には有効だと思われます。
この車両は、福岡駐屯地に駐屯する第4師団第4偵察戦闘大隊の戦闘中隊の所属。
この戦闘中隊は、2019年3月に10式戦車と74式戦車を装備した第4戦車大隊第一戦車中隊から、改編されました。

<16式機動戦闘車 諸元>
全長: 8,650mm
全幅: 2,980mm
全高: 2,870mm
重量: 26t
乗員数: 4名
主武装: 52口径105mmライフル砲
副武装: 12.7mm重機関銃M2
74式車載7.62mm機関銃


DSC_8086
87式偵察警戒車は、82式指揮通信車をベースに偵察用に開発されました。
基本は偵察目的の車ですが、25mm機関砲を装備しており、歩兵の支援にも使えます。
展示されていたのは、第4偵察戦闘大隊の偵察中隊の所属です。

<87式偵察警戒車 諸元>
全長: 5,990mm
全幅: 2,480mm
全高: 2,800mm
重量: 15t
乗員数: 5名
主武装: 25mm機関砲
副武装: 74式車載7.62mm機関銃


DSC_8117
NBC偵察車は、NBC(核・生物・化学)兵器による汚染地域を偵察し、搭載した観測・分析機材により必要な情報を収集します。
この車は、制式化されていないため、○○式という名称は付けられていないそうです。
第4師団の第4特殊武器防護隊所属。

<NBC偵察車 諸元>
全長: 8,000mm
全幅: 2,500mm
全高: 3,200mm
重量: 19.6t
主武装: 12.7mm重機関銃M2


DSC_8092
155mm榴弾砲(FH70)は、西ドイツ、イギリス、イタリアの3ヶ国が共同開発しました。
基本的には牽引式の榴弾砲ですが、スバル製水平対向エンジン(1,800cc)の補助動力を持ち、短距離であれば16km/hで移動できます。
自衛隊では砲兵を特化部隊と呼びますが、これまで師団に配置されていた特化連隊を、2019年3月に西部方面総監直轄の西部方面特科隊に集約しました。
この砲は、久留米駐屯地の西部方面特科連隊 第2大隊 第4射撃中隊の所属です。

<155mm榴弾砲(FH70) 諸元>
口径: 155mm
砲身長: 6,022mm
重量: 9,600kg
発射速度:6発/分
最大射程:24,000m(通常弾)


DSC_8099
120mm迫撃砲 RTは、フランス・トムソン-ブラーント社が開発した迫撃砲で、フランス陸軍の他、アメリカ海兵隊と陸上自衛隊で採用されています。
大口径の迫撃砲で従来の軽榴弾砲に匹敵する射程を持っています。
迫撃砲は歩兵部隊を直協支援する火器であることから、本砲は特科連隊ではなく、第40普通科連隊の重迫撃砲中隊に配備されています。

<120mm迫撃砲 RT 諸元>
口径:   120 mm
砲身長: 2,080mm
重量:   約600kg
発射速度:15~20発/分
最大射程:8,100m


DSC_8100
81mm 迫撃砲L16 はイギリスで開発された迫撃砲で、イギリス陸軍ほか各国で採用されています。
軽量なこの迫撃砲は、普通科中隊の迫撃砲小隊に配備され、歩兵部隊に随伴して火力支援を行います。

<81mm 迫撃砲L16 諸元>
口径:   81mm
砲身長: 1,280mm
重量:   約38kg
発射速度:30発/分
最大射程:5,600m


DSC_8079
92式浮橋。
従来の70式自走浮橋では、重量が50tの90式戦車が通過できない事から開発されました。
橋は橋間橋節、橋端橋節、動力ボート、道路マット、道路マット敷設装置から構成され、写真の車両は橋節を運搬しています。水面に浮かぶ橋節を連結する事で、幅員4m、最大全長104mの浮橋を作ることができます。

この車両は、福岡県小郡市に駐屯する、西部方面隊隷下の第5施設団 第103施設機材隊 架橋中隊の所属です。


DSC_8106
07式機動支援橋。
従来の81式自走架柱橋では90式戦車などの装備に対応できないため、07式機動支援橋が開発されました。って、90式戦車、重すぎです。
架設車1両、ビーム運搬車1両、橋節運搬車4両、支持装置や補強リンクなどの付属品で一式が構成され、展示されていたのは74式特大型トラックで運搬される橋節部分です。
この設備を使い、幅員4.2m、最大橋梁長60mの橋を架けることができます。

この車両は、長崎県の大村市に駐屯する第4施設大隊の所属です。

<橋節運搬車 諸元>
全長: 11,000mm
全幅: 3,000mm
全高: 3,700mm
全備重量:25t
乗員: 3名


DSC_8109
94式水際地雷敷設装置は、陸上自衛隊が保有している水際地雷の敷設装置で、敷設装置と装置を搭載する水陸両用車(写真)により構成されます。
地雷の敷設になぜ水陸両用車が必要なのか不思議で、敷設するのは地雷なのか機雷なのか、隊員に聞いてみましたが、機密事項との事。

この車両(舟艇?)は、福岡県小郡市に駐屯する西部方面隊隷下の第5施設団 第303水際障害中隊に所属しています。

<94式水際地雷敷設装置 諸元>
全長: 11,800mm
全幅: 2,800mm(陸上姿勢)
全幅: 4,000mm(水上姿勢)
全高: 3,500mm
重量: 16t
乗員数: 3名


DSC_8082
93式近距離地対空誘導弾。
高機動車をベースに、車体後部の荷台に91式携帯地対空誘導弾(SAM-2)の4連装発射装置2基を搭載した車両。

福岡県久留米市に駐屯する、第4師団隷下の第4高射特科大隊 第1高射中隊の所属です。

<93式近距離地対空誘導弾 諸元>
全長: 約4,900mm
全幅: 約2,100mm
主武装: SAM-2 4連装発射機2基


DSC_8114
航空自衛隊から出展のペトリオット・システム発射機。
この舞台は、福岡県の芦屋基地から来たそうです。

<ペトリオット・システム発射機 諸元>
全長: 15,650mm
全幅: 2,900mm
全高: 3,970mm
重量: 32.9t
主武装: PAC-3 4連装発射機2基


DSC_8122
OH-6Dは、アメリカ合衆国の航空機メーカー、ヒューズ・ヘリコプターズ社が開発した小型ヘリコプターで偵察や指揮の用途で使われています。

佐賀県の目達原駐屯地に駐屯する、第4師団隷下の第4飛行隊の所属と思われます。

<OH-6D 諸元>
全長: 7,230mm(胴体)
全副: 2,060mm(スキッド)
全高: 2,730mm
全備重量:約1.4t
乗員: 4名


DSC_8126
UH-1Jは、アメリカ合衆国のベル・エアクラフト社が開発した兵員輸送用のヘリコプターで、ベトナム戦争以来、世界中で活躍しています。
UH-1Jは貨物で1,800kg、兵員で11名を搭載できます。

この機も、第4飛行隊の所属と思われます。

<UH-1J 諸元>
全長: 12,720mm(胴体)
全副: 2,840mm(スキッド)
全高: 3,970mm
全備重量:約4.7t
乗員: 13名


駐屯地の一般開放は15時までですが、この後は特に演目も無く、装備の見学や、車両の乗車体験を楽しむだけ。展示車両の見学も終わったので13:30に駐屯地を後にしました。


DSC_8146
最後に、74式戦車の雄姿を再度紹介します(^_^)v

約10年ぶりの小倉駐屯地の見学でしたが、装備が大きく変更されており、楽しかったです。
昔は、戦車とジープが中心だったですが、機動戦闘車、偵察警戒車、指揮通信車や軽装甲機動車と自動車化、装甲化が進み、機動力が増していると思います。専守防衛をうたう自衛隊としては正しい方向に進んでいる気がします。


DSC_8154-1
最後に、駐屯地の厚生棟で買ったものの紹介です。
Tシャツなど、迷彩柄の品物を色々購入しましたが、ここで紹介するのは玉子せんべい。
小倉駐屯地の名前が入っていたので、家族のお土産に購入しましたが、生産地は神奈川県。
せんべいの図柄も10式戦車、チヌーク、99式自走榴弾砲、空挺部隊と、小倉駐屯地とも第4師団とも関係の無いものばかり(^_^;
包装紙だけ変えて、日本中の駐屯地で販売しているのでしょうね。

終わり

2019年 入間航空祭

2019年11月3日に航空自衛隊の入間基地の航空祭に行って来ました。
福岡在住の頃は、芦屋や築城の航空祭によく行っていましたが、都会の航空祭は何か違いがあるでしょうか?


IMG_1086
開場直後の9:00に西武鉄道の稲荷山公園駅に到着しましたが、すでに多くの来場者が集まっていました。
なお、基地の真横にある稲荷山公園駅には基地に直接抜ける臨時の改札口が設けられアクセスは非常に便利でした。


IMG_1089
基地内のメインストリートも来場者でいっぱいです。


IMG_1094
開場直後にも関わらず、メインストリートに近い出店の周りも人だかりで近づけませんでした。
なお、基地の奥の出店は、この時間はまだ空いていました。


IMG_1097
滑走路には様々な飛行機が展示されていますが、何しろ人が多く、近づけません。
写真はF4E-Jですが、頭の上からの撮影です。


IMG_1101
上空には、YS-11FCが飛んでいました。
この機は航空保安無線施設の機能の状態を点検する目的で、昭和45年度に配備されたそうで、約50年間現役を続けているそうです。


IMG_1110
日本の主力戦闘機、F-15Jイーグルです。
この機も配備開始から30年以上過ぎているそうです。
私にとっては最新鋭のイメージですが、私も歳をとりました(笑)。


IMG_1116
F-2戦闘機です。
支援戦闘機のF-1の後継機として開発されましたが、戦闘機としての役割も担っています。
まあ、ベースが米空軍の戦闘機、F-16ですからね。

なお、F-2は築城基地に配備されており、築城の航空祭では対地支援のデモがありますが、入間では戦闘機のデモは一切無く、ちょっと寂しかったです。

IMG_1140
地上展示を見学中(人だかりで直接は見えませんが)、C-1輸送機が飛び立ちました。


IMG_1169
ここから、しばらくヘリコプターのデモフライトが続きます。
写真はCH-47Jチヌークが空中消火のデモを行っています。


IMG_1191
空中消火の後は、チヌークの機動性を示すために8の字飛行を行いました。


IMG_1220
UH60Jの救難救助デモに先立ち、救難部隊の救難捜索機U-125Aが遭難現場の捜索を行います。


IMG_1236
U-125Aが遭難者を発見後、UH60Jが現場に到着しました。
現場到着後、UH60Jより救難隊員2名がラッペリングで現場に降下しました。

なお、このUH60Jには空中給油用の長いプローブが付いています。


IMG_1243
先に降下した隊員が負傷者と共にヘリに収容されます。


IMG_1253
その後、もう一人の隊員もヘリに収容されました。


IMG_1262
T-4が飛び立ちました。
演目では、空挺降下の後がT-4の展示飛行の予定でしたが、予定が変わったようで、T-4の飛行デモが先に行われました。


IMG_1326
T-4の飛行の後、先ほど飛び立ったC-1の編隊が会場上空をフライパスしました。


IMG_1340
C-1が単機、滑走路上空に侵入し、空挺隊員1名が降下しました。
通常は本体の降下前の誘導員として降下するんでしょうが、このデモでは誘導員がすでに地上にいる設定だったので、彼の役割は何?


IMG_1346
まあ、細かい事は抜きにして、降下を楽しみましょう。
でも、実戦では対空砲火の中に飛び出す可能性も多く、こんなに順調にも行かないのでしょうが。


IMG_1368
いよいよ本隊の降下です。
地上誘導員の指示も放送で流れ、臨場感を増やしていました。
「コース良し。コース良し。」「ヨーイ、ヨーイ、ヨーイ」「降下、降下、降下!」
の合図で、順次飛び出す降下隊員たち。


IMG_1379
20名の空挺隊員が宙に舞いました。
昔からこの風景は好きでしたが、バンド・オブ・ブラザースを見てからは、また見方が変わってしまいました。


IMG_1417
空挺隊員を吐き出した輸送機は、その機動性をアピールする飛行デモを行いました。


IMG_1446
格納庫内では、空自の様々な装備の展示が行われていましたが、第一空挺団の装備を付けるコーナーもありました。
装備するのは、戦闘服とパラシュートだけですが(実戦では、更に戦闘装備と生活用品を持ってジャンプします)、それでも良い体験ですね。

なお、第一空挺団のモットーは「精鋭無比」。
「カラヒー」に通じるものがありますね(笑)。


IMG_1447
第一空挺団のコーナーは、パラシュート装備を持つ長い列が出来ていました。


IMG_1493
ランチタイムの後は、飛行展示のトリを務める、ブルーインパルスの飛行展示です。
最初は三角体形で、着陸ギアを出して低速でのフライパス。


IMG_1534
五角形でのフライトパス。


IMG_1577
6回目の編隊飛行です。


IMG_1621
7回目のフライトパス前のアナウンスで、「これが最後の展示です」のアナウンスがありました。
えっ???
まだ、6機の編隊飛行しかデモされていないため、最初は聞き間違いと思っていました。


IMG_1636
でも、本当に飛行デモは終わってしまいました。
短っ!
午後から天気の悪化が予想されたためか、最初からこのプログラムが予定されていたのか・・・
芦屋や築城の航空祭では、もっと長いプログラムなのですが、残念です。


IMG_1721
各機着陸し、最後はパイロットが機体から下りるデモンストレーションが行われました。


IMG_1736
航空祭、最後のプログラムは、地上展示された各機が、各基地に帰投するためにテイクオフしていきます。
最初はF-4Jの離陸です。


IMG_1772
このF-4Jはサービス精神が旺盛で、何度も滑走路上をフライパスしてくれました。


IMG_1795
続いて、ヘリコプターの離陸準備が始まったと注視していると・・・


IMG_1825
F-15Jがアフターバーナー全開で飛び立っていきました。
なお、築城の航空祭ではF-15Jの飛行デモも行われていましたが、F-15Jの垂直上昇は迫力満点でした。


IMG_1894
AH-1もエンジンを始動しました。


IMG_1900
と、AH-1を注視していると、F-2が飛び立ちました。
アフターバーナーの排気光が美しい。


IMG_1906
アフターバーナーを焚いて旋回していきます。


IMG_1908
翼の先端と末端から雲を引いていました。


IMG_1945
AH-1が離陸しました。

IMG_1982
海自のSH-60Kも離陸しました。
でも、この機体はススだらけでしたが、お祭りなんだから、もう少し綺麗に清掃できなかったのでしょうか?


IMG_1989
UH-60Jも飛び立ちました。


IMG_2011
ブルーインパルスの地上クルーも帰っていきます。
彼らは最後まで、愛想が良かったです。
女性隊員の持つカードには「酉組 2019 Final Tour」と書かれていました。


IMG_2032
操縦練習機のT-400の離陸に向けタクシングを始めました。


IMG_2039
U-125Aのタクシング。


IMG_2042
輸送機 C-130Hハーキュリーズの離陸です。
4発のレシプロエンジンの離陸はジェット機とは違う迫力があります。


IMG_2055
埼玉県警のEC135も帰投しました。


IMG_2059
ブルーインパルスはこの日は帰投しないそうです。
地上クルーはもう帰ってしまいましたしね。

この後、トリを務めた、C-2輸送機が飛び立ちましたが、私はその前に滑走路を出ました。


IMG_2062
帰投機の離陸を見学したため、ブルーインパルスの飛行デモの終了から1時間がたっていましたが、未だに改札は長蛇の列でした。

入間の航空祭は約125,000人の来場者があったそうです。
正直、築城の航空祭と比べ、戦闘機の飛行デモも無く、ブルーインパルスの飛行デモもショボかったですが、関東地区で行われる航空祭は、多くの人が訪れますね。

終わり

バンド・オブ・ブラザースの聖地巡りの旅のまとめ

hulu-band-of-brothers-and-the-pacific-delivery01s

バンド・オブ・ブラザースは、米国のケーブルテレビHBOが2001年に制作した、米軍の第101空挺師団、第506空挺連隊、第2大隊、E中隊(イージー・カンパニー)の訓練から終戦までを全10話で描くドラマです。
映画「プライベートライアン」のコンビ、スティーヴン・スピルバーグとトム・ハンクスの製作総指揮により、映画並みの1億2000万ドルの制作費をかけて作られました。

このドラマは「プライベートライアン」以上に、激戦を戦う兵士の姿を過度なヒロイズムを排して描いており、その戦いの中で示される兵士の絆に感動します。
アメリカ赴任に持っていくDVDを電気店で物色している時に偶然見つけ、購入以来何度も見直しました。

ドイツ赴任後に、所縁の地を訪問した旅行記は都度紹介しましたが、今回、ブログの移転でURLも変わったので、各旅日記のリンクをひとつにまとめました。
ドラマの各話と、それに関連した記事を紹介します。

なお、このドラマは、スティーヴン・アンブローズの原作が元になっており、その原作も中古で購入しましたが、購入したのは駐在の終盤になってから。
原作はドラマ以上に、土地や時間軸の説明があり、訪問前に読んでおけばよかったと後悔しました。

第1話「翼のために(Currahee)」は米国と英国での訓練の話ですが、現地は訪問していません。

第2話「ノルマンディ降下作戦(Day of Days)」はノルマンディへの降下作戦です。
初めての実戦に加え、ドイツ軍の強力な対空砲火で大混乱する中、見事敵の砲陣地を攻略しました。
バンド・オブ・ブラザーズの聖地巡り その2

第3話「カランタン攻略(Carentan)」はタイトルの通り、ノルマンディ戦時の第101空挺師団の攻略目標だったカランタンを攻略する話です。
バンド・オブ・ブラザーズの聖地巡り その1 

第4話「補充兵(Replacements)」は史上最大の空挺作戦となったマーケット・ガーデン作戦の話です。

第5話「岐路(Crossroads)」は主にマーケット・ガーデン作戦後のオランダのアイランドと呼ばれた地域の作戦の話。
アイランドからナイメーヘン

第6話「衛生兵(Bastogne)」は、英語のタイトルの通り、欧州戦線最後の激戦、バルジの戦いでのバストーニュ包囲戦の話です。
第7話「雪原の死闘(The Breaking Point)」はバストーニュの解放からフォイへ反撃する話です。
バストーニュ その1

第8話「捕虜を捉えろ(The Last Patrol)」はフランスのハーゲナウでドイツ侵入を伺い待機している時の話。ドイツの敗北の雰囲気を感じ取り、兵たちに厭戦気分が漂う中、戦略的にそれほど価値がなさそうな捕虜奪取のために敵地に侵入します。

第9話「なぜ戦うのか(Why We Fight)」では、ついにドイツ国内への侵入を果たしますが、駐留したランズベルグでユダヤ人収容所を発見します。
ランズベルグ

最終話となる、第10話「戦いの後で(Points)」で、部隊はベルヒテスガーデンとイーグルス・ネストを攻略後、オーストリアでついに終戦を迎えます。
ベルヒテスガーデンとイーグルス・ネスト

<番外編>
バンドオブブラザースとは直接関係無いですが、ルクセンブルグではバルジの戦いで亡くなった連合軍墓地を訪問しました。この墓地にはパットン将軍も眠っています。

第二次世界大戦の初め、フランス進行に先立つ、1940年5月10日の朝、ドイツ軍の第7航空師団の降下兵約70名がグライダーで降下したエバン・エマール要塞も訪問しました。
1940年4月のデンマーク戦で初めてドイツ軍が空挺師団を実戦で使い、続くノルウェー侵攻作戦、エバン・エマール要塞攻略戦と活躍しました。
こうしたドイツ軍の空挺部隊の活躍を受け、連合軍も空挺師団を創設しました。

史上最大の空挺作戦だったマーケット・ガーデン作戦にはナイメーヘンを攻略した米第82空挺師団と、英第一空挺師団、ポーランド第1独立パラシュート旅団が参加しました。
英第一空挺師団とポーランド第1独立パラシュート旅団が攻略しようとしたアルンヘムの訪問記です。
アルンヘム


終わり

ムンスター戦車博物館 その6 ~ドイツの軍装編

ドイツのムンスター(ミュンスターではありません)にある、戦車博物館(正式名称は、Deutsches Panzermuseum Munsterで、略称としてDPM)の紹介です。
と言っても、行ったのは一年前の事で、2016年5月6日(金)時点での情報です。

戦車博物館に行った際の旅行記は、以下のブログで書いているのでは、ここでは展示品の紹介のみを行います。


最後はドイツの軍装関係の紹介です。


6a334f5e.jpg


博物館の入り口には、ドイツ歴代の軍服が展示されていました。

まずは銃器の紹介です。


869f577c.jpg


<K 98 k > (写真上)

1898年に採用されたG 98ライフルのカービン・バージョンで、1935年に採用されたドイツ国防軍の正式ライフルです。


< M1 ガーランド >

1936年採用のアメリカ軍の正式ライフル。
セミオートマチックライフルでした。
ドイツの装備では無いですが、対戦国と言う事で・・・



566cc187.jpg


< StG 44 >

1944年から配備された自動小銃です。
士気を鼓舞する目的もあり突撃銃(英語でアサルト・ライフル)と名付けられましたが、そのコンセプトは今でも世界中の軍隊に受け継がれています。


d14c770b.jpg


< MG 34 >

1934年に正式化され、翌年から量産されたドイツの機関銃。
銃架を変える事で、歩兵用から車載用途まで使える、汎用機関銃のジャンルを作った機関銃です。


9c02fd85.jpg


< MG42  >

MG 34のコストダウンと生産性改善を計るために開発されました。
1942年からの製造。


f2d6be09.jpg


< MG3 >

MG42を現代向けに改善した汎用機関銃で、大きな変更点は、使用弾が7.92x57mmモーゼル弾から7.62x51mm NATO弾に変更された事です。
これも、大戦中にドイツが発案したコンセプトが今でも生きている例です。


4c6f399c.jpg


続いてドイツの軍服についての紹介です。

写真は、1850年のプロシアの胸甲とヘルメット。
ここはPanzer(装甲)の博物館なので、中世騎士の鎧や近世の胸甲もありでしょう。


18642be9.jpg


ピンボケですが、第一次世界大戦時代の突撃兵のボディー・アーマーとヘルメットです。
敵の塹壕線を突破する役割を担ったのが突撃兵で、目的としては初期の戦車と同じです。


20aad2cc.jpg


しかし、火器の発達により、兵士個人向けの装甲は廃れ、第二次世界大戦においてはヘルメット以外は全く無くなりました。

左は、1942年の戦車兵の軍曹の軍服で、右は、1943年の戦車兵の少尉の軍服です。


fdb0dc13.jpg


左は、大戦中のドイツ軍の軍服ですが詳細は不明。
右は、1944年の降下猟兵の軍服です。


e86a9a07.jpg


左は1970年代の西ドイツ軍の将軍の軍服で、右は1980年代末の東ドイツ軍の兵站担当の曹長の軍服です。
西ドイツ軍は将軍のものですが威圧感や華美さを感じさせないデザインです。
一方、東ドイツのものは、大戦中のドイツのデザインを色濃く残しています。


14a1ad3a.jpg


左は砂漠の狐、エルヴィン・ロンメル将軍の軍服とされていましたが、博物館の説明板を見ると、疑問符がついているようです。
右はロンメル将軍のデスマスク。


c7a6969c.jpg


左は、電撃戦の生みの親、ハインツ・グデーリアン将軍の軍服。
右はギュンター・フォン・クルーゲ元帥の肖像画。

続いて、ドイツの勲章の紹介です。


1b169326.jpg


プール・ル・メリット勲章 (Pour le Mérite) は、1740年にフリードリッヒ二世(大王)により制定された、プロイセンの最高勲章です。第一次世界大戦でのドイツ帝国の崩壊により廃止になりました。


7c9024f2.jpg


第一次世界大戦時の第一級鉄十字章。


94cf63c8.jpg


第二次世界大戦時のドイツの勲章です。
一番右は柏葉付き騎士鉄十字章。
次は騎士鉄十字章で、1939年に勲章制度が出来た時は最高位の勲章でしたが、戦争の長期化により、柏葉付き、剣付き、ダイヤモンド付きなどのグレードが順次創設されていきました。
次は、第一級鉄十字章で、左端が第二級鉄十字章です。


230b40b7.jpg


更にドイツ十字章が設けられています。
これらは戦勲以外でも与えられ、系統が鉄十字章とは異なりますが、勲章のランクとしては鉄十字章と騎士鉄十字章の間と考えられたようです。
左は銀のドイツ十字章で、右は金のドイツ十字章。

以上で、博物館の紹介を終えます。



ムンスター戦車博物館 その5 ~大戦後の世界の戦車編

ドイツのムンスター(ミュンスターではありません)にある、戦車博物館(正式名称は、Deutsches Panzermuseum Munsterで、略称としてDPM)の紹介です。
と言っても、行ったのは一年前の事で、2016年5月6日(金)時点での情報です。

戦車博物館に行った際の旅行記は、以下のブログで書いているのでは、ここでは展示品の紹介のみを行います。


第二次世界大戦後のドイツ以外の戦闘車両群の紹介です。


7d1e2121.jpg


< センチュリオン Mk.12 >

大戦中、ドイツの重戦車に対抗するためにイギリスが開発しましたが、量産が始まったのは1945年後半で、大戦には間に合いませんでした。
連邦軍も採用を検討しましたが、最終的にアメリカのM48を採用しました。
1945年から1962年に製造。

 武装: 105mm L/51砲x1門、 7.62mm機銃x2門


312f215c.jpg


< M60 >

M48に代わるアメリカの主力戦車で、105mmの搭載とディーゼルエンジン化が大きな変更点でした。
1961年に西ドイツも、今後の戦車開発の研究用に、二両購入しました。
1959年から1987年に製造。

 武装:105mm L/51砲x1門、 12.7mm機銃x1門、7.62mm機銃x1門


57d2a04c.jpg


< メルカバ Mk. I >

イスラエルの開発した戦車。
周囲を適性国に囲まれ戦争を繰り返した事と、人口が少ない国情から、徹底的に防御に重点を置いた戦車です。
乗員を守るためにエンジンを車体前部に配置しており、車体前方は少しずんぐりしています。
1977年から1982年の製造。

 武装:105mm L/51砲x1門、 7.62mm機銃x2門、 60mm迫撃砲x1門


51777e65.jpg


複合装甲が主流となる前、他国の戦車は被弾を避けるためにお椀型の砲塔デザインが多かったですが、メルカバは正面からの被弾を避けるために、楔形の砲塔になっています。


f0997283.jpg


メルカバの特徴の一つである後部ハッチ。
主目的は迅速な弾薬の供給のためでしたが、乗車員の脱出や、歩兵の収容などにも活用できました。


b64d03ea.jpg


< Strv 103/c >
スウェーデンの開発した戦車(通称Sタンク)。
構造的には大戦中の駆逐戦車ですが、スウェーデンは主力戦車として運用しました。
砲身は車体に完全固定のため、照準は車体を動かすことで行いました。
戦車としては非常にデメリットですが、これと引き換えに、非常にコンパクトな車体と、主砲の自動装填とそれに伴う乗員数の減少(定員3名)というメリットを得ました。
1964年から1971年の製造。

 武装: 105mm  L/62砲x1門、 7.62mm機銃x3門


db93867f.jpg


砲身全体。


d63577cc.jpg


車体後部。


b23613ea.jpg


< SK105 A2 キュラシェーア >

フランス製のAMX-13軽戦車をベースに開発された駆逐戦車。
回転砲塔を持ちますが、自動装填装置を採用したので、コンパクトな砲塔になっています。
連邦軍では採用されず、オーストリア陸軍で採用されました。
1967年から1989年に製造。

 武装:105mm L/44砲x1門、 7.62mm機銃x1門


6cd4ff02.jpg


< フェレット >

フェレット装甲車は、イギリス陸軍が第二次世界大戦中に広く使用していたダイムラー偵察車の後継車両として、同じくダイムラー社により1949年に設計されました。
連邦軍でも評価を受けましたが、採用されませんでした。
1952年から1971年の製造。

 武装: 7.62mm機銃x1門


車両の紹介はこれで終わりです。

以降は、おまけの画像。


28379005.jpg


中庭にはレオパルド 1 (A1 A4だと思います)が展示されていますが、この車両は砲塔内に入る事が出来ます。


adc00baa.jpg


車内のペリスコープから見た様子。
カメラのピントがずれているので、ハッキリと見えませんね。


59fb9d7d.jpg


砲塔の上から見る事ができるので、増加装甲の取り付け方も良く判ります。
現代版の、シュルツェンです。


87536b28.jpg


おまけの画像のラストは、迫力ある120mm滑空砲の写真です。


次は、博物館に飾られた車両以外の展示品を紹介します。



ムンスター戦車博物館 その4 ~大戦後の東ドイツ戦車編

ドイツのムンスター(ミュンスターではありません)にある、戦車博物館(正式名称は、Deutsches Panzermuseum Munsterで、略称としてDPM)の紹介です。
と言っても、行ったのは一年前の事で、2016年5月6日(金)時点での情報です。

戦車博物館に行った際の旅行記は、以下のブログで書いているのでは、ここでは展示品の紹介のみを行います。


第二次世界大戦後の旧東ドイツ軍の戦闘車両群の紹介です。


b18af3db.jpg


< T-54 >

ソ連が戦後に初めて開発・量産した戦車で、ハリコフ設計局により作られたT-44をベースに、100mm砲を無理なく搭載できる新型砲塔を装備したものがT-54です。
東ドイツ軍は1957年からT-54を装備しました。
1962年から1964年の製造。

 武装: 100mm L/53.3砲x1門、 12.7mm機銃x1門、 7.62mm機銃 x2門


970d66b1.jpg


< T-55 AM > (奥の車体)

T-55はT-54を改良したもので、NBC防御用装備を標準化し、エンジンの馬力も向上、クラッチ操作を空気圧で助けるサーボ機構が追加されています。
T-54は1958年に登場し、様々な改良を加えながら1970年代後半まで製造されました。

T-55 AMのT-55からの主な改善点は、レーザー測遠機と電気式射撃管制装置です。
1964年から1978年に製造。

 武装: 100mm L/53.3砲x1門、 12.7mm機銃x1門、 7.62mm機銃 x2門


<T-55 AM2B > (手前の車体)
T-55 AMからの主な改善点は、砲塔周辺の中空装甲、サイドスカート、主砲上のレーザー測遠機です。
1986年から1989年に製造。

 武装: 100mm L/53.3砲x1門、 12.7mm機銃x1門、 7.62mm機銃 x2門


297d6f84.jpg


< T-55 AM2 >

ソ連戦車の特徴は、車体を低くコンパクトにして、視認性と被弾性を抑えた事。
しかしその反面、戦車兵の居住性は犠牲にされました。
カットアウェイモデルで見ると、いかに車内が窮屈かが判りました。


93b75ead.jpg


< T-62 >

T-55の後継機として開発され、世界で初めて滑空砲を装備した戦車です。
その砲威力は強力でしたが、射撃管制装置が弱く、長距離射撃は苦手でした。
更に価格が、T-55の倍以上したため、東ドイツを含むワルシャワ条約機構軍の多くは装備しませんでした。
よって、ここで紹介する戦車ではないのですが、ソ連戦車の流れから紹介します。
1962年から1978年に製造。

 武装: 115mm L/55砲x1門、12.7mm機銃x1門、 7.62mm機銃x1門


1f928a10.jpg


< T-72 M1 >

T-72は東ドイツ軍最後の主力戦車で、M1は、その最後期のモデルです。
1973年から1990年に製造。

 武装:125mm L/48砲x1門、12.7mm機銃x1門、 7.62mm機銃x1門


9c1977a6.jpg


< P 2M > (写真左)

東ドイツの開発した汎用輸送車。
米軍のジープを大きくしたようなデザインです。
1955年から1958年に製造。


< SPW 152 W1 > (写真右)
同じく東ドイツの開発した兵員輸送車。
これも、米軍のハーフトラックのデザインに似ている気がします。
1957年から1958年に製造。

 武装:7.62mm機銃x1門


b416c570.jpg


<PT-76>

水陸両用の軽戦車です。
1951年から1969年に製造。

 武装:76.2mm L/42砲x1門、  7.62mm機銃x1門


f2fbf064.jpg


<BMP-1 SP2 >

1966年に正式採用されたソ連の歩兵戦闘車です。
一般の兵員輸送車より強力な火力を有しており、斬新なコンセプトを持つ車両でした。

 武装:73mm砲x1門、7.62mm機銃x1門、対戦車ミサイルx1基


c5411798.jpg


BMPのシリーズ手前から、BMP-1、BMP-2、BMP-1 A1 Ostです。


< BMP-2 >

1980年から配備の始まったBMP-1の後継モデルです。
最大の変更点は、73mm砲から30mm機関砲に代わった事と、大型化した砲塔内に車長と砲手の二名が配置できたことです。
一方で乗車する歩兵の数はBMP-1の8名から、7名に減りました。

 武装:30mm機関砲x1門、7.62mm機銃x1門、対戦車ミサイルx1基


< BMP-1 A1 Ost >

東西ドイツ統合後に、改造したBMP-1です。
大きな変更点は、対戦車ロケットの撤去と、スモークディスチャージャーの追加です。

 武装:73mm砲x1門、7.62mm機銃x1門


439b87de.jpg


<BRM 1K>

BMP-1兵員輸送車の偵察車バージョン。
1973年から製造。

 武装: 73mm砲x1門、7.62mm機銃x1門


7e75e67f.jpg


< BTR 70 >

装輪兵員輸送車です。
カットアウェイモデルなので、一輪外していますが、本来は8輪の装甲車両です。
1976年から1980年の製造。

 武装:14.5mm機銃x1門、 7.62mm機銃x1門


次は、他国の戦闘車両の紹介に続きます。


ムンスター戦車博物館 その3 ~戦後の西ドイツ戦車編

ドイツのムンスター(ミュンスターではありません)にある、戦車博物館(正式名称は、Deutsches Panzermuseum Munsterで、略称としてDPM)の紹介です。
と言っても、行ったのは一年前の事で、2016年5月6日(金)時点での情報です。

戦車博物館に行った際の旅行記は、以下のブログで書いているのでは、ここでは展示品の紹介のみを行います。


第二次世界大戦後の西ドイツ連邦軍の戦闘車両群の紹介です。


4116c527.jpg


< M41 ウォーカーブルドック >

大きな車体をしていますが、高速な足回りを持ち、軽装甲の軽戦車になります。
1950年-1958年の生産。

 武装: 76.2mm L/57砲x1門、12.7mm機銃x1門、7.62mm機銃x1門


0413c9d4.jpg


<M47 パットン >

西ドイツの連邦軍が配備したした最初の主力戦車です。

 武装: 90mm L/48砲x1門、 12.7mm機銃x1門、 7.62mm機銃x1門


 f01cd2a0.jpg


< M48 パットンII >

長きにわたり、連邦軍の主力戦車を勤めました。
1952年~1959年の生産。

 武装:90mm L/48砲x1門、 12.7mm機銃x1門、 7.62mm機銃x1門


32c99624.jpg


< M48 A2 G A2 >

連邦軍で使用されたM48の最終モデル。
最大の改良点は主砲を90mmから、105mmに拡大した事です。
1978年-1980年の生産。

 武装: 105mm L/51砲x1門、 7.62mm機銃x2門


6ab555a6.jpg


89261dd6.jpg


< A2 試作2号機 >

1958年から独仏が次期主力戦車の共同開発を始め、1960年に完成した試作車両。
共同開発は政治的おおび経済的問題で終了しましたが、その結果を元に、西ドイツはレオパルド 1、フランスはAMX30を開発しました。

 武装: 105mm L/51砲x1門、 7.62mm機銃x1門


97ba0203.jpg


< レオパルト 1 >

それまでアメリカの開発した戦車を使っていた西ドイツが初めて開発した戦車です。
当初はレオパルトの名称でしたが、レオパルト 2の開発開始に伴い、レオパルト 1と改称されました。
1965年から配備開始されました。
以下は、レオパルド 1のバリエーションです。

 武装:105mm L/51砲x1門、  7.62mm機銃x2門


40c898be.jpg


< レオパルト 1 A1 A4 >


aed8f10f.jpg


< レオパルド 1 A2 ? >


bddb4a05.jpg


< レオパルド 1 A2 A1 >


59626b23.jpg


< レオパルド 1 A3 >


a5abe802.jpg


< レオパルド 1 A4 >


e18afbd0.jpg


< レオパルド 1 A5 >


e3198c7f.jpg


< KPz.70 プロジェクト >

アメリカと西ドイツがM60と、レオパルド 1の後継機の共同開発を試みたプロジェクト。
(アメリカのプロジェクト名はMBT 70)
しかし、基本部分では設計の単位(ヤード/メートル)から、あらゆる仕様で両国の意見が合わず、設計費も高沸した事から計画は頓挫しました。
しかし、その時の経験を元に、アメリカはM1、西ドイツはレオパルド 2を開発しました。

 武装:152mm L/43.5砲 x1門、 20mm機関砲x1門、 7.62mm機銃x1門


5d926d74.jpg


< レオパルド 2 A4 >

KPz.70プロジェクトの頓挫により、西ドイツは新たな戦車を独自開発を始め完成したのがレオパルド 2。
主砲には従来のライフル砲ではなく、120mm滑空砲が採用されました。
また、装甲に複合装甲を採用した事から傾斜装甲を廃止したため、ドイツ軍伝統(?)の角ばった砲塔となりました♡。
1979年から配備開始しました。

 武装:120mm L/44砲x1門、 7.62mm機銃x2門


c0c98821.jpg


< カノーネンヤークトパンツァー Prototyp 2 HK3/1 u. 3/2 >

予想されたワルシャワ条約軍の大量の戦車に対抗するために西ドイツは駆逐戦車の開発を始めました。
この車両はその試作車で、大戦時の駆逐戦車の思想を引き継いだ、砲塔の無い自走砲スタイル。
HS 30歩兵戦闘車をベースに拡大した車体にM47やM48と同じ90mm砲を載せた車両です。
1961年に生産。

 武装:90mm L/40.4砲x1門


905c7b1b.jpg


< カノーネンヤークトパンツァー 4-5 >

カノーネンヤークトパンツァーの量産モデル。
補給性を考慮し、主力戦車のM47やM48と同じ砲を搭載しましたが、すぐに主力戦車は105mm砲を装備するレオパルド 1に移行したため、主力戦車より火力が不足しました。
また、歩兵戦闘車がベースのため、防御力も劣るために存在意義が薄れました。
1966年から1967年の生産。

 武装:90mm L/40.4砲x1門、 7.62mm機銃x2門


bfbc6cd7.jpg


< ラケーテンヤークトパンツァー 1 >

HS 30の車体にSS.11対戦車ミサイル発射器を搭載した対戦車車両です。
1961年から生産を開始しました。

 武装:SS.11 対戦車ミサイルx1基、 7.62mm機銃x2門


ef968a3d.jpg


< ラケーテンヤークトパンツァー 2 >

1967年から68年に生産。

 武装:SS.11 対戦車ミサイルx1基、 7.62mm機銃x2門


061e62e2.jpg


< ヤークトパンツァー ヤグアー 1 A3 >

ラケーテンヤークトパンツァー 2の対戦車ミサイルをSS.11からHOTに換えたモデル。
1978年から1982年までにミサイルを変更。

 武装:HOT 対戦車ミサイルx1基、 7.62mm機銃x2門


95f6bdca.jpg


< ヤークトパンツァー ヤグアー 2 >

1983年から1985年にかけて、162両のカノーネンヤークトパンツァーがヤグアル2に改造されました。
カノーネンヤークトパンツァーから主砲を外し、TOW発射機を上面に装備し、増加装甲が取り付けられました。

 武装:TOW 対戦車ミサイルx1基、 7.62mm機銃x1門


169766f0.jpg


< M42 ダスター >

M41の車体に40mm連装機関砲を載せた自走対空砲。
1954年から生産されました。

 武装:40mm L/66連装機関砲x1基、7.62mm機銃x1門


29995996.jpg


< ゲパルト B2L >

M42ダスター自走高射機関砲の後継機として、1973年から生産を開始した、自走対空砲。
レオパルト 1の車体に35mm機関砲x2門を搭載した砲塔を載せています。
なお、ゲパルトとはドイツ語でチーターの事との事。今回、初めて知りました。

 武装:二連装35mm L/90機関砲x1基


d92ea0e1.jpg


< オツェロット >

2001年から生産が始まった、ヴィ―ゼル2の対空仕様バージョン。

 武装:対空ミサイル発射器、 7.62mm機銃x1門


c23156ee.jpg


< ローラント >

マーダー 1の車体にローラント対空ミサイルと対空レーダーを装備した対空車両です。
1981年から1983年に生産。

 武装:ローラント対空ミサイル


63ede42e.jpg


< M44 パンツァーハウビッツェ 155mm >

1953年から1959年に生産された、自走155mm榴弾砲。

 武装:155mm L/23榴弾砲x1門、  12.7mm機銃x1門


7806a0f3.jpg


< M109 パンツァーハウビッツェ >

1963年から生産された、自走155mm榴弾砲。

 武装:155mm榴弾砲x1、 12.7mm機銃x1門


df4576ac.jpg


< パンツァーハウビッツェ 2000 >

1998年から2002年に生産された、自走155mm榴弾砲。

 武装:155mm L/52榴弾砲x1門、 7.622mm機銃x1門


964101a5.jpg


<M8>

大戦中にアメリカの開発したM8 グレイハウンド偵察車です。
大戦後に西ドイツにも供与され、国境警備隊に配備されました。
米軍オリジナルは37mm機関砲が装備されていましたが、西ドイツバージョンでは主武装が7.92mm機銃に変更されています。

 武装:7.92mm機銃x1門


4e2e3c7b.jpg


< MK20 ヴィ―ゼル1 >

ヘリボーン部隊のために、ヘリで運べる用に開発された装甲車。
車重はわずか2.6tしかありません。
この他に対戦車ミサイルを装備したバージョンもあります。

 武装:20mm機関砲x1門 


b0919f96.jpg


5b6f8800.jpg


< ルクスA2 偵察装甲車 >

1975年から1977年の生産された偵察用装甲車です。

 武装:20mm機関砲x1門、  7.62mm機銃x1門


594befbc.jpg


<M39>

M18 ヘルキャットの車体をベースに開発した歩兵戦闘車。
アメリカ軍は兵員輸送車として開発を行いましたが、連邦軍は歩兵戦闘車として開発を進めました。
最終的に次に紹介するHS 30が連邦軍に採用されました。
1945年から1952年の生産。

 武装:12.7mm機銃x1門


e9c6957c.jpg


< ラング HS.30 Typ 12-3 >

西ドイツが世界に先駆け開発した歩兵戦闘車です。
従来の兵員輸送車は自衛のための機銃ぐらいしか装備していませんでしたが、歩兵支援用の強力な火器を装備しました。
斬新なコンセプトでしたが、軍用車の開発経験のないメーカが担当したため、軍の要求仕様を満たさず、更にコストも高沸し、発注量は当初計画の1万両から2000両に減りました。
1959年から1962年に生産。

 武装:20mm機関砲x1門、 7.62mm機銃x1門


8a515c30.jpg


< Spz クルツ べオバッハトゥング Typ 22-2  >

フランスのオッチキス社の開発したTT6兵員輸送車を西ドイツの仕様に改良したのが、Spz クルツ・ファミリーです。
写真の車両は、砲撃地の観測を行う装甲観測車です。
1959年から1964年の生産。

 武装:7.62mm機銃x1門


3dcab447.jpg


< オチキス・カーゴ  Spz クルツ 42-1 >

物資輸送仕様バージョン。


750f0115.jpg


< KrKw gep. Spz クルツ Typ 2-2 >

救急車バージョン。
1959年から1964年の生産。


47476959.jpg


< Spz クルツ Typ 91-2 >

レーダー観測車ヴァージョン。
1959年から1967年の生産。


268e2b2b.jpg


< Spz ラング パンツァーメーザー HS.30 Typ 52-3  >

ラングHS. 30ベースの自走迫撃砲バージョン

 武装:120mm迫撃砲x1門、  7.62mm機銃x1門


5208d653.jpg


< M113 フュールング/フング >

M113の指揮車バージョン

 武装: 7.62mm機銃x1門


8f1b46c0.jpg


< マーダー 試作 III >

1966-67年に作られた、ラング HS.30の後継の歩兵戦闘車、マーダーの試作車です。

 武装:20mm機関砲x1門、  7.62mm機銃x2門


4f7b95b3.jpg


マーダーの試作モデル。
説明が無かったので、どのようなモデルかは不明です。


8c25e476.jpg


< マーダー 1 A3 >

HS.30の後継となる、連邦軍の歩兵戦闘車マーダー 1です。
1989から1998年に生産。

 武装: 20mm L/85機関砲x1門、 7.62mm機銃x1門


d51513be.jpg


< ビーバー 架橋車 >

レオパルト 1の車体を使った、架橋用の車両です。


f678009a.jpg


博物館の建屋の横に置かれた車両が二両。
手前は、レオパルト1ベースのダクス戦闘工兵車と思われますが、奥の車両は不明です。


72b29f75.jpg


< スコーピオン地雷散布車 >

1986に生産された地雷散布車です。

 武装:地雷散布器x6基、 7.62mm機銃x1門


47dfcef2.jpg


< ベルゲパンツァー 2 >

レオパルト 1の車体を利用した戦車回収車。
後部に予備のパワーパック(エンジン)を載せる事ができ、予備があれば戦場でも15分でパワーパックの交換が可能だそうです。
1966年から1969年の生産。


27d3a7e6.jpg


< M88 A2 ハーキュリーズ >

M48の車体を利用した戦車回収車。
1961年からの生産。


4cbb297f.jpg


< カイラー 地雷処理車 >
M48A2の車体を改造して製造した地雷処理車両。
1996年に調達。
なお、カイラーとは雄イノシシの事だそうです。


次は、東ドイツ軍の車両に続きます。


ムンスター戦車博物館 その2 ~WW2 連合軍戦車編

ドイツのムンスター(ミュンスターではありません)にある、戦車博物館(正式名称は、Deutsches Panzermuseum Munsterで、略称としてDPM)の紹介です。
と言っても、行ったのは一年前の事で、2016年5月6日(金)時点での情報です。

戦車博物館に行った際の旅行記は、以下のブログで書いているのでは、ここでは展示品の紹介のみを行います。


第二次世界大戦までの連合軍の戦闘車両群です。
敗戦国の博物館だからか、連合軍の戦車は少なかったです。


c972f590.jpg


< T34 >

1940年9月に量産を開始した、ソ連の傑作戦車。
76.2mm L/41と言う強力な砲を有し、車体全面に避弾経始のための傾斜装甲を持った、火力・装甲・機動力のバランスのとれた戦車です。
独ソ戦で、この戦車に遭遇したドイツ軍は、自軍兵器の劣勢を知りショックを受け、 7.5 cm PaK 40 やパンターなどの新兵器の開発を急ぎました。

 武装:76.2mm L/41砲x1門、7.62mm機銃x2門


017abe03.jpg


< T34-85 >

ドイツ軍のパンターやタイガー戦車に対抗するために85mm砲を搭載したT34で、1943年から量産されました。
戦後もソ連や東ドイツで使用され、展示は1953年6月17日の東ベルリン暴動を表したものです。

 武装: 85mm L/54砲 x1門、7.62mm機銃x2門


803cf41b.jpg


< SU-100 >

T34の車体に強力な100mm砲を搭載した自走砲で、パンターやタイガーIを正面から撃破可能でした。
1945年1月から実戦配備されています。

 武装:100mm L/53.5砲x1門


75caff75.jpg


< M4A1 シャーマン >

アメリカ軍および連合軍の主力戦車で、改良を進めながら終戦まで戦いました。
しかしドイツ軍のパンターやタイガー相手には性能に劣り、集団戦法と航空支援でようやく対抗できました。

 武装: 76.2mm L/52砲x1門、12.7mm重機関銃x1門、7.62mm機銃x2門


e5e4de4e.jpg


< A34 コメット >

アフリカ戦線でIV号戦車やタイガーI戦車に苦戦した英国は、クロムウェル巡行戦車をベースに77mm砲を搭載したコメットを開発しました。
火力・装甲・機動力のバランスのとれた戦車でしたが、実践投入が1945年3月で、ドイツ軍と遭遇する機会は少なかったようです。

 武装: 77mm(76.2mm) L/50砲x1門、7.92mm機銃x2門


e626efa7.jpg


< M10 アキリーズ >

アメリカの開発したM10駆逐戦車が英国に貸与された後、攻撃力を強化するために、17ポンド砲を搭載した車両です。

 武装:17ポンド砲x1門、12.7mm重機関銃x1門


0149633b.jpg


< ユニバーサル・キャリアー >

汎用輸送車として英国で開発された車両。
堅牢かつ使い勝手が良く、大戦全期を通じて活躍しただけでなく、戦後も使用されました。
上の車両も、戦後のドイツ軍のコーナーで展示されていました。
説明によると、大戦中に鹵獲した車両をドイツ国防軍が使い、戦後も東西両ドイツ軍で使われたとの説明がありました。
ブレンガン・キャリアーとも呼ばれています。


続いて、大戦後の戦車の紹介です。


ムンスター戦車博物館 その1 ~WW2 ドイツ戦車編

ドイツのムンスター(ミュンスターではありません)にある、戦車博物館(正式名称は、Deutsches Panzermuseum Munsterで、略称としてDPM)の紹介です。
と言っても、行ったのは一年前の事で、2016年5月6日(金)時点での情報です。

戦車博物館に行った際の旅行記は、以下のブログで書いているのでは、ここでは展示品の紹介のみを行います。


まずは、第二次世界大戦までのドイツの戦闘車両群です。


7833e037.jpg


< A7V >

第一次世界大戦の戦車、A7Vのレプリカです。
機関銃発達によって膠着した戦線を打破するため、塹壕突破用に戦車は開発されました。
1916年に英国が初めて戦車を実戦に投入後、ドイツも開発を始め、1618年に実戦投入された初めてのドイツ戦車です。

 武装: 57mm砲x1門、7.92mm機銃x6門


63648d22.jpg


< ダイムラーのDZVR 21 >

自動車の発達により、戦車以外の装甲車両も開発されました。
この装甲車は、1921年から生産が始まり、25年までに85台が生産されました。

 武装: 7.92mm機銃x2門


8ea386ca.jpg


< LK II 軽戦車 >

型式のLKはドイツ語で軽戦車と、そのまんまのネーミング。
1918年の第一次世界大戦の終戦直前に開発が終わり、試作モデルが二両だけ生産されました。

武装は、37mmまたは57mm砲が予定されましたが、本機には7.92mm機銃しか装備されていません。


b06eef0d.jpg


< I号戦車A型 >

ここから、第二次世界大戦(以降大戦I)で活躍したドイツ戦車の紹介となります。
と言っても、I号戦車の開発が終わったのは戦前の1934年で、ベルサイユ条約で戦車の保有を禁じられていたドイツが、秘密裏に開発したもの。
戦車の運用を勉強するために開発された豆タンクで、実戦では偵察以上の任務は酷でした。

 武装:7.92mm機銃x2門


fed19938.jpg


< II号戦車 >

Wikiによれば、この博物館にはII号戦車F型があるとの事でしたが、私が行った時は、II号戦車は砲塔の展示のみでした。
II号戦車は主力戦車のIII号戦車の量産までのつなぎとして開発され、WWII直前の1937年から生産が始まりました。
しかし、III号戦車の開発・生産が遅れたため、大戦初期はやむなく主力戦車として運用されました。
その後、III号、IV号戦車の量産が進むと、偵察用の軽戦車として運用されました。

 武装: 20mm機関砲x1門、7.92mm機銃x1門


891c89c4.jpg


< 38(t)戦車 >

チェコ製の戦車ですが、チェコの併合により、ドイツの戦車として活躍。
ドイツ製のI号戦車やII号戦車が非力だったため、主力のIII号戦車の数の不足を補い、大戦初期は活躍しました。

 武装:37mm L/47.8砲x1門、7.92mm機銃x2門


1d18dfc0.jpg


38(t)戦車の後姿。
第11装甲師団の幽霊のマスコットマークが描かれています。


293187ef.jpg


< III号戦車M型 >

大戦前半の主力戦車ですが、初期の作戦では数がそろわず、フランスやアフリカの作戦では、すでに若干の能力不足でした。独ソ戦で能力不足は決定的になり、ソ連主力のT34に対しては、1対1では全く相手にならない状態でした。
しかし、そこはドイツの戦車運用の巧みさでカバーし、ドイツ電撃戦を支えた戦車です。
この車両は、ロンメルのアフリカ軍団仕様で塗装されています。

 武装:50mm L/60砲x1門、7.92mm機銃x2門


dd901359.jpg


< IV号戦車G型(F2型) >

当初はIII号戦車の支援用戦車として開発されましたが、後に主力戦車となりました。
大戦後半は猛獣が闊歩する戦場の中で戦力不足気味でしたが、大戦始めから終戦まで、最も多く生産されドイツ国防軍を支えた名戦車です。

 武装:75mm L/43砲x1門、7.92mm機銃x2門


5aaac4bf.jpg

10

大好きなIV号戦車なので、写真を、もう一枚載せます。
めいいっぱい腕を伸ばして、砲身正面の写真を取りました。(笑)


63763962.jpg


短砲身タイプの砲塔も展示されていました。
キューポラの形からA型のものと思われます。

 主砲は、75mm L/24砲。


305d0d58.jpg


< V号戦車パンター >

IV号戦車に代わるドイツ軍の主力戦車。
ソ連のT34ショックの影響から、避弾経始のための傾斜装甲を全面に持った戦車で、強力な砲と合わせ、攻防走のバランスのとれた戦車です。
他の方のブログでは、この戦車も展示されているとあり、期待しましたが、私の訪問時は展示されていませんでした。

 武装:75mm L/70砲x1門、7.92mm機銃x2門


aa55a770.jpg


< VI号戦車 タイガーI >

フランスやアフリカ戦線でタンクキラーとして活躍した88mm高射砲をベースとした強力な88mm砲と、正面に100mmの重装甲を備えた重戦車で、登場時は連合軍、特に西側の戦車は歯が立ちませんでした。
ドイツらしい、角ばった砲塔・車体を持った最後の戦車であり、私の好きな戦車です。

 武装:88mm L/56砲x1門、7.92mm機銃x2門


d39a57db.jpg


車体右側には被弾した跡が残っていました。


e2a92a05.jpg


< VI号戦車 タイガーII >

タイガーIの活躍に気を良くしたヒトラーが、より強力な砲と、強力な防御力を持つ戦車の開発を命じて、できた戦車。砲塔前面は180mm、車体前面でも150mmの傾斜装甲を持ち、大戦中の連合軍、特に西側諸国には正面から撃破できる戦車はありませんでした。
しかし、機動力に劣るため、その運用は少し難しかったようです。
敵制空権下での防御戦が主だった大戦終盤のドイツ軍には、このデカさも大きな問題だったと思います。

 武装:88mm L/71砲x1門、7.92mm機銃x2門


fa18b50f.jpg


< VIII号戦車 マウス >

重戦車による敵の圧倒を目指すヒトラーによって開発された超重戦車。
128mm砲を持ち、前面装甲200mm以上の重戦車ですが、重量は180トンを超え、走行速度は13km/h(不整地)と絶望的に低速度となり、ヒトラーの狂気の産物と言うしかない存在。
大戦I中に2台が試作されましたが、実戦には参加出来ませんでした。
そのうちの1台が現存しており、ソ連のクビンカ博物館で公開されているそうです。

  武装:128mm L/55砲x1門、75mm L/36.5砲x1門、7.92mm機銃x1門


続いて、ドイツの自走砲の紹介です。
自走砲は、回転砲塔を持たない代わりに、強力な砲を持った戦闘車両です。
大戦中、ドイツ軍は様々な目的の自走砲を開発しました。


06aeb203.jpg


< ヘッツァー駆逐戦車 >

チェコの38(t)n.A.軽戦車のシャーシに75mm L/48砲と言う強力な主砲を載せた駆逐戦車です。
車体前面こそ60mmの傾斜装甲を持ち、防御力が高いですが、側面および後部は、気休め程度の装甲でした。
大戦末期の1944年から配備され、ドイツの防衛線で活躍しました。

 武装:75mm L/48砲x1門、7.92mm機銃x1門


6a8f251e.jpg


< III号突撃砲G型  >

元々は、歩兵を直接支援するための自走砲として開発され、砲兵部隊の所属でした。
その後、戦車の脅威が増大したため、対戦車任務が主になり、75mm L/48の長砲身を装備したのが、F型およびG型です。
1942年末から終戦まで、あらゆる戦線で活躍した戦闘車両です。

 武装:75mm L/48砲x1門、7.92mm機銃x1-2門


18ae9b0f.jpg


< IV号駆逐戦車(試作型) >

突撃砲と違い、最初から対戦車戦闘を目的に開発されたのが駆逐戦車です。
IV号戦車のシャーシに、75mm L/48砲を装備した車両です。
この車両は量産前に作られた試作車で、前面と側面の装甲の接合面が丸くカーブしています。

 武装:75mm L/48砲x1門、7.92mm機銃x1門


8f7b3775.jpg

20

< IV号駆逐戦車 >

IV号駆逐戦車の量産モデル。
1944年の一年で802両が生産されました。

 武装:75mm L/48砲x1門、7.92mm機銃x1門


0fe3746c.jpg


< ヤークトパンター >

ドイツの傑作中戦車のパンターに88mm砲を積んだ駆逐戦車です。
ベースが良かったため、火力・防御力・機動力が高く、バランスのとれた戦闘車両でした。
しかし、1944年1月から1945年4月の間に計415輌しか生産されませんでした。

 武装:88mm L/71砲x1門、7.92mm機銃x1門


f96ab5b5.jpg


< ブルムベア >

歩兵を支援する車両としてIII号突撃砲が開発されましたが、特に市街戦において敵の防御拠点を粉砕するには75mm砲は威力不足と判断され、IV号戦車の車体に150mm榴弾砲を載せた車両。
1943年のツィタデレ作戦で初の実戦に参加しました。
その後も終戦まで、その強力な砲と重装甲(前面は100mmの傾斜装甲)で各戦線で、攻勢・防戦両方で活躍しました。

 武装:150mm榴弾砲x1門、7.92mm機銃x1門


8d5d838e.jpg


< シュトルムティーガー >

スターリングラードの攻防戦で、歩兵を支援し強固な防御拠点を一撃で粉砕する武装が必要とされ開発された自走砲です。
タイガーI型をベースとし、戦場から修理に戻ったタイガーI戦車を改造する事で生産された車両です。
激しい市外戦での運用を想定したため、防御力も強力で、前面には150mmの傾斜装甲を持っていました。
実戦配備された1944年後半では防御戦に投入されましたが、防御用兵器としても重用されました。

 武装:38cm ロケット推進臼砲x1門、90mm擲弾筒x1門


d1a1dd52.jpg


< RSO Pak 40 >

東部戦線の泥沼地を走るために開発されたRSOトラクターに、75mm対戦車砲を搭載した自走砲。
量産が期待されましたが、先行配備された部隊で戦闘による損耗が大きかったため、量産は見送られました。
上についている幌は、輸送車に見せるための偽装用のもの。

 武装:7.5cm PaK40/4x1門


ec8a86b5.jpg


< マーダーIII自走砲H型 >

1942年末までには戦車としては陳腐化した38(t)戦車の車体を利用した対戦車自走砲がマーダーIIIシリーズです。H型は、38(t)戦車H型の車体に、7.5cm PaK 40/3 対戦車砲を搭載した自走砲です。
信頼性の高い車体に強力な砲を持つマーダーIIIシリーズは、大戦後半のあらゆる戦線で活躍しました。
しかし高い車高で発見されやすく、かつ装甲が薄いために生存性が低く、ヘッツァーの登場で生産は打ち切られました。

 武装:7.5 cm PaK 40/3x1門、7.92mm機銃x1門


24fa009e.jpg


自走榴弾砲の車両が二両並んでいました。
左はヴェスぺで右がフンメルです。

< ヴェスぺ >

II号戦車の車体に105mm榴弾砲を載せた自走砲です。

 武装:105mm榴弾砲x1門、7.92mm機銃x1門


< フンメル >

III号戦車とIV号戦車のパーツを流用して作った車体に150mm榴弾砲を載せた自走砲です。

 武装:150mm榴弾砲x1門、7.92mm機銃x1門


65b4101e.jpg


ヴェスぺの戦闘室です。
オープントップなため、小さなII号戦車の車体でも、戦闘室は意外と広いです。


ab84f20c.jpg


< ゴリアテ >

自走砲ではなく、有線誘導の自走爆弾です。
モータ駆動のタイプと、ガソリンエンジン駆動のタイプがあるようですが、この展示品はモーター駆動のタイプ。
75kg爆弾を運んだようです。


cac5deb5.jpg


< ボルグヴァルト IV >

無線誘導の爆弾運搬車。
ゴリアテのような自走爆弾でなく、目標地で車体前面の爆弾を降ろし、自車は安全圏まで後退後に爆弾を爆発させることが出来ました。
更に人が乗って操縦する事も出来、目標に対してある程度の距離までは人が操縦し、操縦者が降車後は無線で目標地に誘導しました。


続いて、ドイツの装甲車と輸送車の紹介です。


4d09a55b.jpg


< Sd Kfz 234/4 >

Sd Kfz 234は、Sd Kfz 231系重装甲車の後継機種として開発された八輪装甲車。
4つのバリエーションがありますが、Sd Kfz 234/4は、ヒトラーの強い要望により、7.5cm PaK40を搭載したモデル。

 武装:7.5cm PaK40x1門


9d969c85.jpg

30

< ツュンダップ KS750 >

タミヤのプラモでツェンダップとして有名なサイドカーです。
伝令任務を主に戦争全期にわたって活躍しました。
この車両もアフリカ軍団仕様の塗装がされています。


e1700342.jpg


< ケッテンクラート Typ HK101 >

制式名称はクライネス・ケッテンクラフトラートで、訳すと「小型装軌式オートバイ」。
本来は降下猟兵向けの牽引車両として開発されましたが、東部戦線の泥濘の中で従来のオートバイやサイドカーが使用できなくなったことから、一般部隊でも小型の牽引車として使用されました。
第二次世界大戦では半装軌車が各国で開発されましたが、前輪が一輪のものはこの車両のみでした。


4381c605.jpg


もう一台、真っ黒のケッテンクラートが展示されていました。


c96ba55e.jpg


< キューベル・ヴァーゲン Typ 82 >

フェルディナント・ポルシェの設計したフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)をベースに、不整地走行性を高めた、軍用車ヴァージョンです。
キューベルとはバケット(バケツ)の意味で、全てのシートがバケットシートだったことから付いた名前だそうです。


e2058f22.jpg


< フォルクス・ヴァーゲン Typ 166 >

キューベル・ヴァーゲン Typ82をベースに水陸両用にした車両。
当初開発されたTyp 128水陸両用車両の整備性や不整地走破性の向上を計った改良型がTyp 166。
正式名称はフォルクス・ヴァーゲンですが、水陸両用性から、シュビム(泳ぐ)・ヴァーゲンと呼ばれました。


e3127dcd.jpg


< クルップ・プロッツェ L2H143 >

ドイツ軍の軍用トラックです。


115fc0e3.jpg


< Sd Kfz 11/2 >

3t ハーフトラック Sd Kfz 11は第二次世界大戦全期を通じで活躍した輸送車両です。
Sd Kfz 11/2は、Sd Kfz 11をベースに対化学戦用洗浄液散布車として開発された車両です。


0ffef8d1.jpg


< Schwerer Wehrmachtsschlepper >

直訳すると、重国防軍牽引車です。
ドイツ軍は多くのハーフトラックを活用しましたが、いずれも構造が複雑で、生産や保守の効率が悪かったため、大戦中期により簡易な構造を持つこの車両が開発されました。


2e9e006a.jpg


< Sd Kfz 251/9 >

Sd Kfz 251は、3tハーフトラック(Sd.kfz.11)をベースに、戦車部隊に歩兵を追随させるために開発した装甲兵員輸送車です。
この車両は、Sd Kfz 251に75mm L/24砲を搭載したモデルです。


c3c27e03.jpg

< Sd.Kfz.251/7 >

Sd Kfz 251をベースに、工兵部隊用の戦闘工兵車として開発された車両。
突撃橋も装備しています。


最後は、ドイツの砲の紹介です。


a67b0247.jpg

40

< 3.7cm Pak 35/36 L/45 >

大戦初期のドイツ軍の主力対戦車砲ですが、活躍できたのは1940年のフランス進行戦までで、フランス戦でも威力不足が指摘され、「ドア・ノッカー」との蔑称が生まれました。


1029d015.jpg


< 3.7cm Pak (t) L/47 >

チェコスロヴァキア併合時に鹵獲した対戦車砲です。
優秀な砲だったため、大戦初期には活躍したようです。


0cc64f1b.jpg


< 5cm PaK 38 L/60 >

フランス戦で威力不足が指摘された 3.7cm Pak に代わって開発された大戦車砲。
しかし、1941年から始まる独ソ戦では、すでにソ連の重戦車に対する威力不足が指摘されました。


aea765ba.jpg


< 7.5 cm PaK 40 L/46 >

独ソ戦で5cm PaKの威力不足が判ったため、急きょ開発され、1942年から終戦までドイツ対戦車砲の主力であり続けました。


その奥にあるのは、

< 7.62cm FK 269(r) >

独ソ戦の初期、ソ連製のF-22 76mm野砲が大量に鹵獲出来たため、そのまま7.62㎝ FK 269との名前で利用した兵器です。野砲と名付けられていますが、対空砲としても開発されており、対戦車用としても優秀で、ドイツ軍も痛い目を見ました。
前述のように独ソ戦時のドイツの対戦車砲は3.7cmおよび5cmでしたから、この砲はドイツ軍にとって大変有用でした。
なお、発射時の弾頭速度の速さから付いたあだ名が「ラッチェバム」です。
発射光が見えたら、音より先に着弾するとの意味です。(誇張アリ)


61bd25fe.jpg


< 8.8㎝ Pak 43/41 L/71 >

ソ連の重戦車に対抗するため、1943年に8.8 cm PaK 43が開発されましたが、一周旋回が可能な十字型砲架の生産が遅延ぎみだったため、より簡素化して生産性を高めた対戦車砲です。基本的に7.5 cm PaK 40を拡大した構造でしたが、重すぎて人手での配置転換が困難でした。
そのため、8.8 cm PaK 43の量産が安定した1944年には生産が中止されました。


42c7d645.jpg


< 2㎝ Flak 38 >

低空防御用の対空砲です。
2cm砲は対地兵器としても活躍しました。
防盾が無いので、別の兵器に見えます。


90ee2f96.jpg


< 8.8cm Flak 37 L/56 >

ドイツの高射砲で大戦全期間で活躍しました。
しかし、どちらかと言うと対戦車兵器として有名となった兵器で、大戦初期から戦車キラーとしても大活躍しました。連合軍戦車に対して無敵に近く、連合軍からは恐怖の的でしたが、ドイツ軍からは頼りになる存在として「アッハト・アッハト」と呼ばれました。


2c0eb938.jpg


< 7.5cm 歩兵砲37 L/24 >

ドイツ軍では歩兵の直接支援は突撃砲の役目でしたが、歩兵部隊すべてをカバーする量を生産できないために、1944年に歩兵支援用に開発された野戦砲。
3.7cm Pakの架台に、7.5cm野砲を載せたもので、コンパクトで砲威力の割に軽量なために重宝されたようです。


連合軍の戦車の紹介に続きます。
 



最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ