2018年8月19日(日)~26日(日)に、家族がフランスに遊びに来ました。
8月25日、8:00にホテルを出て向かったのはルーブル美術館。
ルーブルの北側にある、パレ・ロワイヤル広場(Place du Palais Royal)で見たホームレスの方々。
パリはホームレスが多いですが、このように露天に、ごろ寝が多いです。
湿気が少ないので夜露も少ないのでしょうね。
でも、中にはテントを常設している強者もいました。
それにしても、左の方は、地面にうつ伏せに寝ていますが、苦しくないのかな?
ルーブル美術館の西にはカルーゼルの凱旋門があります。
パリの凱旋門としては、シャルル・ド・ゴール広場に建つエトワールの凱旋門が有名ですが、パリには4つの凱旋門があり、この他はサン・ドニ凱旋門、サン・マルタン凱旋門があります。
なお、カルーゼルの凱旋門からエトワール凱旋門の延長線上にあるグランダルシュ(偉大な門)は、戦勝を記念する「凱旋門」ではありません(日本では一部で新凱旋門と呼ばれているようですが)。
このカルーゼル門もナポレオンの戦勝を記念して作られ、完成当初、門の上にはヴェネチアから奪ったサンマルコ寺院の四頭の馬の像が乗っていたそうです。(今はヴェネツィアに返還されています。)
前回は、入り口から順に回って、人混みにもまれた、ダ・ヴィンチの「モナリザ」。
今回は開場ダッシュで行って、近くで見る事が出来ました。
ラファエロの「美しき女教師」
カナレットの「サンマルコ広場の風景」。
これらの絵画は2016年の訪問時のブログでも紹介していますが、好きな絵なので再度紹介しました。
なお、2016年の訪問時の事は以下のブログで紹介しています。
以下は、前回のブログで紹介しなかった作品を紹介します。
私の守護神(?)アテナの像です。
左:Jean Auguste Dominique INGRESの「シャルル7世の戴冠式でのジャンヌダルク、ルーアン大聖堂にて
(Jeanne d'Arc au sacre du roi Charles VII, dans la cathedrale de Reims (1429))」 (1780年作)
(Jeanne d'Arc au sacre du roi Charles VII, dans la cathedrale de Reims (1429))」 (1780年作)
右:Paul DELAROCHEの「若い殉教者(La Jeune Martyre)」 (1855年作)
左: Antoine Jean GROSの「ヨアヒム・ムラットの騎馬像、1808年から1815年までのナポリの王
(Portrait equestre de Joachim Murat, roi de Naples de 1808 a 1815)」 (1812年作)
右: Theodore GERICAULTの「近衛猟騎兵の兵士
(Officier de chasseurs a cheval de la garde imperiale chargeant)」 (1812年作)
(Officier de chasseurs a cheval de la garde imperiale chargeant)」 (1812年作)
(Une odalisque, dite La Grande Odalisque)」 (1814年作)
サモトラケのニケの像は、今回も人だかりがしていました。
時刻は既に11:30になっており、美術館のカフェ(テラス)で昼食を取りました。
テラスから見た美術館の中庭。
再び、アテナの像。
有名なミロのヴィーナスです。
が、前回同様、今回もこの周りには人が少なかったです。
日本人が思うほどの人気は無い?
14:20に美術館の見学を終えました。
広くて展示品の多いルーブルの見学は、やはり時間がかかりますね。
ピラミッドの中では、日本の名和晃平氏の「浮遊する空位の玉座」が展示されていました。
2018年7月から2019年1月14日までの臨時展示だそうです。
面白かったのは、ピラミッドの中のリフト。
丸い筒がそのまま上下して人を運んでいました。
美術館からコンコルド広場まで歩きました。
この広場には、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていましたが、フランス革命で、騎馬像は取り払われました。革命中、この広場は処刑場となり、ルイ16世やマリーアントワネットを始めとする1000名以上の人がギロチンで斬首されました。
右の塔はルクソールから運んだオベリスクで、左にはエッフェル塔が遠くに見えています。
更に、家族が歩くと言うので(少し驚きました)、シャンゼリゼ通りを凱旋門まで歩きました。
シャンゼリゼ通りにあった、ファイブ・ガイズ・バーガー。
アメリカでよく食べたチェーン店ですが、ヨーロッパで見たのはオランダのアイントフォーフェンに続いて二軒目です。
クスミ・ティーを発見。
妻がここでお茶を購入しました。
ここでは、多くの観光客が記念撮影していました。
決して、おじさんを撮りたかったのではありませんが、家族を長く待たせる訳にもいかず、これが今回のベストショットです。
凱旋門の屋上から見た景色。
シャンゼリゼとエッフェル塔、アンヴァリッドが見渡せます。
凱旋門を降りると何か式典の準備をしていました。
8月24日は、第二次世界大戦で連合軍がパリに突入した日で、その記念式典と思われます。
しかし、式典の手際が悪く、きちんと整列するまでに、皆、右往左往していました。
この後、エッフェル塔の下まで行ったものの、人が多く今回も塔には上りませんでした。
エッフェル塔の見学後は地下鉄のビラケム駅(Bir Hakeim)に移動し、近くのレストランで夕食を取りました。
この時、時刻は20時をまわっていました。
なお、ビラケム駅の名前は、第二次世界大戦の北アフリカ戦線での戦いの一つ、ビル・ハケイムの戦いから来ているそうです。
まずはビールです。
この日のメインはスパゲッティでした。
夕食の後は、地下鉄のビラケム駅から地下鉄に乗り、シャイヨー宮のテラスに戻って、エッフェル塔の夜景を堪能しました。
21:30にテラスを離れ、ホテルに戻って就寝。
明けて12月26日の朝は、ホテルで少しのんびりした後にチェックアウトし、荷物を駐車場の車のトランクに押し込み、最後のパリ観光に出発。
妻と娘はオランジュリー美術館に向かい、私と息子はアンヴァリッドを再訪しました。
この日は晴天で、建物も映えています。
Paris Museum Passは、見せるだけで記録は残らないので、同じ博物館に何度でも訪問できます。
昨日は、かなり駆け足で回ったので、息子が再訪を望んだので行きました。
ナポレオン廟も再訪。
フランスのプロバンス地方のアンティーブ(Antibes)の模型。
この後、第一次世界大戦と第二次世界大戦の展示を見学し、13時にアンヴァリッドを出ました。
妻、娘と13:30にホテルの前で合流し、車をピックアップして空港へ。
15:00過ぎに、無事家族はチェックインを済まし、日本に帰りました。
私は、この日は、空港近郊のAirport Hotel(住所:15 Rue du bois, 77990 Mauregard)に宿泊。
ここは場末感の漂うモーテルでした。その分、宿泊費は安かったですが。
私にとっての最終日の8月26日は、朝にホテルを出発し、ミュンヘンまでの約830kmを、トイレと給油以外は停車せず、約8時間で走りました!
上の写真は、13時にライン川を渡河した際の写真。
やはりドイツに戻ると、ホッとしますね。
アパートに着いたのは16時。
溜まった衣服を洗濯する時間が取れました。(笑)
終わり。