levante2019の旅日記

YAHOOブログの終了に伴い、引っ越してきました。 アメリカ3年、ドイツ3年の駐在を終え、2019年3月に帰国しました。 自転車やウォーキングなどを中心に日々の活動を紹介しています。

オーストリア旅行記

バンド・オブ・ブラザーズの聖地巡りの旅 ~ツェル・アム・ゼー

2019年2月24日(日)にツェル・アム・ゼ―に行って来ました。
ツェル・アム・ゼ―は、ミュンヘンから南東に約170kmにあるオーストリアの湖のほとりの町です。

1月11日に日本帰国の内示を受けた後、2月に入って仕事が多忙で、あっという間にドイツ滞在もあと2週間を残すのみとなってしまいました。
この週末は天気に恵まれたので、最後のバンド・オブ・ブラザーズの聖地巡りに行ってきました。

バンド・オブ・ブラザースは、米国のケーブルテレビHBOが2001年に制作した、米軍の第101空挺師団、第506空挺連隊、第2大隊、E中隊(イージー・カンパニー)の訓練から終戦までを全10話で描くドラマです。
映画「プライベートライアン」のコンビ、スティーヴン・スピルバーグとトム・ハンクスの製作総指揮により、映画並みの1億2000万ドルの制作費をかけて作られました。

昨年の4月から、バンド・オブ・ブラザーズ(以下BoBと省略します)ゆかりの地を回って来ましたが、その締めとして、E中隊が最後に過ごした地の訪問です。
ナチス党の支配した地、ベルヒテスガーデンを攻略した後、101空挺師団は約40km南にあるツェル・アム・ゼ―に移動し、そこで太平洋戦争の終戦を迎えました。

なお、ドラマの中ではE中隊のメンバーが欧州大戦の終戦日を「V(ビクトリー) Day」と言って祝っていましたが、この前の週に日本に出張した際も、日本中が「V(バレンタイン) Day」を祝っていて驚きました。(笑)
(日本では、いつからバレンタインデーをV Dayと呼ぶようになったのでしょうか???)

と、前置きが長くなりましたが、旅行の紹介を始めます。


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10:00にツェル・アム・ゼ―に到着しました。
湖の後ろには山が迫り、スキー場になっているので、町はスキーヤーでいっぱいです。

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ツェル・アム・ゼ―の町役場「ローゼンベルグ城(Schloss Rosenberg)」です。


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町中にある聖ヒッポリュトス教会(Pfarrkirche hl. Hippolyth)。


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教会の内部です。


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ツェラー湖(Zeller See)です。
他のアルプス地域の湖と同様、この湖も水がきれいなのでしょうが、この日は凍り付いていました。
このところ、晴天が続いてミュンヘンは春の陽気でしたが、アルプス山中はまだ冬ですね。


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同じくツェラー湖です。
気温が上がってきて、湖の氷がギシギシ鳴っていました。


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湖のほとりにある、エリザベト公園。
かつて、この地には、エリザベト・ホテルがありました。
1885年8月7日にオーストリア帝国の皇妃エリザーベートが数日滞在しました。
ツェル・アム・ゼ―はシシィのゆかりの地でもあったのですね。


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湖の北側の景色。


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第506大隊のHQが置かれたグランドホテルを背景に記念撮影。
通常、私は自分の写真を撮りませんが、今回は、BoB聖地旅行の最後を飾るために、ノルマンディで購入した空挺ジャケットを着てきたので記念に撮影しました。
気分はE中隊の隊員です。
でも気温が低く、まだ空挺ジャケットでは寒かったので、少しだけバストーニュの気分にも浸りました。(笑)


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グランドホテルの裏には、湖に降りる道がありました。(写真右端)
ドラマではウィンターズ小佐が湖で泳いでいましたが、ここから湖に入ったのでしょうか?


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北側の景色。
オーストリア・アルプスがきれいです。


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ツェル・アム・ゼ―の街並み。
典型的なアルプス地方の風景です。


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同じくツェル・アム・ゼ―の街並み。
中央の建物が由緒があるようでしたが、看板を記録するのを忘れました。

11:30にツェル・アム・ゼ―の町を出発。


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近くにある、カプルーン城(Burg Kaprun)。
ドイツにはよくある地方領主の城です。


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この城を訪問したのは、今回の訪問に当たって、ツェル・アム・ゼ―についてググっていたら、BoBファンのブログ(英語)を見つけたため。
E中隊の欧州での最後の写真が、この地で撮られたそうです。


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この日は閉館していましたが、中庭には入る事ができました。


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我が愛車です。
この車ともあと少しでお別れです。

この日の夕方に、私の後任者をミュンヘン空港でピックアップするため、少し早いですが12:00にカプルーンを出ました。

1月中は冬の気候が続いて、この地に来れないかと心配しましたが、最後に来れて良かったです。

終わり


ザルツブルグ訪問 その3

2018年10月7日にオーストリアのザルツブルグを訪問しました。

ザルツブルグは、2017年10月29日(日)と31日(火)に訪問しており、以下のブログで紹介しています。

今回は、前回紹介しなかった事を主体に紹介します。

12時過ぎにハルシュタットを出発し、13:30にザルツブルグに着きました。
前回車を停めた、Altstadt のパーキングを目指しましたが、町を北西側から周り込む際に見つけた、駐車場Müllner Bräuに車を停めました。
旧市街の南に広がる丘陵、メンヒスベルク(Mönchsberg)の西側に位置し、旧市街からは遠いですが、大きな駐車場で、日曜の午後でも十分空いていました。


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メンヒスベルグの北西の端にある、聖アウグスティヌス教会の横の公園から見たザルツブルグの景色。


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メンヒスベルグの山からザルツァッハ川沿いにおり、旧市街に向かって歩くと、クラウセン門(Klausentor)がありました。
この門はメンヒスベルグがザルツァッハ川が最も迫った所に作られています。
恐らく13世紀後半に、ザルツブルグ市街の西の守りとして、この地に要塞が作られましたが、14世紀に強力な門に改築されました。

前回行ったグステッテン門(Gstättentor)が、ザルツブルグの西の守りと思っていましたが、この門が一番西側の守りとなります。


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今回の連れの一人が、こちらに来る前にサウンド・オブ・ミュージックを見たと言うので、映画ゆかりの地である、馬の洗い場を通って、ザルツブルグ祝祭劇場(Salzburger Festspiele)に来ました。

前回訪問時は、祝祭劇場の建物がどれか良く判りませんでしたが、この写真がそれ。
(もっとこじんまりとした建物と思い込んでいました。)


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祝祭劇場からみた、ホーエンザルツブルグ城。


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続いて大聖堂に来ました。
前回訪問時は、大聖堂の前のマリア像がガラスで覆われていましたが、今回はまだ覆われていませんでした。


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続いてレジデンツの中庭に入りましたが、改装中で、建物はビニールに覆われていました。
でも、中庭からレジデンツ広場(Residenzplatz)に抜ける門は、今回開いていました。

レジデンツの次は、ホーエンザルツブルグ城に行きました。
まずケーブルカー乗り場に行きましたが、入場券購入の列が長かったので、城まで歩いて登りました。


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前回は改装作業の影響で歩道が閉鎖されていましたが、今回は、この城の入場門となるブルガーマイスター門から入城できました。


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  左:ブルガーマイスター門から城に向かう道。
  右:入ってきたブルガーマイスター門。
    この坂は非常に急で、雨の日は滑りそうです。


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場内を見学後、城の中庭に出てきました。
この中庭も、前回は改装中でしたが、今回はきちんと見る事ができました。


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中庭にある聖ゲオルグ教会(St Georgs Kirche)もフェンス無しで見えました。


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城のテラスから見たブルガーマイスター門。
樹々が色づいています。


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城の見学の後、大聖堂の内部を見学。
写真は大聖堂にあった聖母子の肖像。


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モーツァルト広場。
ここから、旧市庁舎、モーツアルトの生家を抜けて、マカルト橋へ。
なお、モーツアルトの生家は表からの記念撮影のみ。


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マカルト橋から見た、紅葉のザルツァッハ川。
ここから見る、ホーエンザルツブルグ城が美しいのですが、今回は逆方向を紹介します。

この後、モーツアルトの育った家を外から見学した後、ミラベル宮殿へ。


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ミラベル庭園のバラ園でも、まだバラが咲いていました。


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ミラベル庭園。

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この日は「大理石の間」を覗くことができました。
表のポスターには、この日の17時からコンサートがあるようでしたが、既に17時を回っています。
なぜ?


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サウンド・オブ・ミュージックで、ドレミの歌を歌うシーンで出た、通称「ドレミ階段」から見たミラベル庭園。


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ザルツブルグの見学を終え、ザルツァッハ川沿いを駐車場に向かって歩きました。
中央に建つ教会が最初に紹介した、聖アウグスティヌス教会です。


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ザルツァッハ川から見たザルツブルグの旧市街。
左に見えるのはプロテスタント教会です。

この後、駐車場に戻り、17:40に、ザルツブルグを出ました。


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ザルツブルグを出てすぐにあるドイツ国境で渋滞し、キームゼーのパーキングに18:50に着きました。
ここで、キームゼーの夕焼けをしばし堪能し、ミュンヘンに戻りました。


終わり


ハルシュタット(Hallstatt)訪問

2018年10月7日にオーストリアのハルシュタットを訪問しました。

ハルシュタットはミュンヘンから210km東にある小さな湖畔の町です。
湖畔と町の美しい景観から「ザルツカンマーグート地方のハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として1997年に世界遺産に登録されました。

この日は日本から遊びに来た友人に加え、最近駐在を始めた(正確には、まだ出張扱いですが)人の三人で行きました。
7:00にミュンヘンを出た後、途中渋滞も無く、9:30にハルシュテッター湖(Hallstätter See)に到着。


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この日は少し天気が悪く、曇り(朝は小雨もあった)でした。
オーストリアに入って、湖畔や山には霧がかかっていました。

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でも、霧のかかった景色も悪くないですね。
アルプス地方の湖である、ハルシュテッター湖も、水はとても綺麗でした。


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10:00にハルシュタットに到着し、南の外れにある駐車場に車を停めました。

駐車場から湖に出て、湖に張り出した公園からハルシュタットの町を眺めました。
霧のかかった山が幻想的な雰囲気を作っています。


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ゼーレンデ通り(Seelände)を歩いて、町に向かいます(約1km)。
ハルシュタットの対岸には、1522年に築かれたグルプ城(Schloss Grub)が見えます。


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ラーン船着き場(Lahn Schiffstation)から見たハルシュタットの美しい町並み。


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引き続き、湖畔のゼー通り(Seestraße)を歩きます。


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この辺りは崖が湖に迫っており、崖にへばりつくように木造りの家が建っています。


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Brau Gasthofの建物。


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通りには、多くのカフェや可愛い(?)お土産屋が並んでいるのも、この町が女性に人気のある理由でしょう。


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崖に沿って大きな屋敷が建っています。


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町の中心となるマルクト広場(Marktplatz)。


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ハルシュタットの中心部には二つの教会があります。
マルクト広場のそばにある、プロテスタント教会(Evangelische Pfarrkirche)の内部。
一般の教会は縦に長く、その奥に祭壇がありますが、この教会では横手の中央に祭壇が設けられています。


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ハルシュタットの高台の上には、カトリック教会(Katholische Kirche)が建っています。


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教会に上る階段。
木製の屋根付きの階段が珍しかったです。


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カトリック教会に着いた時はミサを行っていたので、まずは周囲を散策しました。

高台にあるカトリック教会からは、ハルシュタットの町が見渡せます。
中央の教会が先ほど見た、プロテスタント教会です。


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カトリック教会の横の墓地です。
墓は美しい花で飾られていました。


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墓地の奥にあるミヒャエル礼拝堂(Michaelskapelle)。


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教会に戻るとミサが終わっていたので、内部の見学をしました。
この教会も、祭壇が横に並んでおり、変わったレイアウトでした。


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カトリック教会からの下りは別のルートを降りました。
ガストホーフ・ミューレ(Gasthaus Mühle)の壁に這う蔦が綺麗に紅葉していました。


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山から流れる水路。


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ハルシュタット世界遺産博物館(Welterbemuseum Hallstatt)。
ハルシュタット7000年の歴史を展示しているそうです。
でも、7000千年前は石器時代ぐらいだと思いますが、そこから現在まで、博物館を作ってまで語る歴史が、この町にあるのかな?

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甘い匂いに誘われ、スウィーツを食べました。
看板にはドイツ語、英語の他多数の言語が書かれており、中国語と韓国語も、あったのですが日本語は無かったです。残念。


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とりあえず、3種類のスイーツ(上からタルト、アップルケーキ、クリームたっぷりのパン)を購入し、三人でシェアしました。どれも、美味しかったです。


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ハルシュタットの見学を終え、ゼー通り(Seestraße)を歩いて駐車場に戻ります。


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駐車場の横にあった立派な建物ですが、何かは不明。


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12時過ぎにハルシュタットの見学を終え、出発しました。
上の写真は、帰る途中で車を停車して、撮った写真です。
岬で隠れ、プロテスタント教会の鐘楼しか見えませんでした。

ハルシュタットは人口1000人足らずの田舎の小さな町ですが、世界遺産になった景観は美しかったです。


続いて向かったのはハルシュタットから約70km西にあるザルツブルグです。

続く

Formula 1の見学 ~シュピールベルグ(Spielberg)

2018年7月1日(日)に、フォーミュラ1 オーストリアGPの本戦を見学してきました。

オーストリアGPは、レッドブル レーシングチームの本拠地であるレッドブル・リンク(Red Bull Ring)で行われます。 (住所:Red Bull Ring Str. 1, 8724 Spielberg, Austria)

2015年からF1に再参戦したホンダですが、3年間の不振の後に昨年マクラーレンより提携を解消されました。
今年からパートナシップを結んだトロロッソと、ここまで、そこそこ活躍している事から、更なる活躍を期待してオーストリアGPの見学を決めました。
すると、6月19日に、レッドブル・レーシングが、2019年度からホンダとパートナーシップを結ぶことを発表!
来年からは、ここがレッドブル-ホンダのホームコースとなると思うと、モチベーションも更にアップしました。

二か月前ぐらいからホテル状況を見ていましたが、100km圏内のホテルは、ほぼ満室状態だったため、日曜日の決勝だけに日帰りで行く事にし、ネットでチケットを購入しました。

チケット代はGeneral Admission(バックストレート横の自由席) (日曜のみ)で95ユーロ/人でしたが、他に税が5.70ユーロかかり、更にDHLでの郵送しか選択できず、輸送代が23.00ユーロ必要となりました。
おまけに一ヵ月前に購入したのに、2週間たっても届かず、不安定に思って事務局に督促したら慌てて送って来ました。
今時、E-チケットのオプションがあっても良いのでは?


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送ってきたチケットには85ユーロ(税込み)と書かれていましたが、なぜ?

当日はF1のレースしかないと思っていましたが、主催者から送られたスケジュールを見るとイベントが盛沢山。
特に「Promoter Activity」はレッドブル主催のイベントですが、他のレースでもこのようなイベントがあるのでしょうか?
渋滞を恐れて早く出る予定でしたが、決勝まで退屈しないようです。


<主催者から送ってきたスケジュール>

THURSDAY 28th JUNE
15:30 - 18:00Promoter Activity3 Day Ticket Holders Only Pit Lane Walk

FRIDAY 29th JUNE
09:35 - 10:20GP3 SeriesPractice Session
11:00 - 12.30Formula 1Practice 1
12:40 - 12:50Promoter ActivityRed Bull Drift Brothers
13:00 - 13:45FIA Formula 2Practice Session
15:00 - 16:30Formula 1Practice 2
16:40 - 16:50Promoter ActivityRed Bull Drift Brothers
16:55 - 17:25FIA Formula 2Qualifying Session
17:45 - 18:15GP3 SeriesQualifying Session
18:40 - 19:25Porsche Mobil 1 SupercupPractice Session

SATURDAY 30th JUNE
10:25 - 11:10GP3 SeriesFirst Race (24 Laps or 40 Mins)
11:15 - 11:25Promoter ActivityRed Bull Drift Brothers
12:00 - 13:00Formula 1Practice 3
13:25 - 13:55Porsche Mobil 1 SupercupQualifying Session
14:00 - 14:30FIA Formula 2Drivers' Parade TBC
15:00 - 16:00Formula 1Qualifying
16:45 - 17:55FIA Formula 2First Race (40 Laps or 60 Mins)
18:00 - 18:20Promoter ActivityThe Flying Bulls Air Show TBC

SUNDAY 1st JULY
09:45 - 10:20GP3 SeriesSecond Race (18 Laps or 30 Mins)
11:00 - 11:50FIA Formula 2 Second Race (28 Laps or 45 Mins)
12:15 - 12:50Porsche Mobil 1 Supercup Race (16 Laps or 30 Mins)
13:00 - 13:20Promoter ActivityRed Bull Legends' Parade
13:30 - 14:00Formula 1Drivers' Track Parade1
14:05 - 14:25Promoter ActivityThe Flying Bulls Air Show TBC
14:10 - 14:25Promoter ActivityStarting Grid Presentation
14:56 - 14:58Formula 1National Anthem
15:10 - 17:10Formula 1Grand Prix (71 Laps or 120 Mins)



前置きが長くなりましたが、7月1日の6:00に一緒に行く会社の同僚をピックアップして、ミュンヘンを出発し、レッドブル・リンクのあるシュピールベルグまで365kmを走りました。

ちなみにシュピールベルグは英語読みでスピルバーグとなり、かの有名監督の祖先もここの出身だそうです。

レース場周辺での長い渋滞を危惧しましたが、幹線であるシュピールベルガー通りを降りるまでは渋滞はゼロ。
シュピールベルガー通りを降りて、若干渋滞はあったものの10:30前にはレッドブル・リンクに着くことが出来ました。

なお、General Admissionに行くには、オーベレ・ザヘンドルファー通り(Obere Sachendorferstraße)にあるP10.1 の駐車場か、ビルカッハ通り(Birkachweg)を上ったP10の駐車場が近いです。(たぶん、パドック席チケットを持っていない客は、無条件にここに誘導されると思います。)

P10の方がレース場に近いので、我々はそちらに駐車しましたが、 帰りの事(後述)を考えると、約1km歩いてもP10.1に停めた方が良いかも。


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車を停めた後も、ヘーエン通り(Höhenstraße)を会場まで歩きます。
なお、この周囲にキャンプしている人も大勢いました。

前を歩く人の頭越しに見える建物は、マックス・フェルスタッペン・ヴィレッジ(Max Verstappen Village)と言うホテル。(レッドブルのドライバーの名前)

左から延びる森の所に、レース場への入り口があります。
レース場内で飲食する事は出来ますが、土産物屋は会場の外にしかないので、事前に買うのが良いかも。
(会場に入っても、外に出る事は出来、我々は一旦会場に入った後に、購入のために外に出ました。)


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General Admissionは丘の斜面に適当に座るだけ。
ピックニック気分で観戦できます。
なお、上の写真は13:30に撮影したもので、かなり混雑していますが、我々が到着した時は、もう少し空きスペースがありました。


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11時になって、F2 のレースが始まりました。


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12:15からはポルシェのワンメーク・レースが始まりました。


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13:00からはレッドブル主催のレジェンド・パレードです。
スケジュール表にはパレードと書かれていましたが、昔のスポーツカーによるレースでした。
70年代後半のスーパーカー・ブームに活躍した名車も走っており、私は満足しました。

なお、各イベントの間には少し間があるので、その間に飲食したり、土産を買ったり出来ます。


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13:30からは、F1 ドライバーがトレーラに乗ってパレードをしました。


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14:05からはレッドブル主催のエアーショーが始まりました。
レッドブルのペイントを施した単機の飛行機が華麗に飛び回って観客を楽しませてショーは終了、と思いましたが・・・


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爆音を響かせ、飛行機の編隊が会場上空に侵入してきました。


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先頭からB-25 ミッチェル爆撃機、P-38 ライトニング戦闘機、アルファジェット x 2機の編隊。
B-25とP-38は第二次世界大戦の飛行機で、未だに飛べるだけでも大したものです。


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そして単機で戦闘機が侵入してきました。と思ったら、T-28 トロージャン 練習機でした。
1949年に初飛行した大戦後の飛行機です。


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B-25 ミッチェルの機首には(他の機もどこかに描かれていますが)、レッドブルが描かれています。

なお、太平洋戦争中の1942年4月18日、ヨークタウン級空母ホーネットから16機が発進し、日本本土を初めて爆撃した爆撃機です。
爆撃機で空母から発艦すると言う危険な作戦に参加したパイロットも勇気がありますが、それを可能にした短距離離陸性もすごいです。


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P-38とアルファジェットの曲技飛行。
速度差のあるプロペラ機とジェット機の曲技飛行には技量がいると思います。
さすがエアレース(曲技)を主宰するレッドブルです。


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最後はハートマークを空に描いて終わりました。
(日本のブルーエンジェルスでは、ハートの真ん中に矢を射てましたが、ここでは無し。)

エナジードリンクで大成功し、20年で車や航空機のレースでも有名になったレッドブルは、これまでアメリカの企業と思っていましたが、オーストリア発祥なのですね。
ザルツブルグ空港の横には、ハンガー7(Hangar-7)と呼ばれる航空機やレーシングカーの博物館もあるようなので今度行ってみようかな?



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14:30からウォームアップ走行(?)が行われました。


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15:00、山のほうからヘリコプターの音がし、UH-1 イロコイがオーストリアの国旗を運んできました。


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判りにくいかも知れませんが、この時、正面の座席もオーストリア国旗の色に変わっていました。
オーストリア国歌(と思われる)が流れて、いよいよレースの開始を待つだけになりました・・・


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と思ったら、もう一つイベントがあり、ジェットパック・マンの飛行デモがありました。
いやー、レース開始まで、観客を飽きさせない演出がすごいです。
他のレースでは、ここまでの演出は無いでしょうね。


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レース前のウォームアップ走行中。


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15:10に予定通り、オーストリアGPが開催されました。

しかし、1周目の、バックストレート手前の第2コーナーで、トラブル発生。
フェラーリ以下数台がコースアウトする陰で、トロロッソのガスリーにマクラーレンのバンドーンが追突しました。
ガスリーは最後までそのダメージを引きずってレースをしていたそうです。

その後、11周目にルノーのヒュルケンベルグのPUがブローしてコースアウトし、14周目にはメルセデスのボッタスがギアボックスのトラブルでリタイヤと、レースはサバイバル戦の様相となりました。


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ゼッケン10番のトロロッソのピエール・ガスリーです。
トロロッソはホンダど協力を始めて関心を持ちましたが、この美しい青のボディーや、本拠地がファエンツァである事もあって好きになりました。

ガスリーは1週目のダメージを感じさせない快走で、一時は8位まで順位を上げ、11位を走るハートレーと共にダブル入賞も期待していました。


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ゼッケン33番、レッドブルのエース、マックス・フェルスタッペンも快走します。
一時はリカルドと共に、1位、2位を確保したものの、54週目に4位を走行していたリカルドがギアボックスの不具合でリタイアしました。


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この日一番不運だったのはメルセデスチーム。
前述のように14周目にボッタスのリタイヤ後も、トップグループを走っていたハミルトンが、64周目にタイヤの限界で、まさかのリタイヤ。(写真左側にハミルトンの車が止っています。)


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運び出されるメルセデスの車。

我々のそばには、レッドブルとフェラーリの応援団がいて、ちょっとぎくしゃくした雰囲気でしたが、この時は両応援団が仲良く話をしていました。


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マックス・フェルスタッペンが、レッドブルチームの母国グランプリで初優勝をしてレースは終了しました。
2位はライコネン、3位はベッテルが続き、フェラーリがダブル表彰台を獲得しました。
(上の写真は、レース後のラップです。)


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我らがトロロッソは、56周目にハートレーがマシンの不具合でリタイヤし、ガスリーもタイヤの限界により、最後の最後で、マクラーレンのアロンソ、ザウバーのルクレール、エリクソンに抜かれ、11位でゴールし、入賞を逃しました。

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皆、渋滞を避けるため、レースの終了と共に、レースの結果発表や表彰式も見らずに会場を後にしていましたので、我々も続きました。
しかし、P10に着いて車に乗り込むものの、駐車場内で車が全く動か無い状態で30分位待っていました。
(ほとんど出口に近い位置に停めたにも関わらずです。)

このようなイベントで渋滞するのは仕方ないですが、全く動かない状況は何とか改善してほしいものです。
待っている間に、レッドブル・レディーが渋滞中の車にドリンクを配ってくれたのはGoodでしたが。

何とかビルカッハ通りに出た後もノロノロ運転で、オーベレ・ザヘンドルファー通りに出てようやく普通に走る事が出来ました。
1km遠くても、この渋滞を考えると、オーベレ・ザヘンドルファー通り沿いにあるP10.1の駐車場の方が良いかも知れませんね。

オーベレ・ザヘンドルファー通りに出た後は、大きな渋滞も無く、ミュンヘンまで365kmを走って帰りました。


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今回、購入したお土産です。
本当はトロロッソグッズを買いたかったのですが、マイナーチームの品は売っていませんでした。
ファエンツァに行ったら売っているかな?


終わり。





ハプスブルグ帝国の都 ウィーン訪問 その6

2018年5月19日~21日にウィーンを訪問してきました。

5月21日、13:00にカールスプラッツ駅から地下鉄に乗り、次に向かったのは、ドナウ運河の北側にあるアウガルテン(Augarten)。


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タボー通り(Taborstraße)駅で地下鉄を降り、オーベレ・アウガルテン通り(Obere Augartenstraße)を北西に歩きます。 
アウガルテンの名前は知っていましたが、どのような場所かも判らず、何となく丘陵地帯を想像していましたが、平地に広がる公園でした。

上の写真は、壁の向こうに見えたアウガルテン宮殿(Augartenpalais)。
元は17世紀後半に狩猟用の城として造られましたが、19世紀にフランツ・ヨーゼフ1世によって、今の宮殿に拡張されました。
今はウィーン少年合唱団の本拠地、兼、学校として使われています。


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アウガルテン公園の入り口です。

13:15に到着。


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ゲートを抜けると、目の前にアウガルテン磁器工場があります。
アウガルテンの元となる工場は、「ウィーン磁器工房」の名前で、1718年に、マイセンに続く欧州で二番目に古い磁器工場として造られました。
「ウィーン磁器工房」は1864年に一旦閉鎖されましたが、1924年からこの地に移って「磁器工房アウガルテン」として生産を再開しました。

博物館も兼ねているので入って見たかったのですが、この日は残念ながら閉館していました。


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工場の前に建つ、アウガルテンの旗。


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工場から見た、入り口のゲート。
この建物は、元は宮殿として建てられたため、前には広い庭があります。


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入り口の前にあった花。


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磁器工房の西は広大な公園になっており、ウィーン市民の憩いの場所になっています。
この日も多くの人が、散歩、日光浴、サッカー等を楽しんでいました。


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磁器工房に併設したカフェは開いていたので、ランチ代わりにアイスクリームを買いました。


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第二次世界大戦時には、ウィーンを守るために、この地に高射砲台座が造られました。
上の写真は公園の北側に建つ高射砲台座。


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これは西側に建つ高射砲台座。

戦いの歴史が好きな私にとっても、緑豊かな公園に建つコンクリートむき出しの巨大な塔には、強い違和感を覚えました。(軍事的にも、ここだけに作っても効果は薄いですし。)
頑丈に作られているので、壊すのもお金がかかるのでしょうね。
いつもは安易な平和主義には違和感を覚えますが、塔の下に書かれた落書き「NEVER AGAIN」には共感しました。


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市民が憩う公園と高射砲台座。

広い公園を一回りしたので、結局ここには約1時間おり、14:10に公園を出ました。


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地下鉄で、ウィーン旧市街に帰って来ました。
夕方の飛行機まで残り時間も短くなったので、ここからはウィーン旧市街で行き残した所を回りました。
特に、ローマと、皇后エリザベト(シシー)に関わる場所を押さえました。

上の写真はホーハー・マルクト(Hoher Markt)広場にある、仕掛け時計アンカーウアー(Ankeruhr)。
ビルの谷間にひっそりとありました。


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広場の中央にある結婚式の噴水(Vermählungsbrunnen)。


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そして、この広場にはローマ博物館(Römermuseum)があるので入りました。
入場料は、5ユーロ(Vienna City Card価格)。

ウィーンも元をただせば、古代ローマ時代にドナウ川防衛線に作られた駐屯地が発展して都市になった町です。
上の写真にあるように、旧市街の真ん中(赤い部分)に、ローマ軍団の駐屯地がありました。


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この駐屯地も、他のローマ軍団の駐屯地と同様、四角形の城壁と塔に囲まれた城塞です。


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工事の際に、ローマの遺跡が見つかった事から、ここに博物館が造られました。
写真は暖房のために二重構造となった建物の床部分。


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床と壁が二重構造となって、暖房を行っていた事を説明した看板。

なお、博物館の一部が道路下にはみ出しているようで、見学の途中、常に馬車の蹄の音が響いていました。


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後背部の丘陵地帯から水道橋で水を引いていた事を説明するビデオ。
でも、ドナウ川に面していたのに、水道橋が必要だったのでしょうか?

小さな博物館で、古代ローマ時代のウィーンを説明しているのみ(モザイク等の目を引く展示はありません)なので、歴史に興味が無い方にはお薦めしませんが、私にとってはウィーンの生い立ちが判って面白かったです。

なお、現在のクラーマーガッセ(Kramergasse)に、駐屯地の東側の城壁があったようで、エルトルガッセ(Ertlgasse)との交差点に、駐屯地の東の出入り口、プリンチパリス門(Porta Principalis)のあったようです。
近くにいたので、行ってみれば良かった。


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ホーハー・マルクトから東に歩いた所にある、レーゲンスブルガー・ホーフ(Regensburger Hof)。
かつて、この地には1410年に建てられたレーゲンスブルガー・ホーフがありましたが、再開発のために1896年に壊されました。1992-1993年に、かつての建物に似たビルを再建したそうです。

建物の前には、グーテンベルグの像が立っています。


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シュテファン広場から延びる大通りの一つ、グラーベン(Graben)通りです。

 
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  左:グラーベンにある、ペスト記念柱(Wiener Pestsäule)。
  右:グラーベンからホーフブルグに向かう途中に見えた、ミヒャエル教会の鐘楼。


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コールマルクト(Kohlmarkt )通りにある、カフェ・デメル。
かつては、オーストリア-ハンガリー帝国帝室御用達であり、今でもシンボルマークには双頭の鷲を使っています。フランツ・ヨーゼフ1世の皇妃エリザベト(シシー)も足繫く通ったそうで、ここのスミレの砂糖菓子が好物だったそう。今回、私も購入しました。(笑)

また、ホテル・ザッハーから、ザッハートルテの製造・販売権を入手しており、デメルでもザッハートルテを販売しています。


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ミヒャエル広場(Michaelerplatz)とホーフブルグの正面門。
初日にホーフブルグを見学しましたが、この広場を見るのは、この日が初めてでした。


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広場の中央には、古代ローマの遺跡があります。


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聖ミヒャエル教会(Kirche St. Michael)。
この教会も、両側のビルと融合していますね。


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ホーフブルグ横にある噴水。



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聖ミヒャエル広場から東に延びるライトシュール通り(Reitschulgasse)沿いにある厩舎。
スペイン馬術学校の馬が、ここで飼われています。

 
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  左:馬術ショーで使われる、白毛の馬が顔をのぞかせていました。
  右:馬術ショーの行われる、馬場への入り口。いわば馬の出勤路です。


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初日に歩いた、ヨーゼフ広場(Josefsplatz)。


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その向かいにある1783-1784年に建てられたパラフィキニ宮殿(Palais Pallavicini)。
特に建物の歴史は知りませんが、入り口で肉体労働を強いられている女性たちが不憫で(笑)、写真を撮りました。


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ノイアーマルクト(Neuer Markt)にある、ドンナーの泉(Donnerbrunnen)。


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ノイアーマルクトにあるケッヒャート宝飾店(Köchert jewelers)。
皇后エリザベトの星の髪飾りを作っている宝飾店です。
ネットで髪飾りをウィンドー越しに見れるとあったので来たのですが、この日は閉店しているためか、見る事が出来ませんでした。


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ケッヒャート宝飾店の訪問で、ほぼ観光も終わったので、飛行場に行く前に昼食を取ろうとウロウロしていると、ノイアーマルクトからケルントナー通りを通り過ぎたところに、イタリアレストラン「ダニエリ(Danieli)」を見つけました。

かつてのヴェネチア共和国の名門貴族ダンドロ家の屋敷を改装した、ヴェニスのホテル・ダニエリとは関係ないでしょうが、この名前だけで即決しました。(笑)


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まずはビールから。


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そしてメインには好物のスパゲッティ・カルボナーラを注文しました。
が、これが、予想以上に美味しかったです。
ダニエリの名前は伊達ではありませんでした。


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最後に寄ったのは、ケルントナー通りに直交するヴァイブルク通り(Weihburggasse)にある、カイザリン・エリザベト・ホテル( Hotel Kaiserin Elisabeth)。
歴史的なつながりは無いでしょうが、通りを歩いていて、目に入ったので寄ってみました。
でも、ホテルにとっては、ロビーに入って、写真を撮る日本人はちょっと迷惑だったでしょうね。


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17:40にウィーン市街を出て空港に向かいました。
20:25ウィーン空港発のルフトハンザ便でミュンヘンに帰ります。
21時近くで、ようやく日没です。
夏場は日が長くて観光に最適ですね。


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ミュンヘン到着。
一旦空港を通り過ぎ、ちょうどダッハウ上空で旋回中。
ダッハウ城が見えています。

これで、三日間にわたるウィーン旅行は終了です。
ハプスブルグ家の帝都で長い歴史を抱えた都であり、特にフランツ・ヨーゼフ1世とエリザト(シシー)に関連した場所が多く、楽しめました。

終わり



ハプスブルグ帝国の都 ウィーン訪問 その5

2018年5月19日~21日にウィーンを訪問してきました。

5月21日、8:30にホテルを出て、ベルヴェデーレ宮殿向かいました。



ウィーンのカールスプラッツです。
写真左端に見えるカールスプラッツ旧駅舎は、1899年に開業したシュタットバーンの駅舎で、アール・ヌーヴォー様式の建物が惜しまれ、シュタットバーンの廃止後も残されました。

中央に見える教会は、カールス教会(Karlskirche)です。
ベルヴェデーレ宮殿に行くのは、カールス教会の横を抜けるのが近いのですが、私は気付かず、ロートリンガー通り(Lothringerstraße)沿いに歩きました。


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しかし、少し歩いたところで、なぜか目の前にオペラハウスが見えてきました。(笑)


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オペラハウスに回り道をした後、9:05にホッホシュトラールブルネン(Hochstrahlbrunnen)に到着。
ベルヴェデーレ宮殿はこの噴水の、すぐ南東にあります。

噴水の後ろのモニュメントは、第二次世界大戦時にソビエトの赤軍によってウィーンが解放(占領?)されたことを記念した、ソビエト戦勝記念碑(Heldendenkmal der Roten Armee)です。


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9:15にベルヴェデーレ宮殿に到着。

ベルヴェデーレ宮殿は、ハプスブルグ家に仕えた軍人、プリンツ・オイゲンが造った夏の離宮。
1714年から1716年に下宮(Unteres Belvedere)、1720年から1723年に上宮(Oberes Belvedere)が建設されました。
1752年に子供を残さずプリンツ・オイゲンが亡くなった後、宮殿はマリア・テレジアに売却されました。


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前日に、上宮で9:00開館であることを確認していましたが、少し遅れて到着したにも関わらず、まだ開館していませんでした。
下宮と上宮で開館時間が違うようです。


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庭園を抜けて、上宮に向かっています。
昨夕の混雑とは違い、この時間は観光客も疎らで、ゆっくり庭園を見る事が出来ました。


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チケットを購入したついでに、上宮の南側の景色も見学。


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南側の門です。


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ベルヴェデーレ宮殿の入場料は、上宮と下宮のセットで19ユーロ(Vienna City Card価格)でした。

9:50に上宮に入場。


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ベルヴェデーレ宮殿は現在、美術館として使われています。

  左:フランツ・ザファー・メッサーシュミットのマリア・テレジア像(Maria Theresia)」(1760年の作)
  右:ヴェニス出身のジョバンニ・ジュリアーニによる、「聖ロクス像(Der heilige Rochus)」
    (1710-1712年の作)。
    ヴェネチア派の彫像は珍しいと思いました。


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ゲオルグ・マーチン・イグナズ・ラーブの「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像」と「皇后エリザベトの肖像」。
(1874年の作)。


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フランツ・フォン・マッシュの「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の臨終(Kaiser Franz Jpseph I. auf dem Sterbebett)」。
(1916年の作)


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ジャック=ルイ・ダヴィッドの「アルプスを越えるナポレオン」。
(1801年の作)
スペインとフランスの友好を記念して描かれた、有名なナポレオンの絵ですが、実は原画の他に4枚の複製(いずれもダヴィッドが描いています)が描かれたそうです。
現在、原画はフランスのマルメゾン城の美術館に展示されており、4枚の複製は、ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿、ヴェルサイユ宮殿に2枚、そして、ここベルヴェデーレ宮殿に掲げられています。

フランス軍を導く凛々しい騎馬像が描かれていますが、実は創作で、実際のナポレオンは、軍隊に数日遅れてガイド付きでロバに乗ってアルプスを越えたそうです。(笑)


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階段のホールにはゲロルド・トッシュ(GEROLD TUSCH)作の現代アートが置かれていました。
ウニウニした触手系ですが、これ、アートなのかなぁ?
(2013年の作)


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ベルヴェデーレ宮殿で一番人気は、クリムトの絵画。
有名な絵画「接吻(Der Kuss)」(1908-1909年の作)の前では、常に多くの人が記念撮影をしていました。
金を使った豪華さと、エロスを感じさせるが画風が特徴ですが・・・、個人的には好きな画家ではありません。


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  左:同じくクリムトの有名な絵「Judith」。(1901年の作)
  右:「女性の肖像((Frauenbildnis)」。 (1893の作)
    驚くほど写実的な絵で、同じクリムトの絵とは思えません。
    やればできるのですね。(笑)
  

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「1862年のマリー・ケルナーの結婚(Marie Kerner von Marilaun als Braut im Jahr 1862)」。
(1891-1892年の作)


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「ソニア・クニプス(Sonja Knips)」。(1897-1898年の作)
同じくクリプトの絵ですが、印象画派の影響が強くなっています。


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ゴッホ作の「オーヴェルの平地(Die Ebene von Auvers)」。
(1890年の作)



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オスカー・ラスケの「愚か者の船{Das Narrenschiff)」。(1923年の作)
人間の業を描いているのだと思いますが、私には子供の描いた絵にしか見えません。


以下は19世紀末の風景画です。

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カール・モール作の「ナッシュマルクトの風景(Der Naschmarkt in Wien)」。
(1894年の作)


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レオポルド・カール・ミューラーの「カイロの市場(Markt in Kairo)」。
(1878年の作)


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ルドルフ・フォン・アルトの「ステファン教会(Der Stephansdom in Wien)」。
(1832年の作)


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入り口に建つ、フランツ・ザファー・メッサーシュミットの造った「マリア・テレジア像」。


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一階には中世の通称が展示されていました。


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一階のカフェに飾られた、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベトの肖像画。


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上宮の見学を終え、再び庭に行くと、噴水が上がっていました。


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11:30に下宮の見学を開始しました。


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下宮の西の端の部屋。
写真の手前を右に行くと、下宮に行きます。
左前に行くと、ランジェリ―に行きます。


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下宮の中央にある大ホール。


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下宮も美術館になっていますが、ここにもクリムトの絵がありました。

  左:「アマリエ・ツッカーカンドル(Amalie Zuckerkandl)」。(1917年-1918年の作)
  右:タイトル不明(記録し忘れました)


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下宮は、現代絵画をメインに展示されています。
上の写真は、ヴァルター・トリアーの「世界大戦開始時の政治・軍事情勢」。(1914年の作)


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フランツ・ゼドラチェック「木の上の幽霊」。(1933年の作)


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オットー・ノイラートの「地球上の力」。(1930年の作)


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下宮の西翼のホール。


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西翼にある鏡の間です。


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宮殿の北西の角にある建物には、宗教画が展示されています。


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宮殿の西にあるオランジェリも美術館になっています。


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オランジェリーの庭園。
正面は下宮。


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オランジェリ(左)と下宮(右)。


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オランジェリーの庭園。

12:15にベルヴェデーレ宮殿の見学を終えました。


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ベルヴェデーレ宮殿の西側には、1697年から1728年にシュヴァルツェンベルク家によって作られたバロック式の宮殿、シュヴァルツェンベルク宮殿(Palais Schwarzenberg)がありますが、工事中で近づけませんでした。


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仮設の展望所から見た、宮殿の建物。


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ベルヴェデーレ宮殿を出て、カールスプラッツに戻る際、カールス教会の横を抜けました。


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カールス教会です。
1713年に、ペスト撲滅を祈願して、神聖ローマ皇帝カール6世が造ったバロック様式の教会です。
ローマのトラヤヌス帝記念柱にヒントを得た二本の円柱が特徴。

13:00にカールスプラッツ駅から地下鉄に乗り、次の目的地に向かいました。

続く。


ハプスブルグ帝国の都 ウィーン訪問 その4

2018年5月19日~21日にウィーンを訪問してきました。

5月20日、シェーブルン宮殿を出て、代替バスと地下鉄を乗り継ぎ、ウィーン中央駅に向かいまいした。


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14:35にウィーン中央駅に到着。
一帯が再開発されたようで、予想以上に近代的な駅でした。


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中央駅から東に歩くと、ウィーンの現代美術館「Belvedere 21」がありますが、そこから南下すると、かつてのアルゼナル(兵器工場)があります。
ハプスブルグ帝国を支えたアルゼナルだけあり、広大な敷地に多くの建物があります。
最初これが目的の建物かと思いましたが、別の建物(OBJEKT 3)でした。


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そこから東に城のような建物が見えましたが、これも違う建物(OBJEKT 1)でした。


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OBJEKT 3とOBJEKT 1をつなぐように、OBJEKT 2が建っています。


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その中には大砲が展示されていました。
(ここは入場無料)


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OBJEKT 1の南にあった、OBJEKT 18が私の目的の、ウィーン軍事史博物館(Heeresgeschichtliches Museum)でした。
この博物館は道中に案内の標識が無く判りにくいです。


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OBJEKT 18から見た、OBJEKT 1。


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博物館の入場料は、Vienna City Cardの利用で、4ユーロ。
ただし、中で写真を撮るのは更に2ユーロ払う必要がありました。

1階のホールは「将軍たちのホール」です。
この階には近世から第二次世界大戦までの展示がありますが、まずは二階に上がります。


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階段の踊り場には、この兵器庫を作った、フランツ・ヨーゼフ1世の像がありました。


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階段の上にある女神像。

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ローマ女神や、バヴァリア女神のような、ウィーンかハプスブルグを象徴するような女神でしょうか?


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二階には「名声のホール」があります。


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ホールの天井の絵。


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最初の展示エリアには17世紀の30年戦争、トルコとの戦争とプリンツ・オイゲンに関する展示がされています。
上の写真は、30年戦争の中の、1639年のディーデンホーフェン(Diedenhofen)の戦いです。
 

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これは1683年の第二次ウィーン包囲戦の戦いの概略図です。
中央上部の青い丸部がウィーンで、赤い矢印が、ポーランド軍とオーストリア軍、およびドイツ諸侯軍(バイエルン、フランケン=シュヴァーベン、ザクセンが主力)の援軍です。

ウィーン包囲から2ヵ月たった、9月12日に援軍がウィーン北西の丘陵地帯に到着。
その夕刻にトルコ軍に総攻撃を行い撃破しました。

戦いの後に援軍の総指揮官、ポーランド王のヤン3世は、古代ローマのカエサルの言葉に倣って、「来た、見た、神は勝利した」と語ったそうです。


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ウィーンの解囲戦を描いた絵。


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ウィーン包囲と、その後のトルコへの反撃で頭角を現し、その後オーストリアを代表する将軍となった、プリンツ・オイゲンに関わる展示です。

 左:プリンツ・オイゲンの肖像
 右:プリンツ・オイゲンの服


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彼は、1736年に72歳でウィーンで亡くなりました。
上の写真は、葬儀の際の棺のおおいです。


次の展示エリアは、18世紀のマリア・テレジアの時代の展示。
ただし、前半はカール6世の時代の展示でした。

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オスマン軍の天幕。
1716年のペーターワルダインの戦いで倒れた、オスマンのダマド・アリ・パシャの謁見用の天幕と考えられています。


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ベオグラードの戦いで使われた臼砲。

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写真は7年戦争で活躍したエルンスト・ギデオン・フォン・ラウドン将軍の肖像画。
胸にはマリア・テレジア軍事勲章-大十字章を付けています。


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プロイセンとの戦いで、敵から奪った軍装品の数々。


「名声のホール」を抜けて、反対側の展示エリアは、「オーストリアとヨーロッパ」。
1789年から1866年までの、フランス革命から続く、市民/民族運動の時代です。


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フランス革命政府との戦争で、1796年に捕獲されたフランス軍の観測気球。


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ナポレオンの肖像(左)と、彼が着たとされるロシア士官のコート(右)。
年代は1814年となっていましたが、この年は、1812年のロシア遠征の失敗後の、連合軍の攻勢により、フランス国内で絶望的な戦いを行った後に、退位しエルバ島に流された年。
ロシア士官の服を着る機会があったのでしょうか?


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普墺戦争に終結を決めた、1866年7月のケーニヒグレーツ(Königgrätz)の戦いの絵。
絵のタイトルは「死の砲兵(The Battery of the dead.)」。
戦いで敗北したオーストリア軍の砲兵200門と騎兵師団1万が殿軍となって抵抗し、犠牲となる事で、オーストラリア軍の壊滅を避ける事が出来ました。

この戦いで、オーストリアはドイツ領から撤退。
また、1848年から続くイタリア独立闘争も、イタリア内での最後のオーストリア領だったヴェネト地方が1866年にイタリア王国に併合されました。


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一階に移動し、次の展示エリア「フランツ・ヨーゼフとサラエボ」を見学します。

  左:ボスニア・ヘルツェゴビナの将校の軍服
    ボスニア・ヘルツェゴビナは1878年のベルリン会議でオーストリアが占領し、1908年に正式に
    オーストリア領に併合されました。
  右:テオドール・エードラー・フォン・レルヒのスキー装備
    南チロルでの軍務時代にスキーの重要性に気付いた彼は、軍を説得し、オーストリア軍にスキーを導入。
    1910年11月に交換将校として来日した後、日本軍にスキーを指導した事が、日本でのスキー普及の
    始まりとなりました。


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戦場を視察中のフランツ・ヨーゼフ1世の肖像。


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この博物館の一番有名な展示物は、第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件の展示でしょう。
1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナントが、サラエボを視察中に、ボスニア出身のセルビア人、ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺されました。
この事件をきっかけにオーストリアがセルビアに宣戦布告した事が第一次世界大戦の始まりでした。

上の写真は暗殺時にフランツ・フェルディナント夫妻が乗っていた車。


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フランツ・フェルディナンの血痕の残った軍服。

最初の暗殺は、他のメンバーが銃撃と手りゅう弾で襲撃したものの失敗。
(銃撃手は何故か発砲せず、手りゅう弾は後続の車に被害を与えたのみに終わった。)
フェルディナント夫妻は一旦市役所に逃げ込み難を逃れましたが、負傷者を見舞うために病院に向かう途中で、偶然、ガヴリロ・プリンツィプと遭遇し、暗殺されました。

全くの不運としか言えない偶然で発生した暗殺劇でした。


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上の列の左は最初の襲撃時に損傷した後続の車の窓ガラスの一部。
中央は最初の襲撃で使うはずだった手りゅう弾。
下の列の拳銃は暗殺者達の持っていたもの。


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第一次世界大戦の初め、アントワープのケッセル(Kessel)要塞にあったキューポラ。
オーストリアの305mm臼砲を受けて破壊されました。


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第一次世界大戦は塹壕戦/要塞戦でもありました。
人形は、敵の拠点を攻撃する、イタリア軍の突撃工兵。


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また、第一次世界大戦は多くの新兵器が登場しましたが、飛行機もその一つ。


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オーストリアの勲章。
左から聖ステファン勲章-大十字章の胸章、マリア・テレジア軍事勲章-司令官十字章、1級軍事殊勲十字章-
戦争と剣の装飾付き、大軍事殊勲メダル。
一番右は、ドイツ-プロイセンの、プール・ル・メリット勲章。


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最後の展示エリアは第二次世界大戦に関する展示です。

まずは、シュトルヒ。
って、「そこから入るかっ!?」という選択ですね。
シュトルヒは、ドイツ軍の短距離離着陸性能に優れた、観測・連絡用の飛行機で、第二次世界大戦期間中の全戦線で使用されました。


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これまた、大戦中の全戦線で使われた、ドイツ軍のキュベルヴァーゲン。


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20mm機関砲や88mm高射砲が並んでいます。


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リモコン戦車、ゴリアテです。


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  左:ドイツ軍の空挺部隊、降下猟兵です。
  右:ソヴィエト軍の軍装。

ここまで見たところで、17時の閉館時間となりました。

あっ、屋外展示の戦車を見損ねた!!!
是非見たかったので、時間を確認しながら見学ををしていたのですが、閉館時間を18時と思い込んでいました。
非常に残念です。


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戦車を、ちらっとでも見れないかとウロウロしていたら、カバーをかぶったビゲンと思われる戦闘機がありました。
ビゲンも見たことが無いので、見たかった。


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軍事史博物館の前にある、PROJEKT 1の正面です。
まるで城のようです。


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シュヴァイツァーガルテン(Schweizergarten)。
この公園を抜けると、PROJEKT 1に真っすぐ行けます。


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帰りは、プリンツ・オイゲンの作ったベルヴェデーレ宮殿の庭園を歩きました。
見学は次の日にしたので、紹介は次回にします。


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シュタットパーク(Stadtpark)駅まで歩いた後に、Uバーンに乗ってドナウ川に行きました。

写真はライヒス橋から見たドナウ川。


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ドナウインゼルの東側に流れる、新ドナウ川。


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ドナウインゼル(Donauinsel)駅は、ライヒス橋(Reichsbrücke)にある駅で、インゼル(島)と言うより、ほとんど新ドナウ川の上にあります。
帰りの駅から見た、新ドナウ川の北側の景色。


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プラター公園で途中下車し、有名な観覧車を見ました。


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これがプラター公園の入り口です。
プラターの森全体に、遊具やレストラン、博物館などがあります。


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時刻はすでに19:30。
この日も昼食抜きで、お腹が空いたので、公園のインビスでビールとカレーブルストを食べました。

夕食後は、真っすぐホテルに戻りました。


ウィーンの二日目は終わり。
三日目に続きます。



ハプスブルグ帝国の都 ウィーン訪問 その3

2018年5月19日~21日にウィーンを訪問してきました。

2018年5月20日、8:30にホテルを出て向かったのはシェーンブルン宮殿です。
9時に宮殿に着くようにホテルを出たつもりでしたが、カールスプラッツからマルガレーテンギュルテル間のU4線が工事で閉鎖されており、代替バスに乗り換えたりして時間がかかり、城に着いた時は9:30になっていました。


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シェーンブルン宮殿の前にあるオランジェリーで、今はコンサートホール等に使われているようです。


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宮殿の正門。

神聖ローマ皇帝マティアス(在位:1612年 - 1619年)が狩猟時に美しい(schön)泉(Brunn)を発見したためにこの地をシェーンブルンと命名したと伝えられています。
1693年に、レオポルト1世(在位:1658年 - 1705年)が、この地に狩猟用の別荘を建て、その後、歴代の皇帝らが増改築を繰り返し、マリア・テレジア(在位:1740年 - 1780年)の時代に完成しました。


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これがシェーンブルン宮殿の建物で、建物内の全ての部屋を数えると、1,441室あるそうです。
外壁は最初に金を塗ろうとしたそうですが、マリア・テレジアが財政状況を考慮し、黄金に近い黄色にしたそうです。

内部はオーディオツアーで回りますが、撮影禁止で写真はありません。

内部のツアーは22室を見学するインぺリアル・ツアーと、40室を見学するグランド・ツアーがあります。
両ツアーとも、最初の22室は同じコースで、グランド・ツアーのチケットを持ったメンバーは更に18室を見学するルートに入れます。
両チケットの金額の差は約3ユーロしかないので、私はグランド・ツアーをお勧めします。
なお、私はシシー・チケットを購入したので、シェーンブルンはグランド・ツアーを見学できました。

更に、グランド・ツアーに加えて、向かいの丘に建つグロリエッテや、メイズの入場も含んだ、クラシック・パスもあるようです。
私は、グロリエッテまで行ったのですが、屋上に上るのに3.8ユーロもしたので、上がるのは諦めました。


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私はゆっくり40室見学して、1時間10分かかりました。
見学を終えると、前の庭でバンドの演奏が行われていました。


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室内の見学後は、庭の見学です。
この時期、バラが綺麗に咲いていました。


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バロック式の庭園。
庭の奥には、ネプチューンの噴水と、その奥の丘の上にはグロリエッテが建っています。


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庭から見た宮殿。


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ネプチューンの噴水(Neptunbrunnen)。


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グロリエッテの建つ丘から見た宮殿とウィーン市街。
ここまで少し歩きますが、素晴らしい展望が見えるので、時間に余裕のある方には、お勧めです。


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丘の上にはもう一つ泉があり、その先にグロリエッテ(Gloriette)が建ちます。
このグロリエッテは、対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊の為に立てられた記念碑です。


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前述のように、グロリエッテに上るには、更に入場料3.8ユーロを払う必要があったのでパス。
グロリエッテの下から撮ったのが上の写真です。


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ネプチューンの噴水の裏側には、宮殿が見える窓があります。


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オーベリスクの泉(Obeliskbrunnen)。


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ローマ遺跡(Römische Ruine)。
本物ではなく、あくまでも古代ローマの遺跡風のモニュメントです。


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動物園も庭園の一部になっています。(別料金)
家族連れでにぎわっていました。


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パルメンハウス(Palmenhaus)は1882年に、皇帝フランツ・ヨーゼフの命により建てられました。
ヨーロッパ大陸では最大規模のパルメンハウス(温室)です。


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パルメンハウスの横にある日本庭園。
1913年にフランツ・フェルディナント大公が日本訪問から帰国後に、オーストリアの庭師たちに作らせましたが、オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後に荒廃して「アルプス風庭園」と呼ばれるようになり、日本庭園である事は忘れられました。
1996年に訪問した日本人が立石などを見て日本庭園ではないかと指摘。
その後、日本人の調査団が日本庭園であった事を確認した後に、修復を行い、1999年に開園式を行ったそうです。


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パルメンハウスの入場料は、後で紹介する砂漠の家とセットで、7.50ユーロ(Vienna City Card価格)でした。


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名前が不明な花。


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アジサイが綺麗に咲いていました。


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Camellia Japonicaとありましたが、ツバキの事でした。


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食虫植物も育てられていました。


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ジュラシックパーク見たい。(笑)


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亀もいました。


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名前が不明。


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続いて、向かいにある、砂漠の家(Wüstenhaus)に入りました。


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最初に出迎えてくれたのは、オマーン・トゲオアガマ(Oman-Dornschwanzagame)(右)と、サソリオヤモリ(Skorpionschwanzgecko)(左)です。
建物の中は温室になっており、砂漠地帯の動植物を展示しています。


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温室に入る前には、ドクターフィッシュによる、手の洗浄を受けます。(笑)


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温室内の景色。


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トカゲ。
名前を確認しませんでした。


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陸ガメです。


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黒尾ガラガラヘビ(Schwarzschwanz-Klapperschlange)。
脱皮したばかりのようです。


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雀のような赤い鳥。
多くの鳥が温室内を飛び回っていました。


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サボテンの花。


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ウェルウィッチア(Welwitschia mirabilis)は、男女の左右別性の個体を持つようです。


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バラ園のバラ。


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庭にあった彫像。

13:40にシェーブルン宮殿の見学を終え、次の目的地に向かいました。

その4に続きます。




ハプスブルクの帝都 ウィーン訪問 その2

2018年5月19日~21日にウィーンを訪問してきました。

5月19日15:30、国会議事堂前から、マリア・テレジア広場(Maria-Theresien-Platz)に来ました。
この広場の周囲には博物館が並んでいます。


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美術史美術館(Kunsthistorisches Museum Wien)。
ハプスブルク家がその富と権力をもって収集した数多くの美術品を展示しています。


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その向かいにある、ウィーン自然史博物館(Naturhistorisches Museum Wien)。
マリア・テレジアの夫フランツ1世のコレクションを基礎に、世界中から収集した、自然科学にまつわる品を展示しています。


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広場の中央に建つ、マリア・テレジアの像。
神聖ローマ帝国の皇帝カール6世に男子がいなかった事から、彼女がハプスブルグ家を継承しましたが、1740年にカール6世が崩御すると、周辺諸国は娘の相続を認めず、領土を分割しようと攻め込んできました。このオーストリア継承戦争(1740年 - 1748年)で、フランス、スペインの列強や、ブランデンブルク=プロイセン、バイエルン、ザクセンなどの諸侯の侵攻に屈しなかった事から、彼女は名声を高めました。

続く7年戦争でも、彼女はフリードリッヒ2世(大王)の率いるプロイセンと戦いました。


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レオポルド博物館や近代美術館や、ホールや劇場を集めた、ミュージアム・クウォータ―(MuseumsQuartier)です。


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以前の城壁(Ehemalige Umwallung)。
マリア・テレジア広場の向かいにある王宮に入る門です。


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ホーフブルグの新宮殿(Neue Burg)。


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新宮殿前のヘルデン広場(Heldenplatz)に建つ、カール大公の騎馬像。
フランス革命戦争、ナポレオン戦争期に活躍したオーストリア帝国の軍人です。


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同じく、新宮殿のに建つ、プリンツ・オイゲンの騎馬像です。
第二次ウィーン包囲に始まったオスマン帝国との戦争(大トルコ戦争)で活躍しました。


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新宮殿の南翼にある、世界博物館(Welt Museum Wien)。
世界中の文化に関わる品を展示しています。
3階の狩猟・武器博物館が目当てでしたが、同じチケットなので、世界博物館も見学しました。


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武器博物館のコーナーには、ハプスブルグ家の集めた多くの甲冑が展示されています。


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スペイン王も兼ね、ハプスブルグ帝国の最大版図を持ったカール5世の甲冑(右)と、その息子であるスペイン王、フェリペ2世の甲冑(左)。


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細かな模様の入った美しい甲冑は、アレッサンドロ・ファルネーゼのもの。
ローマ教皇パウルス3世となったアレッサンドロではなく、 パルマ公およびピアチェンツァ公のアレッサンドロです。ファルネーゼ家ですが、彼の母がハプスブルグの血を引いているので、ここに展示されているのでしょう。


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ここから先は立ち入り禁止ですが、新王宮の円弧状の建物が良く判ります。


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17:30に博物館を出て、隣のブルク ガルテン(Burggarten)に行きました。
この庭での一番の見どころ(?)、モーツアルトの像。
その像の前には花で形作られたト音記号があります。

この時、スプリンクラーが回転しながら豪快に水を撒いており、その間隙をついて写真を撮る必要がありました。
私の前に撮っていた人は、スプリンクラーに気付かず、頭から水をかぶっていました。


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次に向かったのは、王宮のそばにあるカプツィーナー教会の地下にある、皇室の墓所、カプツィーナー墓所(Kapuzinergruft)です。
1617年、神聖ローマ皇帝マティアス(在位:1612年 - 1619年)の皇后アンナが、自分たち夫妻の墓所を建てるために資金を準備。
マティアスの後に皇帝となったフェルディナンド2世(在位:1619年 - 1637年)によって1622年から1632年に建設されました。

上の写真はレオポルド墓所(Leopoldsgruft)と呼ばれる部屋。
左手前の奥には、構想および資金提供を行った、マティアス皇帝とアンナ皇妃の墓所があります。


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中央は神聖ローマ皇帝フェルディナンド3世(在位:1637年 - 1657年)の棺です。
彼の治世の前半はフェルディナンド2世の起こした30年戦争と、その終結に費やされました。
30年戦争で神聖ローマ帝国は疲弊し、ハプスブルグ家の権威は低下しました。
そのためか、彼の棺も質素です。


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続くカール墓所(Karlsgruft)にある、カール6世(在位:1711年 - 1740年)の棺。
彼は男子の後継を残さずに亡くなったため、娘のマリア・テレジアがハプスブルグ家を継ぎました。


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マリア・テレジア墓所(Maria-Theresien-Gruft)にある、マリア・テレジアと、夫フランツ・シュテファン(神聖ローマ皇帝フランツ1世/在位:1745年 - 1765年)の棺です。
当時の高貴な家系では極めて珍い恋愛結婚をした、この夫婦の仲はすこぶる円満だったようで、棺の上でも見つめ合っています。


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フランツ墓所(Franzensgruft)にある、最後の神聖ローマ皇帝、フランツ2世(在位:1792年 - 1806年)の棺。
1805年の三帝会戦(アウステルリッツの戦い)でナポレオンに惨敗し、自ら「ローマ皇帝」の称号を放棄したため、神聖ローマ帝国は名実ともに消滅しました。

一方で、ハプスブルグ家の世襲領であるオーストリアとハンガリーを中心として、オーストリア帝国を再編し、オーストリア皇帝フランツ1世(在位:1804年 - 1835年)となりました。


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第2代オーストリア皇帝、フェルディナンド2世の眠る、フェルディナンド墓所(Ferdinandsgruft)を抜け、新墓所(Neue Gruft)に入りました。

ハプスブルグ家ゆかりの人の棺が並ぶ中、一つだけ独立して置かれていたのは神聖ローマ皇帝フランツ2世の娘、マリア・ルドヴィカ(Maria=Ludovika)の棺。
フランス名は、マリー・ルイーズ(Marie-Louise)で、ナポレオン1世の皇妃です。


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新墓所の角には、第三代オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の両親である、初代オーストリア皇帝フランツ1世の三男、フランツ・カール大公(奥)とゾフィー大公妃(手前)の棺です。
間にある小さな棺は1840年に死産となった男児の物。


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フランツ・ヨーゼフ墓所(Franz-Josephs-Gruft)にある、フランツ・ヨーゼフ1世の棺(中央)と、皇后エリザベト(シシー)の棺(左)、長男ルドルフ皇太子の棺(右)。

フランツ・ヨーゼフ1世は家族を愛していましたが、不幸が続きました。
長男ルドルフ皇太子は1889年に自殺(心中)。
更に最愛のエリザベトも1898年にイタリア人の無政府主義者ルイジ・ルキーニに暗殺されたことは彼に大きな衝撃を与えました。
彼はこれらの身内の不幸にもめげず、勤勉に国務を遂行し、1916年に86歳で亡くなりました。

この部屋を見ている時に、スタッフの人が、閉館を告げに来たので慌てて退場。
時刻はすでに18時を過ぎていましたが、シシーとフランツ・ヨーゼフ1世の棺を、きちんと見れて良かったです。


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シュテファン大聖堂に戻って来ました。
18時を過ぎても、日は明るく、人通りも多いです。


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そのまま、ローテントゥルム通り(Rotenturmstraße)を北東に進みました。


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ドナウ運河です。
ただ運河と言っても新規に作ったものでは無く、古代ローマ時代からここには川が流れたようです。


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晩御飯のために、ローテントゥルム通り沿いにあるレストラン「ヒンターホルツ(Hinterholtz)」に入りました。


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店の中は山小屋風で、お洒落。


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オーストリアのビールに何があるか聞くと、無条件に出てきたビール。
デュンケルビール(黒ビール)で少し甘みのあるビールでした。


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ウィーンでの初日の夕食は、当然(?)シュニッツェル。
と言っても、仔牛ベースのオリジナルではなく、ポークベースのヴィーナー風(Wiener Art)を選択。
美味しいのですが、ドイツと同じで、このボリュームはすごい!


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夕食を終え、ホテルに戻って来ました。
今回は旅行直前に予約したため、他のホテルが非常に高い値段になっている中、ここだけはリーズナブルな価格でした。
恐らく、私の部屋と、その隣の部屋は後から拡張された部分と思われ、その二部屋だけがシングル・ルーム(狭い)なので、リーズナブルな値段にも関わらず、直前でも空いていたのでしょう。
私は狭い部屋でも、全く問題ないのでラッキーでした。

ウィーンでの初日はこれで終わり。
二日目に続きます。



ハプスブルクの帝都 ウィーン訪問 その1

2018年5月19日~21日にウィーンを訪問してきました。

ウィーンは、1278年から1918年の第一次世界大戦の終わりまで、ハプスブルグ家の本拠地として発展を遂げました。
ハプスブルグ家の起こりはスイスだったようですが、中世初期からオーストリアに軸足を移し、勢力を拡大。
15世紀中旬からは、神聖ローマ皇帝位を、ほぼ世襲し、更に16世紀中旬のカール5世の時代には、スペイン王、ナポリ王、シチリア王も兼ね、大帝国を築きました。
19世紀初頭に神聖ローマ帝国が解体した後も、オーストリア帝国(後にオーストリア=ハンガリー帝国)の首都として大いに発展しました。

なお、今回調べて知ったのですが、ハプスブルグ家は、古代ローマのユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称していたそうです。(笑)

5月19日の7:20にミュンヘン空港を出発し、8:20にウィーン空港に到着。




空港のツーリストインフォメーションで、Vienna City Cardを購入しました。
ウィーンには観光客用にVienna PassとVienna City Cardのプログラムがあります。
Vienna Passは公共交通機関の料金と、観光地の入場料を含んだカードで、毎回入場券を購入する手間が省けます。
Vienna City Cardは交通機関の料金と、入場料の割引がセットになったチケットです。
有名観光地を回りつくす予定の場合は、Passの方が良いと思いますが、私は行きたい所が限定されるのでCardを選択しました。
と言いつつ、実際は、事前に知らなかったので、ツーリストインフォメーションで説明を受けてもピンとこず、価格の安い方を選んだだけですが。

更に、Vienna City Cardは、赤いカードと、白いカードがあり、赤いカードは公共交通機関の料金が含まれ、白いカードはホップ・オン・ホップ・オフ・バスが乗り放題となります。
でも、Vienna City Cardは、赤でも白でも、空港から市内のチケットは含まれていません。
(この点は中途半端です。)


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私は、CATで市内まで移動しました。
ウィーン・ミッテ駅まで約20分、12ユーロでした。
空港の至るところに、市内まで最速とのCATの広告がありますが、約30分間隔の発車なので、場合によってはSバーンの方が早く着くと思います。


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10:00にウィーン・ミッテ駅(中央駅ではない)に到着しました。


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昔の市街の城壁のあった外側には運河(濠)がひかれています。


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旧城壁の外にある、Museum of Applied Arts。


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かつて、シュテューベン門(Stubentor)のあった所。


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Uバーン(地下鉄)のシュテューベン門(Stubentor)駅の入り口には、旧市街の市壁が残っています。
なお、シュテューベン・リングを渡ってすぐに、Uバーンの入り口があり、私はそこから駅に入りました。
しかし城壁は反対側で、地下鉄のホームを反対の端まで歩きました。


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今の地上より、かなり掘り下げられて壁は作られており、地下鉄の構内にも城壁が残っています。


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Uバーンの入り口にある、壁の跡。
中世式の地上からそそり立つ壁ではなく、ぶ厚い堡塁状の城壁は、1529年のスレイマン1世による、第1次ウィーン包囲の後に強化されたものです。
この城壁が、1683年のオスマン軍の第2次包囲からウィーンを守りました。

なお、シュテューベン・リングを渡ってすぐにUバーンの駅への入り口があり、私は最初そこから下りましたが、ホームを反対側まで歩いて、ここに、たどり着きました。


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今回のホテルは、シュテファン大聖堂に近い、ホテル ドミツィル(Hotel Domizil)でした。
10:30にホテルに着きましたが、まだチェックインは出来なかったので、荷物を預けて観光に出ました。


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ホテルの横には、モーツアルトの家があります。
ホテルに面した側(左の写真)と、一本裏のドーム・ガッセ沿いに面した入り口(右の写真)。
なお、モーツアルトの家は、ザルツブルグで見たので、今回は内部の見学はパスしました。


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シュテファン大聖堂(St. Stephansdom)。
12世紀に建築が始まった、「オーストリアで最も重要なゴシック建築」とされる大聖堂。
地下のカタコンベにはハプスブルク家の歴代君主の墓所があり、モーツァルトの結婚式や葬儀もここで行われました。 

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北東側の屋根には、瓦で紋章が描かれています。
左はオーストリアの国章で、右はウィーンの紋章です。


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北の塔と、正面のファサード。


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正面の入り口は、大聖堂の最古の部分で、13世紀の後期ロマネスクのもの。
(なお、写真は次の朝に撮ったもので、観光客がいません。)


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大聖堂の中。
この日はメッセが行われており、フェンスの中には入れませんでした。


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大聖堂に付随する二つの塔。

 左:68mの高さの北の塔で、エレベータで上に上がれます。
 右:137mの高さを持つ南の塔。教会の塔としてはウルム大聖堂、ケルン大聖堂についで世界で3番目の
   高さ。67mの高さの監視員の部屋まで、343段の階段で上がる事が出来ます。

「煙と何とか」の「何とか」である私は、もちろん高い方の南の塔にチャレンジしました。
(でも、実際は南の塔も頂上まで上れないので、上れる高さは、それほど変わらないのですね。)
入場料は5ユーロで、ここではVienna City Cardの割引が効きませんでした。


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狭い階段を上りますが、往路も復路も同じ階段を使うので、すれ違うのが大変でした。


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これが監視員の部屋(Die Türmerstube)。
1529年と1683年の両ウィーン包囲戦とも、ここが監視・指揮所となりました。
周囲の景色は、部屋の窓から見ます。


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西の景色。
市庁舎やウィーン大学が見えます。

大聖堂の屋根は、約25万枚以上のタイルで造られ、各タイルはガラス張りで1枚2㎏の重さがあるそうです。
タイルだけで、500トン以上の重さがこの屋根に載っているのですね。


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北の景色。
こちらには近代的な建物が並んでいます。
左側にはアウガルテンの森が見えます。


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東の景色。
左にはウィーン・ミッテ駅、右にはベルヴェデーレ宮殿があります。


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南側の景色。
中央にケルントナー通り(Kärntner Str.)、右にホーフブルク宮殿(Hofburg)が見えます。


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大聖堂の見学を終え、ウィーン一番の繁華街ケルントナー通り(Kärntner Str.)を歩きます。


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ケルントナー通りにあったクラシカルな壁画を描いたお店。


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ケルントナー通り37番にあるマルタ教会(Malteserkirche)。


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  左:1565年のマルタ包囲戦を指揮した騎士団長ジャン・ド・ラ・ヴァレットの碑
  右:壁に掲げられた騎士団員の紋章。


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世界3大オペラ座の一つで、音楽の都ウィーンが誇るオペラハウス。
北東側(裏側)からの景色。


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アルベルティナ広場(Albertinaplatz)。
噴水の上に建つのは、オーストリア皇帝フランツ1世の甥、アルブレヒト大公(Erzherzog Albrecht)の像。
 

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アルベルティナ広場のテラスから見た景色。
右はオペラハウスで、中央の建物がホテル・ザッハー(Hotel Sacher)。
ザッハートルテが有名です。
(21日に撮影)


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テラスの後ろに建つ、アルベルト大公宮殿(Palais Erzherzog Albrecht)。
(21日に撮影)
この宮殿は、ホーフブルグ(王宮)の一部です。


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ブルグガルテン(Burggarten)と、新宮殿(Neue Burg)。


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ブルグガルテンの北に広がる温室(Palmenhaus)。
その一部が、蝶の博物館(Schmetterlinghaus)になっています。


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北側に抜け、ヨーゼフ広場(Josefsplatz)に来ました。
広場の中央にはマリア・テレジアの長男で、神聖ローマ皇帝、ヨーゼフ2世の像が建ちます。
中央の建物は国立図書館(Hofbibliothek)。
左の建物はアウグスティーナー翼(Augustinertrakt)で、右はレドウテンザール翼(Redoutensaaltrakt)です。


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アウグスティーナー翼の左側にある入り口は、アウグスティーナー教会(Augustinerkirche)のもの。
1339年にフリードリッヒ美王の命で造られ、当時は独立した教会でしたが、その後の王宮の拡張で、王宮に組み込まれてしまいました。

この教会では、多くのハプスブルグ家の結婚式が行なわれておリ、1736年には、マリア・テレジアとロートリンゲン公フランツ・シュテファンが、1770年にはマリーアントワネットとルイ16世の代理人が、1854年にはフランツ・ヨーゼフとエリザベートが、ここで式を挙げています。


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ハプスブルグ家ゆかりの教会としては、内部は質素な装飾ですが、祭壇だけは豪華です。


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シュバイツァーホーフ(Schweizerhof)を抜けて、イン・デア・ブルグ(In der Burg)へ来ました。
門の上には、1552年に作られたフェルディナンド1世の碑。
ローマ王(ドイツ王)、オーストリア大公、ボヘミア王、ハンガリー王であることを示しています。


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門の左側にある、1536年にフェルディナンド1世が、ローマ王、オーストリア大公、ボヘミア王、ハンガリー王であることを示した碑。


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イン・デア・ブルグです。
中央に建つのはフランツ1世の像。
右の建物は、ライヒスカンツライ翼(Reichskanzleitrakt)で、中央の建物はアマリエンブルグ(Amalienburg)、そして左の建物がレオポルディニッシャー翼(Leopoldinischer Trakt)。


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  左:王宮の博物館(銀器博物館、シシー博物館、皇帝の住居がセット)の入り口。
    博物館内は撮影禁止だったので、写真はありませんが、ハプスブルグ皇帝の豪華な生活が
    判る博物館でした。
  右:階段ぐらいは良いかと思って撮った写真。

シシー(皇妃エリザベト)は、バイエルンのヴィッテルスバッハ家のマクシミリアン公の娘で、1854年にハプスブルグ家の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に嫁ぎました。
しかし、元々、自由奔放に育った事もあり、宮廷になじめず、人生の後半は皇宮を抜けだし、旅行に明け暮れました。
また、ハンガリーに入れ込み、自治を認めさせ、オーストリア=ハンガリー帝国の成立に貢献。

ヴィッテルスバッハ家のルードビッヒ2世とは従兄ですが、政務を放り出して城づくりに励んだ、我らがルーちゃんと言い、困ったもんです。
それでもフランツ・ヨーゼフ皇帝は最後までシシーを愛し続けました。
シシーはヴィッテルスバッハ家の出身であることもあり好きなのですが、今回の博物館の見学で、改めてシシーの困ったちゃんぶりと、フランツ・ヨーゼフ皇帝の良い人ぶりを改めて知りました。


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博物館の見学を終えると、アマリエンブルグの中庭に出ました。


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バールハウス広場(Ballhausplatz)から見たアマリエンブルグ(左)とレオポルディニッシャー翼(右)。


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フォルクスガルテン(Volksgarten)にあるシシー像。


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シシー像のアップ。
美しい人ですが、偏執的なまでに、その美貌を保つ努力をしました。


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19世紀後半のウィーン改造計画の一環で造られた市庁舎(Wiener Rathaus)。
ネオゴシック様式の美しい建物です。 


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市庁舎の向かいにある、ブルク劇場(Burgtheater)。
こちらも19世紀の後半に作られた建物ですが、1945年に爆撃と火災で焼失した後、19555年に再建されました。


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市庁舎の北側にはヴォティーフ教会(Votivkirche)が見えます。
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がテロによる暗殺から逃れられたことを感謝し、弟で後のメキシコ皇帝マクシミリアンによって1856年から1879年にかけて建てられました。


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市庁舎の南側にある、国会議事堂(Parlament)。
裏側の風景です。


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表側は工事中でしたが、幸い黄金の兜をかぶったアテナ像と、建物正面の破風は見えました。

ウィーンの見学、その2に続きます。




ザルツブルクに行って来ました ~その2

2017年10月29日(日)と31日(火)にザルツブルグに行って来ました。

10月29日(日)に、日本からミュンヘンに遊びに来てくれた友人夫妻とザルツブルグに行ったのですが、残念ながら天気が悪く、また名城のホーエンザルツブルグ城にも行けなかったため、祭日だった10月31日(火)に再びザルツブルクを訪問しました。

ドイツは休みでも、オーストリアは平日なので、前回駐車した所には停められないため、今回は「Alt Stadt」駐車場に駐車しました。
この駐車場はメンヒスベルグの丘の地下に造られており、駐車場から出ると、「馬の水浴び場(Pferdeschwemme)」の横に出ました。


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「馬の水浴び場(Pferdeschwemme)」
馬の洗う設備ですが、なぜこの場所に造られたのでしょうか?
この近くに厩舎でもあったのでしょうか?


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その横にあった建物。
なお、ここにも駐車場への出入り口がありました。


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その横にある「聖ブラシウス教会」。


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その西側にある「グシュテッテン門」。
かつてのザルツブルグ城壁の西の門でした。


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この日の一番の目的地は、2日前に行かなかった、「ホーエンザルツブルグ城」なので、登城口に続く、「カピテル広場」に来ました。
この日は、金の玉が良く光っていました。


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ケーブルカーで城に上ります。
なお、ケーブルカー乗り場の前の道を歩いても城に登れますが、この日はメンテのために通行不可との事でした。


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ホーエンザルツブルク城は、1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間に起こった叙任権闘争のさなか、教皇派の大司教ゲプハルトが皇帝派に対抗すべく建築した防衛施設です。
以降歴代の大司教により増築が繰り返され、17世紀後半に今の形になりました。

この城は、外敵に一度も占領されたことがなく、中世の要塞として完璧に保存されています。


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城内は博物館になっており、「操り人形博物館」「城館の博物館」「ライナー連隊博物館」を見学できます。
上の写真は、大司教の城内での居室であった「黄金の小間(Goldene Stube)」。
それ以外に、ガイドツアーに参加すると、一般には公開していない部屋や、塔に上れるようです。

中世の構造を残す城内の様子は、以下の攻城記で紹介しています。


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この城のもう一つの見どころは、城からの見晴らしです。
ザルツブルグ南側のメンヒスベルグの丘の頂上に立つので、城から周囲を一望できます。

上の写真は、城の北側の町の見晴らしですが、ザルツアッハ川を挟んだ旧市街(手前)と新市街(奥)の位置関係が良く判ります。
旧市街側は左からペーター教会、フランチスカーナ教会、大聖堂が並び、新市街側は上部中央にミラベル宮殿、右側にカプツィナー修道院が目立っています。


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カプツィナーベルグの全景。
写真で分かるように、この山全体に城壁が築かれています。


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更に東側の景色です。
写真の中央下部の赤い屋根の塔が、ノンベルグ修道院です。
(午後から訪問しました。)


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西側の景色はメンヒスベルグの丘と、その先にはオーストリア・アルプスの景色が広がっています。
メンヒスベルグの丘には、フレイ城やリヒターホェヘ(裁判官の高台)があります。
(後で紹介します。)


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別の場所から見た西側の景色。
こちら側はオーストリア・アルプスの景色が全面に広がっています。


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約2時間かけザルツブルグ城を見学しました。
写真は下りのケーブルカーから見た大聖堂です。


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朝は人も少なかったですが、12時を過ぎ、ケーブルカー乗り場も混雑しているようです。

なお、写真の反対方向が城へ歩いて登る道になります。
この時間も、メンテナンス中でしたが、行ける所まで登ってみました。


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上る途中から見たザルツブルグの町です。
城の上から見るのとは違う角度から見る事が出来ます。


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少し上ると登城路を守る城壁の最初の城門が出てきました。(左の写真)
城門を抜けると登城路は折り返し、次の城門に向かいます。(右の写真)
この時は城壁のメンテナンスのために、ここで通行止めでした。


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最初の城門を抜けたところに、先に乗ったケーブルカーが走っています。


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ケーブルカーの下をくぐると、城壁外に出る門「シャルテン門」があります。


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「シャルテン門」を抜けると、目の前に城が見えたので、そのまま歩いてみました。


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この城は「フレイ城(Freyschlössl)」です。


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たまたまフレイ城が見えたので、ただ、そこまで歩くつもりでしたが、途中の看板に「Richterhöhe」の名前がありました。
直訳すると「裁判官の高台」となりますが、これを「Ritterhöhe=騎士の高台」と読み違い(笑)、行ってみる事にしました。

少し歩いて振り返ると、「フレイ城」と「ザルツブルグ城」のツーショットが見れました。


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リヒターホェヘに到着しました。
ここはメンヒスベルグの丘の西南側に突き出した高台にある砦で、最初は1367年に築かれ、17世紀の30年戦争の期間中に強化されメンヒスベルグの丘の防衛設備に組み込まれました。

「ザルツブルグ城」の西南側が良く見えました。


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城壁の下にはワイン用のブドウ畑が広がっていました。


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砦の南の守り、「ヨゼフ塔」。


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砦の西の守り、「ミヒャエル塔」。


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右下に屋根が見えるのが、砦の北の守りの「ファルコン塔」。
その奥の建物は、「クッペルヴィ―ザー城(Kupelwieser schlössl)」です。


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この砦からは、西南部の景色が良く見えます。


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「Richterhöhe」の名前の由来である、有名な地質学者兼登山家のエドワード・リヒターの碑が立っていました。


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ワインヤードから見たリヒターホェヘ。


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「クッペルヴィ―ザー城(Kupelwieser schlössl)」


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メンヒスベルグの丘を降りた後、ザルツブルグ城の反対側にある、ノンベルグ修道院に行ってみました。
ノンベルク修道院は700年頃に創立されたドイツ語圏最古の女子修道院です。


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修道院内には、かつての遺構が多く残っているそうですが、この日、バジリカの扉は閉まっていました。
残念。

この時、13:20になっていました。


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ブルクベルグを下り、「モーツアルト広場」に来ました。
この日はドイツ(オーストリア)の冬には珍しく快晴で、2日前と比べると綺麗な写真が撮れました。


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「ドーム広場」です。
太陽を浴び、教会の白いファサードも輝いて見えます。


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まだ時間があるので「レジデンツ」の見学に来ましたが、火曜は定休日で閉まっていました。

ザルツブルグは司教区なので、ここには領主ではなく、歴代のザルツブルグ大司教が居住していました。
この宮殿は1619年に完成したもので、1761年には「リッターザール(騎士の間)」で、「神童」と呼ばれたモーツァルトが5歳で音楽会を開いたそうです。また、すべての部屋の天井にはアレクサンドロス大王の絵が描かれているそうで、見たかったな。


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 左:「レジデンツ」内の階段。
   階段部分だけ開いており、閉館を知らない私は3階まで上って、引き返す事になりました。

 右:中央入り口のアーチ上の紋章は、マックス・ガンドルフ・キューエンブルク大司教(左)と、
   ヨハン・エルンスト・トゥーン=ホーエンシュタイン大司教(右)の紋章が組み合わされて
   掲げられています。


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「ドーム広場」から、フランチスカーナー・ガッセを西に歩きました。


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フランチスカナー・ガッセから見た「聖ペーター教会」。


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「フランチスカーナー教会」です。
この地に最初に教会が建ったのは8世紀頃のようです。その後の経緯は不明ですが、12世紀頃に火災で焼けた記録が残っています。
13世紀初期にロマネスク様式の教会の建築された後、1408年から1450年にゴシック様式に改装され、1498年に鐘楼が完成しました。(大聖堂の塔より高いとの理由で、1670年に壊され、1866年に再建されました。)


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教会の内部は広いですが、全体的に派手さのない装飾です。


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ただ、1階部分はバロック様式の美しい装飾がされています。(18世紀の改装)


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マカートシュテック橋から見た旧市街。
2日前も見ましたが、天気が良いと綺麗です。

以降も、2日目の訪問で紹介してた所の写真です。


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「ミラベル宮殿」



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「ミラベル庭園」


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「ザルツアッハ側の新市街」


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「ザルツアッハ側の新市街」


15時にザルツブルグの見学を終え、ミュンヘンに戻りました。


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アウトバーン8号線のパーキングから見た、「フラウエン(女)キームゼー島」
ここも、2日前にここで休息した際に写真を撮らなかったので、再び立ち寄りました。


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同じパーキングから見た、「ヘレン(男)キームゼー島」


この後、いつものアウトバーン8号線の渋滞に巻き込まれながら、ミュンヘンに戻りました。

終わり

ザルツブルグに行って来ました ~その1

2017年10月29日(日)と31日(火)にザルツブルグに行って来ました。

ザルツブルグは紀元前のケルト人の時代に町がありましたが、ゲルマン人に占領・略奪されました。
696年にバイエルンのテオド大公がルーペルト司教にこの地を寄進してから、19世紀までザルツブルグ司教区として繁栄しました。
町の名前の由来は、近郊で産出される塩の関税を司教が握っていたために、この町が繁栄した事です。

この町はモーツアルトの生誕の地、また映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として、音楽の町としても知られています。


10月29日(日)は、日本からミュンヘンに遊びに来てくれた友人夫妻とザルツブルグに行きました。
当初はヘレンキームゼー城にでも行こうかと話していましたが、奥さんがモーツアルトの生誕地に行ってみたいと言った事からザルツブルグに行く事にしました。

なお、ザルツブルグはミュンヘンから140kmと近いです。


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7時過ぎに家を出発したけど、あいにく天気は小雨がぱらつき、何より風が強い。
アウトバーンは車が少なかったのですが、風が強くてスピードが出せませんでした。

9時前にザルツブルグに到着。
ザルツアッハ川沿いに路上駐車しました。(この日は日曜なのでOKですが、平日は駐車不可。)

目の前には、カプツィナーベルグの山と、カプツィナー修道院があります。


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アルタ―マルクト(旧市場)通りから市内に入りました。
左に見えるのは、「フローリアンの泉」で正面はレジデンツ。


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朝食を取っていなかったので、まずは広場にあったカフェに入りました。
オーストリアなので、ヴィーナーカフェ・セットを頼みました。
今回は思い付きで来たので、このカフェで、改めて、今後の作戦会議を開きました。(笑)


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まずは「モーツアルトの生家」を訪問する事になり、ゲトライデ・ガッセに戻ります。
上の写真は、戻る途中にあった、「旧市庁舎」。


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 左:ゲトライデ・ガッセにある「モーツアルトの生家」
 中:その向かいにある、ザルツアッハ川沿いに抜ける通り
 右:ザルツブルグのショッピング通り、ゲトライデ・ガッセ


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「モーツアルトの生家」の内部です。
彼は1756年に、この家で生まれ17歳まで過ごしました。
と言っても、6歳から父と共に演奏旅行を繰り返したので、家にいた時間は短いです。
彼は5歳で既に作曲をし、6歳の時にはシェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの御前で演奏もしたそうです。

博物館内は、彼や彼の家族に関する品々が展示されていましたが、内部の写真撮影は禁止でした。


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「モーツアルトの生家」を出た後、シュターツ橋でザルツアッハ川を渡って、「モーツアルトの住居」に向かいます。

上の写真は、ザルツアッハ川下流の旧市街側の景色。
正面の山はメンヒスベルグで、その山頂に現代美術館が建っています。


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この写真は、ザルツアッハ川下流の新市街側の景色。


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川の南側の旧市街の中心地。
奥にはザルツブルグ城が建ち、手前に見えているのはザルツブルグ大聖堂のキューポラと鐘楼です。


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新市街側にある、「モーツアルトの住居」。
モーツアルト一家は、より広い住居を求め、この中のアパートに1773年に引っ越しました。
アマデウスは1780年にミュンヘンに行った後、ウィーンに定住しましたが、彼の父レオポルトは1787年の彼の死まで、この家に住んでいました。

オリジナルの建物が1944年に連合軍の爆撃で破壊された後、別の建物が建っていましたが、1994年に壊され、1996年にオリジナル通りに建て直されました。


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「モーツアルトの住居」の奥には、「三位一体教会」があります。


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「三位一体教会」の中。


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その北西にある「ミラベル宮殿」に行きました。
この写真は、庭園の東側にある、オランジェリー。
今はバロック美術館になっています。


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「ミラベル宮殿」は、1606年に大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人ザロメ・アルトのために建てたとされています。1818年の火災の後に修復され、今の姿となりました。
なお、右に見えるのは聖アンドレイ教会の鐘楼です。


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10月なのに、宮殿の庭には、バラが咲いていました。


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「ミラベル宮殿」の見どころは、この幾何学的に配置された「ミラベル庭園」です。
庭園の背景にザルツブルグ城が建っています。


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夏場は緑で覆われる回廊も、冬季は葉が落ち寂しいです。


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宮殿の西側にある小さな庭園。


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そこには「ペガサスの噴水」があります。


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宮殿内は市役所などに利用されており、彫刻に囲まれた「天使の階段」などの一部が一般公開されています。
ガイドブックによれば、2階の「アルモアザール(大理石の間)」も公開されているとありましたが、この日は公開されていませんでした。


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2階の窓から見た、宮殿の中庭。


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この日は非常に風が強く、庭園中央の噴水の水も、風で流されていました。


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2日後に来た際の、正しい(笑)噴水の姿です。


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庭園の見学を終え、ザルツアッハ川に戻って来ました。
帰りは、シュターツ橋の一本北側の、マカートシュテック橋を渡りましたが、ここから見る旧市街の姿は非常に美しいです。
ザルツブルグ城を背景に、左から、旧市庁舎の時計塔、大聖堂のキューポラと鐘楼、そして右端にはフランチスカーナ教会の鐘楼が見えます。


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マカートシュテックのフェンスには多くのカギがかかっていました。


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川からゲトライデ・ガッセに抜ける途中にあった、クリスマスショップ。

なお、この道沿いには、日本食レストラン「NAGANO」がありました。


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ゲトライデ・ガッセに戻りました。
ゲトライデ・ガッセ沿いの店は、お洒落な鉄製の看板を掲げています。


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マクドナルドの看板もお洒落。


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「コレギエン(大学)教会」。
立派な教会なので、最初これが大聖堂と思ってしまいしました。

右に広がる建物が、ザルツブルグ大学の図書館です。


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こちらが本当の「ザルツブルグ大聖堂」(写真右側)です。
この広場は、レジデンツ広場と呼ばれ、写真右側に「レジデンツ」が建ち、写真左側に「新レジデンツ(州庁舎)」と、その鐘楼「グロッケンシュピール」が建ちます。
広場の中央には「アトラス神の噴水」がありますが、すでに冬支度(木で覆われている)していました。


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1619年に完成した大司教の宮殿「レジデンツ」です。

この時12:40になっており、昼食を取ろうとレストランを探しましたが、この辺りには、カフェはあるものの、レストランがありません。
雨が降る中をさまよい、新レジデンツの裏側まで行って、ようやくレストランを数件見つけ、その中のピッツェリアに入りました。
本当はドイツ/オーストリア料理を食べたかったのですが・・・


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私はスパゲッティ・ボンゴレを注文しました。
トマトベースのソースのボンゴレで、一見ボロネーゼに見えますが、味はしっかりボンゴレしており美味しかったです。


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2日後に再訪した際に、店の前を通ったので写真を撮りました。


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「レジデンツ広場」の北東にある、「モーツアルト広場」。
その名の通り、広場の中央にはモーツアルトの像が立っています。


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広場の西にあるカフェ。中にはクリスマス博物館もあります。
カフェの後ろの塔は、「聖ミヒャエル教会」の鐘楼です。

右手前に材木が積まれており、この時はてっきりモーツアルト像の冬支度の準備と思いましたが、2日後に来た時にはクリスマス市場の屋台を組み立て始めていました。


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ザルツブルグ大聖堂の正面です。
最初の大聖堂 (ドーム) は、774年にメンヒスベルクの山裾に創設されました。
1181年から1200年頃にかけ、後期ロマネスク様式の大聖堂が建てられました。
今の大聖堂は、1628年にバロック様式によって建て直されたものです。

広場の中央には「デオ・トリーノの像」が立っていますが、今は冬支度中でした。
通常は木で囲われますが、ここではガラスで覆わられています。
まるで、ルーブル美術館の前のピラミッドのように見えます。


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大きな教会で、天井は豪華な装飾で覆われています。


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入り口の上にあった、パイプオルガンと、司教の紋章。


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大聖堂の南側にある、「カピテル広場」。
ここからはザルツブルグ城が良く見えます。
城には、丘の右端にあるケーブルカーか、中央にある歩道で上がる事が出来ます。


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広場には、金の玉のモニュメントと、大きなチェス盤がありました。


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時間と天気の都合で、今回は城には上らない事にし、そばにある「聖ペーター教会」の見学をしました。
上の写真は、城から下りてくる水を利用した水車です。


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「聖ペーター教会」は聖ルーペルトが696年に開いたベネディクト派の教会です。
当初はロマネスク様式で建てられましたが、18世紀後半に後期バロック様式で改築されました。


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教会裏の墓地の後ろには、ロマネスク-ゴシック期の岩窟礼拝堂であるグロッタや、初期キリスト教徒の地下納骨堂(カタコンベ)が残っています。


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墓地の中に建つ、「聖ゲオルグ礼拝堂」です。


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「聖ペーター教会」の正面の広場の風景。
正面の教会は、「聖フランチスカーナ教会」です。

この時、14:20になっており、ここで帰る事にしました。
時間的には、もう少し残っても良かったのですが、小雨(+風)のせいか、気温が下がったのか、午後から更に寒くなり、気持ちが萎えました。(笑)


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車を停めた、ザルツアッハ川沿いの道には、中世の城壁が残っています。


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「モーツアルト広場」のそばのゲート部分の城壁。


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前の写真のゲート部分の城壁を広場側からの風景。
城壁はレンガ造りで、厳めしい雰囲気ですが、その裏側は綺麗に装飾されていました。
(2日後に撮影した写真)



ホーエン・ザルツブルグ城は、名城と名高いので、前から行ってみようと思っていましたが、いつでも行けると後回しにしてきたので、今回は私にとっても良い機会でした。
残念ながら天気が今イチだったので、2日後に一人で再訪しました。

その2に続きます。


インスブルック訪問

ヴェニスからの帰りに、オーストリア・アルプスが、とても綺麗だったので、天気の良かった次の日曜日の4月3日、オーストリアのインスブルックに行って来ました。
ヴェニスに行く際に購入した、オーストリアの高速のチケットが、まだ有効だった事も理由の一つですが(笑)。

日曜は朝から晴天でしたが、家の中でウダウダし、結局家を出たのは11時になっていました。
インスブルックまでは高速経由で、165km、約1時間半。
道が混んでいた事もあり、13時前にインスブルックに着きました。

インスブルックの旧市街から南西方面に延びるインライン(Innrain)通り沿いの駐車場に車を停め、
旧市街に行きました。
なお、インライン通り沿いには、いくつか駐車場があります。


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ヘルツォッグ・フリードリッヒ通り(Herzog-Friedrich-Strasse)から中心部に向かう写真です。
(ただし上の写真は、この後、15時頃に撮ったものです。)


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インスブルックの観光の中心、黄金の小屋根(Goldenes Dachl)です。
名前の由来は、金箔を貼った2657枚の瓦で葺かれた屋根で、この屋根は神聖ローマ皇帝、マクシミリアン一世により1500年に作られたそうです。
なお、上の写真も15時ぐらいのもので、日が差して黄金が綺麗でした。


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その横には、ロココ様式の美しい、ヘルブリング・ハウスがあります。


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町の塔(Stadtturm)です。
本来は塔の上から町の景色を見る事が出来ますが、この日は改装中で入る事は出来ませんでした。

なおインスブルックは、地図も無いまま歩いているので、何処に何があるのか全く判らないまま散策しています。
この塔も、最初歩いた時は気づかず通り過ぎてしまいました。
(この写真も15時頃の撮影)


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黄金の小屋根から南に延びる道。
これもヘルツォッグ・フリードリッヒ通りで、この通りは黄金の小屋根の所で90度曲がっています。


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黄金の小屋根から北にある、インスブルックのドーム、聖ヤコブ教会です。


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中はロココ洋式の装飾でした。


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パイプオルガンの置かれた入口側も豪華です。


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教会の前のドーム広場です。
チロルの山々が綺麗です。


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教会の横を北に歩くと、宮殿がありました。
インスブルックは14世紀からハプスブルク家に支配されており、ここが王宮のホーフブルク宮殿です。


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入場料は9ユーロで、ちょっとためらいましたが、結局中に入ってみました。
大広間はロココ様式でした。


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中は宮殿の写真のような部屋と、多くの肖像画が飾られています。
装飾は、他のハプスブルク家の宮殿と似ています。
(バイエルン家の宮殿とも似ていますね。)


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ウィーンの博物館にある絵のレプリカの、展示も行われていました。
そこにあったシッシーの肖像画。
シッシーが私の好みで写真を載せましたが、この宮殿はマリア・テレジアが好んで滞在しており、宮殿内にも彼女とその子供たちの絵が多く飾られていました。
なお、彼女の夫、フランツ一世は、この宮殿で亡くなったそうです。


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ヘルツォッグ・フリードリッヒ通りを南側の端から見た景色です。
突き当りに黄金の小屋根が見えます。


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ヘルツォッグ・フリードリッヒ通りが、交差するブルク・グラーベン通りを過ぎると、マリア・テレジエン通りと名前が変わります。
ブルク・グラーベン通りから見た、マリア・テレジエン通りです。
ここがインスブルック一番の繁華街だと思います。

なお、ブルク・グラーベン通り沿いにはツーリスト・インフォメーションが有ったので立ち寄りました。
この日は日曜で、ツーリストインフォは閉まっていますが、そこにあった市内地図の自販機も故障中で、地図が入手できませんでした。


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マリア・テレジエン通りの途中にある聖アンナの記念柱です。
スペイン継承戦争の折、オーストリアに侵入したバイエルン軍を撃退した記念碑だそうです。



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マリアテレジエン通りにあったチロルっぽいデザインの建物。


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聖アンナ記念柱から見た通り。
背後にチロルの山が広がった、綺麗な景色です。


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マリア・テレジエン通りの終わりには凱旋門があります。


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マリア・テレジエン通りとチロル・アルプスです。


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マリア・テレジエン通りの裏にある建物。
名前を調べると、Amt der Tiroler Landesregierungと言う政府の建物のようです。
なお、この広場全体が滑らかなスロープで構成されており、スケート・ボードに乗った人たちが沢山遊んでいました。世界で一番大きなスケート・ボードの公園、かな???


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凱旋門です。
息子の皇帝レオポルト二世の婚礼を記念して、マリア・テレジアが作らせたそうです。
ただ、建設の途中で、夫のフランツ一世が亡くなったため、北側のレリーフはその死を悼んだものとなっているそうです。


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少し回り道をして、ファルメライヤー通りからマルクトグラーベン通りを通って旧市街まで戻りました。
上の写真はマルクトグラーベン通りがインライン通りに交差する所の景色です。
駐車場は、インライン通りを左に行きますが、町の塔を見忘れた事に気づいて、市街に戻りました。


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旧市街に入った所にある、ローター・アドラー。
ホテルと思っていましたが、Studentenheimとあったので、学生向けのドミトリーでしょうか?


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ローター・アドラーの看板です。
かつて赤い鷲はチロルの紋章でした。


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旧市街を見学後、市の西川を流れるイン川を見に行きました。
イン川にかかるイン橋からの景色。
こちらは北側です。


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南側の景色。


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イン川の対岸にはカラフルな建物が並んでいます。


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川沿いを南側に少し散策。
そこから見た、イン橋とアルプスの山々です。


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マルクト・プラッツにあったベンチで、アルプスの山を見ながら、先ほど買ったドナー・ケバブを食べました。
この時、時間は15:20です。


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駐車場に戻る時に見た、インライン通りにあった教会。


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マルクト・プラッツとチロルの山です。


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この後、近くにあるアンブラス城に行きました。
この城の起源は11世紀にさかのぼるようですが、1564年にハプスブルク家のチロル大公フェルディナンド二世が増築し、今の形になったそうです。中には武具・甲冑や美術品、調度品などが展示されています。
アンブラス城は、別途報告します。

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アンスブラス城から見た、インスブルックとチロルの山々。
17:15にアンブラス城を出ました。


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その後は、真っ直ぐミュンヘンへ。


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高速から見た、Karlskircheです。
ピンクの外壁が綺麗で、ヴェニスに行く時から気になっていました。


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帰りの高速から見た、オーストリア・アルプスです。

終わり


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