levante2019の旅日記

YAHOOブログの終了に伴い、引っ越してきました。 アメリカ3年、ドイツ3年の駐在を終え、2019年3月に帰国しました。 自転車やウォーキングなどを中心に日々の活動を紹介しています。

ドイツ旅行記

レーゲンスブルグ訪問 ~ドイツ最後の旅行です!

2019年3月3日(日)、ドイツ最後の週末です。
元々泊りがけの旅行を計画しましたが、諸事情で中止にしたので、慌てて週末の予定を再計画。
今回の駐在で最初に行ったレーゲンスブルグで、最後の旅行を閉めることにしました。


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大聖堂のファサード。
この教会は、1275年に着工し、尖塔以外の建物が完成したのは1634年。
尖塔の完成は1869年との事で、完成まで実に約600年!
よく続いたものです。


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教会の内部。


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誰かな???

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教会の前にある建物は、かのナポレオン皇帝が1809年4月24日―25日に司令部を置いたそうです。
時は、第五次対仏大同盟に対して、4月のエックミュールの戦いでオーストリア軍を破った直後で、意気揚々とこの町に入った事でしょう。


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大聖堂のすぐ東側にはかつての城壁の門(と思われる)があります。


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大聖堂の東側にはニーダーミュンスター教会(Dompfarrkirche Niedermünster)があります。
739年には、この教会に司教座が置かれたそうです。


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教会内部です。
天井の装飾は大聖堂より美しいです。


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ドナウ川に架かる石橋(Steinerne Brücke)は、1135年から1146年に架けられた橋。
第二次十字軍と第三次十字軍の騎士たちも、聖地エルサレムに向けた行軍の際に、この橋を渡ったそうです。
世界遺産レーゲンスブルグの見どころですが、三年前は改装中で、帰国前に美しい姿を見れて良かった。


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橋の門の下流側(ツーリスト・インフォメーションの裏側)に、世界最古と言われる歴史的なソーセージ屋があります。


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今回もここで食べました。
今回新しい駐在員たち3人と一緒にきましたが、最初に私が、ゼンメル(パン)入りのソーセージを注文し、残りの人には、ソーセージのセットを注文しました。
しかし、ソーセージのセットは店内のレストランのメニューで、更にゼンメル入りのソーセージはレストランには持ち込めないとの事。
このため、私はみなと別れて店の外で一人寂しく(笑)食べました。


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石橋の上ですが、上部の石は明らかに新しいものです。
最古の部分って、基礎部分だけなのでしょう。


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石橋の見学後、ガイドブックに載っていた、町の北側の、聖エメラム(St. Emmeram':s)教会に来ました。


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教会の外側は中世の趣きの建物ですが、内部はロココ!
内外のギャップが大きな教会です。


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旧市街の中心に戻って、イタリアンレストランで昼食を取りました。
私は海鮮スパを頼みましたが美味しかったです。

これでレーゲンスブルグの見学は終了。


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レーゲンスブルグを出た後、ヴァルハラ神殿を訪問。
バイエルン王ルードビッヒ1世が、1842年にパルテノン神殿を模した新古典主義の宮殿、ヴァルハラ神殿を作りました。ヴァルハラとは、戦死者の魂が集まるとされる北欧神話の神オーディンの宮殿ですが、レーゲンスブルクのヴァルハラ神殿に祀られているのはドイツの偉人です。


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在りし日のパルテノン神殿を想像させる威風堂々とした建物です。


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今回、一緒に来たメンバー。
私は2回目なのでのんびり景色を眺めていました。


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ヴァルハラ神殿の後は、レーゲンスブルグから西に30kmの所にある、解放記念堂に行きました。
解放記念堂は、ドイツがナポレオンの支配から解放されたことを記念して1842年から1863年にかけて建設された建物です。

前回来た時は、ここも改装中でカバーされていましたが、この日は太陽を浴びた美しい姿を見ることができました。


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建物の周りにはドイツの各地方を象徴した女性像が立っています。
中央はバイエルン地方の像です。
でも、ナポレオン戦争中、バイエルンはナポレオン側についていたのですがね。


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内部は美しいモザイクで覆われています。


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上から見たところ。
床のモザイクと、それを囲む女神の像が美しい。


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大きな建物で反対側が遠い。


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屋上からドナウ川とケルハイムの街並みを見渡せます。


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反対側は自然あふれるドナウの景色です。

これで、本駐在での最後の旅行は終了です。
まだ、行きたいところは残っていますが、仕方ありませんね。

帰国まで、いよいよあと1週間です。

終わり。


バンベルク(Bamberg)訪問 その2

2018年10月6日にバンベルグを訪問しました。

大聖堂や司教宮殿が建つベルクシュタット(山の町)から、市民の町であるインゼルシュタット(島の町)に向かいました。
インゼルシュタットは、その名の通り、レグニッツ川が二股に分かれた島の中にあります。

なお、二股に分かれたレグニッツ川は、西側の流れを左レグニッツ支流(Linker Regnitzarm)、東側の流れを右レグニッツ支流(Rechter Regnitzarm)と呼ばれています。
(以下、左レグニッツ川、右レグニッツ川と呼びます。)


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ベルクシュタットからインゼルシュタットに渡る、ウンターレ橋(Untere Brücke)から見た、左レグニッツ川沿いの美しい景色。
19世紀以降、漁師たちの住居並ぶ一画で、「小ヴェネチア」と呼ばれています。
赤い屋根の家が立ち並び、川幅も広く、それでもヴェネチア?って気はしますが、美しい景色であることは間違いありません。


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「小ヴェネチア」には、ヴェネチアのゴンドラもいました。
各地の観光地で動いていますが、需要はあるのでしょうか?


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ウンターレ橋に建つ、クニグンデ皇后(Kaiserin Kunigund)の像。

ここで、クニグンデ皇后に関して調べてみました。
彼女は、アルデンヌ家のルクセンブルク伯家から、999年にハインリヒに嫁いできました。その際に、贈り物としてバンベルクを与えられたそうです。
彼女は、政治にも積極的に関与し、夫の良き助言者だったそうす。
さらに彼女は皇帝軍を指揮し、1012年にポーランド軍を打ち破ったそうで軍事面でも才能があったようです。
1014年に夫がローマ皇帝ハインリッヒ2世となり、彼女もローマ皇后となりました。
彼女は1040年に亡くなりましたが、1200年に教皇インノケンティウス3世によって聖女に認定されました。
バンベルグの守護聖人なのでしょうね。


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ウンターレ橋から一旦ベルクシュタットに戻り、左レグニッツ川に架かるもう一本の橋、オーベレ橋(Obere Brücke)を渡ります。この橋は1455年に建設されました。

この橋の中ほどの人工島の上に、旧市庁舎 (Altes Rathaus) が建っています。
現在の形態の建物は、1461年から1467年の間にゴシック様式で建てられました。
その後、1744年から1756年にかけてバロック様式とロココ様式で改装されました。

門の上のテラス上部にあるのは、聖ゲオルグの紋章です。英語名のジョージは大地で働く人を表し、ここから先が、市民の居住区である事を表しています。


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司教区側の壁面には、司教フィリップ・アントン・フォン・フランケンシュタインの死去の場面が描かれています。

なお、上の写真はウンターレ橋からオーベレ橋側を見た景色です。


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市庁舎の反対側のテラス上部の楯は、司教コンラート・フォン・シュターディオンのもので、ここから先が司教区である事を表しています。
また、壁のフレスコ画は、新司教のバンベルク入りの場面が描かれています。


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オーベレ橋からみたウンターレ橋。
橋には人の顔が描かれていました。


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オーベレ橋を渡り、インゼルシュタットに入りました。
道の両側に商店が並び、ベルクシュタットとは雰囲気が変わります。


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バンベルグの幹線であるランゲ通り(写真)を渡って、グリューナー・マルクト(Grüner Markt)に入ります。


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グリューナー・マルクトにある、ガーベルモーの噴水(Gabelmoo)。
中央に建つのはネプチューンの像。


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グリューナー・マルクトにある、聖マルティン教会(St Martinskirche)。
下教区教会(Untere Pfarre)とも呼ばれています。

なお、グリューナー・マルクトの通りには、野菜の屋台が並んでいました。
野菜の屋台ばかりで、過当競争にならないのでしょうか?


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聖マルティン教会の内部。


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その豪華な祭壇。


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教会の中央のドーム部分は、だまし絵になっていました。


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祭壇には野菜が供物として捧げられていました。
収穫祭の時期ですね。


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マクシミリアン広場(Maximiliansplatz)と、今の市庁舎(Rathaus)。
この広場には1880年に作られたマクシミリアンの噴水があります。
この噴水にはバイエルン王マクシミリアン1世、皇帝ハインリヒ2世夫妻、皇帝コンラート3世、バンベルク司教の聖オットーらの彫像が附属しているそうですが、写真を撮り損ねました。


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13:30を回ったので、昼食を取ろうとレストランを探して、オプストマルクト(Obstmarkt)まで戻って来ました。
今回は連れがいるので、きちんと昼食を取りました。(笑)
その広場にあった、レストラン・ツァイス(Restaurant Café Zeis)に入りました。
特に下調べも無く入ったレストランでしたが、とても美味しく大正解でした。


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私の選んだ「グーラッシュ」は、塩気の押さえた味で、パスタ(スペッツェルでは無い)に合いました。
一応ドイツ料理ですが、イタリア料理のようでした。


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連れの選んだ「カレー・ブルスト」。
普通の真っすぐなソーセージですが、変な形です。
ですが、皮はパリっと焼け、中は柔らかく、これも美味でした。


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更に二人でつまむために頼んだ「ニュルンベルガー・ブルスト」も肉が柔らかく、香味が効いて美味しかったです。


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昼食後、再びグリューナー・マルクトに戻り、右レグニッツ川に向かいました。
マクシミリアン広場を過ぎると、通りの名前は、ハウプトヴァッハ通り(Hauptwachstraße)となり、上の写真は、そこにあったハウプトヴァッヘ(Hauptwache)の建物。
1772年から1774年に、軍の衛兵駐屯所として建てられました。


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右レグニッツ川です。
当日は、これがドナウ川と勘違いしていましたが、正しくは、この川がマイン-ドナウ運河となっています。

この川を渡った先が、ゲルトナーシュタット(庭園の町)となりますが、今回は橋で引き返しました。


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同じく、右レグニッツ川の景色。
この数週間の急激な冷え込みが、木々を黄葉/紅葉させ、美しかったです。


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町の見学を終え、左レグニッツ川に戻って来ました。
写真は駐車場のある中州に向かうガイヤースヴェルトシュテク(Geyerswörthsteg)と、旧市庁舎。


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ツーリストインフォメーションから見たガイヤースヴェルト城(Schloss Geyerswörth)。


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ガイヤースヴェルト城は、14世紀にこの地に移って来て、この屋敷を建てたゲイラー家にちなんで命名されました。1580年に司教が敷地と屋敷をゲイラー家から買い取りました。
かつては、この館の南側に庭園があったそうですが、ツーリストインフォメーションの前の庭が、当時の庭の名残なのでしょうか?


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ガイヤースヴェルト城の赤い建物。


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城の横の小さい運河には、ヴェネチア共和国のサンマルコの旗を掲げた船着き場がありました。
先ほど見た、ゴンドラの発着所なのでしょう。


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運河沿いの風景。
「小ヴェネチア」かどうかは兎も角、バンベルグは、レグニッツ川に架かる多くの橋が、中世の趣を残す町並みと共に、美しい風景を作っていました。
特に大きな期待も無く行った町でしたが、世界遺産の名に恥じない、素敵な町でした。

15:30にバンベルグの見学を終え、ミュンヘンに戻りました。

終わり

バンベルク(Bamberg)訪問 その1

2018年10月6日にバンベルグを訪問しました。

この町は、10世紀初頭はフランケン・バーベンベルク家が領有していましたが、903年にコンラート家に所領を奪われた後、911年にコンラート1世がドイツ王となった事により王領となりました。
ドイツ王であり初代神聖ローマ皇帝となるオットー2世が、973年に従弟のバイエルン公ハインリヒ2世にこの町を贈与した後、1007年にハインリヒ2世の息子である皇帝ハインリヒ2世によって、ここに新たな司教区が創設されました。
その後、1802年にバイエルン選帝侯領となるまで、司教区として栄えました。

バンベルグは第二次世界大戦の被害を避ける事ができ、中世の景観が残された歴史的な価値が認められ、1993年に世界文化遺産に登録されました。

バンベルグはミュンヘンから北に230km、ニュルンベルグからは北に60kmの所にあり、8時にミュンヘンを出発して、10:30に到着しました。
なお、この日は、日本から遊びに来た友人が一緒でした。


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レグニッツ川に出来た中州にある、Altstadtのパーキングに車を停め観光に出ました。
このパーキングはツーリスト・インフォメーションの地下にあり、観光のスタート地点として最適です。

写真は西レグニッツ川と、中央に町の象徴である旧市庁舎が見えています。(この時は気付きませんでしたが)


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橋の南側の景色。
この町は、二本に別れたレグニッツ川に挟まれた部分が、市民の街であるインゼルシュタット(島の町)、その西側が宗教施設が占めるベルクシュタット(山の町)、そしてその東側がてゲルトナーシュタット(庭園の町)に分かれています。
水辺と橋の多い町です。


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レグニッツ川を渡りベルクシュタットに入った所にあった、上教区教会(Obere Pfarre)。
1300年に建設が始まり、1535年に完成したバロック様式の教会です。
上教区教会は、グリューナー・マルクト(Grüner Markt)にある、下教区教会(Untere Pfarre)、別名:聖マーティン(St. Martin)と対になる教会です。


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  左:屋根の形が特徴の鐘楼と、教会のファサード
  右:教会内部。大聖堂に向かう途中でたまたま立ち寄っただけで、全く期待していませんでしたが、
    予想以上に豪華な内装でした。


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入り口の上にあるパイプオルガンも豪華。


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ベルクシュタットの中心となるドーム広場(Domplatz)。
この広場の周囲には、大聖堂(Dom)(左側)、旧宮殿(Alte Hofhaltung)(右側)、そして新宮殿(Neue Residenz)(右端に写った建物)が建っています。
ドームはミサのために中に入れず、まずは宮殿から見学しました。


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旧宮殿は、1591年にバンベルク伯の旧邸宅の敷地に建てられたもので、新宮殿が建つまで司教(Prince-Bishop)の居館になっていました。


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旧宮殿の中庭。


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建物は、美しい花に飾られていました。
最初の橋もそうですが、10月と言うのに、この町は花で溢れていました。


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同じく、旧宮殿の中庭。


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影の劇場(Theater der Schatten)。


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旧宮殿の入り口と、歴史博物館になっている建物(右端)。


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ドーム広場の北東にある幸運の泉(Fortunata Brunnen)。


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旧宮殿が手狭になったため、ヨハン・フィリップ(Johann Philipp)司教によって新宮殿は建てられました。
1602年から1803年まで、司教居館として使われました。
1802年からバンベルグはバイエルン選帝侯領に組み込まれ、1803年から、ここは王宮として使われました。


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新宮殿の中庭は、薔薇園 (Rosengarten)となっており、美しいバラを見る事ができます。
 

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「Nina Weibull」と言う名の深紅のバラ。


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薔薇園からは、バンベルグの美しい町並みが見渡せます。


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北西に見えるミヒャエルスベルグ修道院(Kloster Michelsberg)は、12世紀のロマネスク様式の教会を再現したもの。


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薔薇園西側の建物は1757年に建てられたものを、20世紀初めに再建したものです。


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新宮殿は大きく二つの建築様式に別れています。
奥にある二棟は、1604年から1612年にヨハン・フィリップ司教によって建てられたルネッサンス様式の建物(上の地図で言うゲープサッテル建築部分)。
手前の二棟は1697年から1703年の間に、ローター・フランツ・フォン・シェーンボーン司教によって建てられたバロック様式の建物です。

なお、このローター・フランツなる人物は司教(聖職)であると共にバイエルン選帝侯(世俗)も兼ねていたそうです。腐ってやがる!(笑)


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シェーンボーン棟にある入り口から入った階段。
天井のエンジとカーキの彩色がちょっとポップです。
白一色の方が美しいかも・・・


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内部の見学はドイツ語のガイドツアーだけでした。
ツアーの時間まで、中央の棟にある絵画の展示を鑑賞しました。

11:50にツアーが開始。
最初は一番奥の棟にある、「選帝侯の住居」の見学からです。


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上の写真は「第二控えの間」。
この前に「第一控えの間」がありましたが、写真を撮り忘れました。

なお、ガイドツアーは私と連れの日本人2名と、ドイツ人家族が1組のみ。
ドイツ語ツアーなので、ドイツ人家族の専属ガイド状態でしたが、要所要所でガイドが英語で説明してくれました。また日本語の解説のカードを持っているので、概略は判りました。


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「王女の間」。
元々、神聖ローマ皇帝の部屋でしたが、王女エリザベート・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル(名前が長い!)が滞在した事から、「王女の間」と呼ばれるようになりました。
なお、彼女は後の皇帝カール6世婦人で、マリア・テレジアの母となる女性です。)


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「謁見の間」。


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「居間」。

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「寝室」。
一般に住み心地と暖房効率を考え、居間や寝室は小さく造られますが、この宮殿の居間も寝室も大きな部屋となっています。


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寝室にあった、1720年頃に作られたトイレ用のいす。


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続いてシェーンボルン建築部分の「皇帝の居室」の見学です。

まずは「皇帝の間」。
この宮殿の中で一番大きな部屋で、ローター・フランツの居室としてだけではなく、皇帝が訪れた時の客間としても使われました。


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内部の装飾も、皇帝と神聖ローマ帝国を称えたものとなっています。


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「第一控えの間」。
バイエルン王国最後の王太子ルプレヒトが朝食を取った部屋です。


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ユニコーンと共に描かれた天井画は、賓客の気持ちを落ち着かせる効果を期待したそうです(本当?)。


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「第二控えの間」
この部屋は皇帝の祝祭時に使用されたそうです。


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天井画はオリンポスに侵攻しようとした巨人族を撃退したユピテル=皇帝レオポルトと同一視した神を表しています。

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でも、私の関心はカナレットのヴェネチアの絵!
ヴェネチア共和国時代の絵画に囲まれ、至福のひと時でした。(笑)


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「謁見の間(王女の迎賓サロン)」にもヴェネチアの絵が掲げられていました。


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天井画は、皇帝ヨーゼフ1世の王位選定式を描いているそうです。
ウィーンでヨーゼフ1世の人となりに中てられていますが、それでも私にとってはヴェネツィア共和国の方が重要です。(笑)


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「居間(王女の小サロン)」。


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「寝室(王女の書斎)」。
室内の壁張りは再利用したもので、切り貼りした跡が残っています。


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「王女の洗面室」。
ここには、バイエルンの王位継承者であるルイトポルト(ループレヒト王太子の長男)(1901年に隣の寝室で誕生)の豪華な揺りかごが置かれています。

12:40に見学は終了しました。


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新宮殿の見学を終え、ミサの終わった大聖堂を見学しました。
この大聖堂は、4つの尖塔を持つ後期ロマネスク様式の建造です。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の命により1004年に建築が始まり、1012年に献堂されました。
1081年の火災による損壊等を経て、13世紀に今の後期ロマネスク様式の大聖堂が完成しました。


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大聖堂の後陣です。


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大聖堂の祭壇方向の景色。


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この教会の建立者である、皇帝ハインリヒ2世と、その妻クニグンデ皇后の墓。


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他のバンベルクの騎馬像があります。
この像は、おそらくコンラート3世の時期の1200年頃のもの。


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手振れで見難いですが、地下にあったヘルメットのような容器。
王家の臓器を治めたものでしょうか?


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天井から下がった燭台=シャンデリア。


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大聖堂の横にある多くの彫像に囲まれた出入り口。

バンベルグ ~その2 に続きます。

バンド・オブ・ブラザーズの聖地巡りの旅 ~ベルヒテスガーデンとイーグルス・ネスト

2018年9月9日(日)にベルヒテスガーデンとケールシュタインハウス(イーグルス・ネスト)に行って来ました。

バンド・オブ・ブラザースは、米国のケーブルテレビHBOが2001年に制作した、米軍の第101空挺師団、第506空挺連隊、第2大隊、E中隊(イージー・カンパニー)の訓練から終戦までを全10話で描くドラマです。
映画「プライベートライアン」のコンビ、スティーヴン・スピルバーグとトム・ハンクスの製作総指揮により、映画並みの1億2000万ドルの制作費をかけて作られました。

今年の4月から、バンド・オブ・ブラザーズゆかりの地を回って来ましたが、今回は最終回、「戦いの後(Points)」に出た地を訪問。

ナチス政権時代、ベルヒテスガーデン近郊のオーバーザルツベルグ(Obersalzberg)一帯をナチス党が購入し、ヒットラーを始めとするナチス高官の別荘が築かれました。
特にヒットラーの別荘はベルクホーフと改名され、改築・増築され、第二次世界大戦中には、東プロイセン(現ポーランド)のヴォルフスシャンツェに次ぐ総統本営として使われました。

このオーバーザルツベルグ(作中ではベルヒテスガーデンと一括されていましたが)が、第101空挺師団の大戦中の最後の攻略地となりました。

ナチスの復権を恐れて、当時の建物のほとんどが戦後に破壊されましたが、1939年に建てられ1940年にヒトラーの50歳の誕生日を記念して贈られた、ケールシュタインハウス(Kehlsteinhaus)は現存しています。
ここを占領したアメリカ軍が、イーグルズ・ネストと名付け、今は観光地となっています。


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ケールシュタインハウスは、標高1858mのケールシュタイン山頂の近くに建てられており、そこまでは細い山道しかないため、オーバーザルツベルグからバス(もしくは徒歩)で上る必要があります。

この日は9時半に到着しましたが、第1、2駐車場が満車(多分)で、バス停から約1km離れた第3駐車場に車を停めました。

第3駐車場は上の写真の奥にあります。また、正面の橋は駐車場からバスが上るための橋です。


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オーバーザルツベルグからケールシュタインハウスに行くための、バス停です。


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バスのチケット売り場は長蛇の列。
この時、10:10でしたが、10時20分発のバスに乗れるか焦りました。
(ちなみに、次のバスは30分後の出発です。)


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なんとか、10:20発のバスに乗れました。

途中の景色と楽しむにはバスの右側の列が良いと思いましたが、すでに満席で、左側にしか座れませんでした。しかし、山頂間際で道が180度曲がって、左側に座った私も、素晴らしい景色を見る事が出来ました。
中央にベルヒテスガーデン、左端にケーニヒス湖が見えます。


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約20分で、バスは上の駐車場に到着。
ここから、エレベータでケールシュタインハウスに上ります。

なお、往復チケットを購入した人は、バスを降りたらすぐに、帰りのバスの便を予約する必要があります。
私は13:20のバスを予約しました。
ちなみに、歩いて降りると下の駐車場まで約20分との事。


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この入り口から地下道を歩いて、エレベータに向かいます。


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エレベータ乗り場のホールです。
エレベータは黄金色の派手な作りですが、内部は撮影禁止でした。


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エレベータはケールシュタインハウス(写真中央)に直接上がって来ますが、まずはケールシュタインの山頂に上りました。


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これがケールシュタイン山頂(標高1858m)です。


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山頂を過ぎても道は続いています。


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先は断崖になっていました。
正面に見える山はホーハー・ゲール(Hoher Göll)(標高2522m)です。


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ケールシュタインハウスのアップです。
目の前には素晴らしいパノラマが広がっています。


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ケールシュタインハウスの看板。
ここの標高は1834mです。


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現在、建物内部はレストランとなっており、当時の様子はうかがえません。


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横の小部屋(Scharitzkehlzimmer)は、当時の様子を残しています。


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Scharitzkehlzimmerから、ドイツ・アルプスを見渡せるサン・テラスに入りました。

このテラスには、ケールシュタインハウスの歴史が紹介されていました。
面白いことに、米第101空挺師団とフランス第2機甲師団、さらには米第3歩兵師団までが、未だにケールシュタインハウスに一番乗りしたのは自分たちと言い続けているそうです。
(バンド・オブ・ブラザーズでも、E中隊が、仏第2機甲師団に後れを取るなと、ハッパをかけられていました。)


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12:00に見学は終了。
帰りのバスまで時間があるので、ここで昼食を取りました。
私にしては珍しいですが、せっかくの景色をもう少し堪能する事にしました。

車の運転があるので、ビールはアルコールフリー。


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そしてメインは、バイエルン料理のシュバイネ・ブラーテン。

食事の後は、エレベータ&バスで下に降り、オーバーザルツベルグを出ました。

後で知りましたが、ナチスゆかりの建物はほとんどが破壊されましたが、防空壕などが一部残っているようなので、少し寄り道すれば良かったです。


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オーバーザルツベルグを出て向かったのは、ケーニヒス湖(Der Königssee)。
14時に到着しました。
ここはバイエルンでも有名な観光地となっており、駐車場から湖までカフェやお土産屋が軒を連ねていました。


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湖の船着き場。
アルプスをイメージさせる木造りの家。


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ケーニヒス湖は「王の湖」との意味ですが、王家とは直接関係ありません。
でも、広場にはルイトポルト摂政(在職:1886年 - 1912年)の碑が建っていました。


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これがケーニヒス湖です。
ドイツで一番澄んだ水の湖と言われており(宣伝文句)、その環境を守るために遊覧船は電気モータで動きます。

ちなみに、バンド・オブ・ブラザーズでウィンターズが泳いでいたのは、ここではなく、オーストリアにある「ツェル・アム・ゼー」です。


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今回は遊覧船に乗る時間も無いので、湖の周りを散策しました。
正面が、先ほどの船着き場です。
なお、中央の山の上にケールシュタインハウスが建っています。


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湖は中央の隘路の奥に、約6kmも延びています。


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湖の横にあった、アイスリンク。


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湖が流れ出す川に架かった橋。

14:40にケーニヒス湖を出発しました。


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せっかくなので、ベルヒテスガーデンにも立ち寄りました。
写真はマルクト広場(Marktplatz)にある泉。


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同じくマルクト広場の景色です。


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マルクト広場の東にある、シュロス広場(Schlossplatz)。


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ベルヒテスガーデン城(Schloss Berchtesgaden)と、聖ペーターとヨハネ教会。
中央の入り口から、城に入る事が出来ます。


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入り口を入ると中庭に出ます。
この中庭から城内に入るのですが、残念ながら開館時間を過ぎていました。


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聖ペーターとヨハネ教会の内部。


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ベルヒテスガーデン市庁舎(Rathaus)の建物。


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市庁舎の横にある、ヴィッテルスバッハの泉(Wittelsbacher Brunnen)。
この町は、中世を通じて岩塩鉱により富んでいたので、他の地域に組み込まれず独立した扱いでした。
一方で、ザルツブルクやフランスなど、その支配者が移り変わった後に、1810年にバイエルンの統治下となりました。
この泉は1810年の統治から100周年を記念して、1910年に作られました。


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市庁舎の向かいにある聖アンドレアス教会。


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聖アンドレアス教会の内部。


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ノンタール(Nonntal)通りに、1360年に建てられた、宰相の屋敷(Kanzlerhaus)。


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マルクト広場に戻って来ました。
マルクト広場から見た、聖ペーターとヨハネス教会の尖塔。


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マクシミリアン通りの奥にある、フランチスカーナー修道院(Franziskanerkloster)

バンド・オブ・ブラザーズに出てきた、木組みの立派な建物が、ここにあるのでは?と思って散策しましたが無かったです。

16:00にベルヒテスガーデンを出発。

18時前には家に着けると思っていましたが、アウトバーンA8号が大渋滞。
ナビの勧めで、キームゼー手前で高速を降り、キームゼー沿いを走りましたが、湖の周りも湖水浴(?)の車で渋滞しており、結局家に着いたのは20時前になりました。

終わり


カルテンベルグの騎士祭り 2018 その2

2018年7月15日にカルテンベルグの騎士祭りに行って来ました。

前回の会場内の紹介に続き、いよいよメインイベントの騎士トーナメントの紹介です。


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15:30から前座のイベントがありました。
最初は、傘を使ったパフォーマンスですが、雨のために客の集まりが悪く、ちょっとかわいそうでした。


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続いて、旗振り隊のパフォーマンス。


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賢者のリードで騎士のトーナメントが始まります。


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カルテンベルグの偉いさん(?)の挨拶。
---------------------------------------------------- 2018/0812追記 --------
カルテンベルグ城の所有者で、最後のバイエルン王であるルードビッヒ3世の子孫である
バイエルン王子ルイトポルド氏でした。
どうりで、観客の拍手が大きかったわけだ。
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この頃には雨が小降りになった事もあり、客席は満員になっていました。


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王様(左)と家老(右)の登場です。
なお、これから先の説明は、ドイツ語のセリフが判らなかったので、想像半分で書いています。


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トーナメントの前座は曲乗りパフォーマンスです。
アクロバティックな曲乗りが続き、観客を楽しませます。


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最後は曲乗りチーム全員で観客に挨拶。


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王女(左)と家老(右)のご挨拶。


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この王女の馬術が素晴らしく、劇中何度もソロ演技が行われました。


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いよいよトーナメントに参加する騎士の登場です。


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トーナメントは、左右に別れた騎士が中央に向かって走り、槍で相手を突き落とす競技です。


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前の写真のように、競技場の端の位置からスタートし、槍を構えて突撃するまでの動きが、勇ましくて恰好良いです。


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トップスピードで突撃しています。

なお、この黒騎士は、この劇の主人公である王子です。


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様々な騎士の突撃シーン。


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トーナメントはめでたく王子が優勝しましたが、そこに謎の白騎士が登場し、王子に勝負を挑みます。


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結局、王子が勝ち、白騎士を地面にたたき落としましたが、試合に乱入された怒りからか、地面に落ちた後も白騎士を追い回します。


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そこで白騎士が兜を脱ぐと、なんと王様でした。

王子 「父ちゃんとは知らず、無礼な事をして、ごめんよぉ。」
と平身低頭で謝りますが、

王様 「貴様のような騎士道精神にもとる奴は、親でも無ければ子でも無い!」
と勘当されてしまいました。


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家老 「でも、強引にトーナメントに割り込んだ、王様も王様だよね。」
家臣 「だよね~。王子も少し可哀そうだわっ~。」
と低レベルな親子喧嘩に呆れながら、皆退場します。(笑)
(後の展開を考えると、家老は、この時、別の事を考えていたのでしょうがね。)


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場面は変わって、森の中をさまよう王子に暗殺の手がのびてきます。

暗殺者「でも、こんな弱っちい王子を暗殺しても、後味が悪いよ・・・(´・ω・`)」
と、暗殺者は王子を殺さず去っていきました。(なぜ???)


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王子の勘当を祝って(冗談です)、お祭り騒ぎをする村人を暴徒が襲いかかりました。
(正直、この辺りの展開は、良く判りませんでした。)


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失意の王子の元に、王女が訪れました。

王子 「トーナメントでは、つい舞い上がって、取り返しのつかない事をしちゃったよ。姉ちゃん、親父の機嫌を取ってくれよ...。」

王女 「その腑抜けた考えが、ダメなんだ、貴方は。私の馬術でも見て、反省しろよな!」
と、王女は再び、素晴らしい馬術を皆に見せびらかします。(笑)


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王女 「こんな事も出来るのよ!」


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王女 「こんな事も出来るのよ。ほらっ、ほらっ、ほらっ!」


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王女 「馬何て、沓が無くても自由自在よ。」
と、コミカルに書いていますが、物語は真面目に進んでいます。

なお、ここで雨に濡れたためか、EOS Kissが沈黙してしまいました。(涙)
出来るだけカメラを濡らさないように気を使ったつもりでしたが、雨には脆かったです。
以降はiPhoneで撮った写真です。

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王女 「馬なんて、乗らなくても、自由自在。貴方には、こんな事出来っこないよね?!」
王子 「すげーや、姉ちゃん。オラ目が覚めただ!」


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と、改心した王子さまは、再びトーナメントに参加します。
今度は、父ちゃんの横槍も無く、王子が再び優勝しました。
心を入れ替えた息子を見た王様も、大喜びです。


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そこへ、親子の仲の復活を良く思わない家老が、闇の軍団を率いて乱入してきました。
そう、家老は、王と王子の仲を裂き、王位を狙っていたのでした。


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闇の軍団との激しい戦いが続きますが、王子の活躍で、無事、敵を撃退しました。


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「めでたし、めでたし」 と思ったら、中央にステージが運ばれてきます。


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最後は王子と家老のタイマン勝負で、勝負を決します。
(先の戦いで、勝負は付いていたのでは・・・?)


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息子の活躍に有頂天の王様は、これまでの自分の所業も忘れて、王子の復位を宣言します。


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王子の復位で、皆が大喜びして、物語はフィナーレです。


この日は、一時はカメラが壊れるほどの(痛い)、強い雨が降りちょっと残念でしたが、十分楽しかったです。


少しコミカルに描きましたが、王子も王女も、素晴らしい馬術を披露していました。
また、全速で激突する騎士の槍試合も迫力があるので、カルテンベルグの騎士祭りはお勧めです。

終わり



カルテンベルグの騎士祭り 2018 その1 

2018年7月15日にカルテンベルグの騎士祭りに行って来ました。

ミュンヘンの西、約50kmの所にあるカルテンベルグにて、7月中旬から末にかけた3週間の週末に行われる祭りです。
このイベントは、前回の駐在の時から行われており、20年以上続いています。
毎年、この時期になるとミュンヘンの各所にポスターが貼られ、その気にさせますが、今回の駐在三年目にようやく行って来ました。20年ぶりの騎士祭りが、どう変わっているのか楽しみでした。

前回は車で行ったと思いますが、今回は、会社の同僚と二人で電車で行きました。
バイエルンで行われる中世の騎士祭り、せっかくなので心置きなくビールを飲みたいですからね。(笑)

ミュンヘン中央駅からゲルテンドルフ (Geltendorf)まで鉄道で行き、そこから会場まではシャトルバス(有料)が出ています。ゲルテンドルフまでは、Sバーン4号線も通っていますが、移動時間が少し短いので、我々はDB(ドイツ鉄道)で行きました。


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11:40に会場に到着。
開場は12時なので少し早いですが、旗降り隊のパフォーマンスで時間がつぶせました。


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入り口付近にあった出張ATM。
こんなサービスもあるのですね。


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開場時間が迫ると、城内の正門の上に、おじさん三人が出て来て、観客に話しかけていました。


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開場を待つ子供。
ラメ入りのフードがチェーンメイル(鎖帷子)のように見え、マントと合わせて騎士のようです。


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いよいよ開場です。
場内は中世風の町並みが作られ、多くのお店が並んでおり、見ているだけでも楽しいです。
私は、鎧と剣を売っている店で、しばらく立ち止まってしまいました。
20年前はこれほどのお店は無かったと思います。(うろ覚え)


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場内の一番奥にはカルテンベルグ城があります。
---------------------------------------------------- 2018/0812追記 --------
カルテンベルグ城は、1292年に建てられましたが、30年戦争でスウェーデン軍に壊され
たり、マルタ騎士団に所有されたりした後、1955年にヴィッテルスバッハ家の子孫に売却
され、現在は、最後のバイエルン王だったルードビッヒ3世の子孫であるバイエルン王子
ルイトポルト氏の所有となっています。
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場内にはイベントの舞台が5つ作られ、それぞれでパフォーマンスを行っています。
カルテンベルグ城内では、賢者(?)と修道女による昔の楽器の演奏が行われていました。
彼らは、開場前の入場門や、様々な場所で活躍していました。

城内で食事もできるので、ここでの最初のビールと、軽く腹ごしらえをしました。


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城を出て散策中に見かけた店。
古風な足踏み式の糸巻き機で紡いだ糸で作った作品を売っていました。


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場内を歩いていた家族は、古風なリアカーで子供を運んでいました。


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昔の居住用のテント?


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メインストリートに並ぶ中世の人々。
来場したゲストと記念撮影をしていました。


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城外の舞台での、ロープを使ったパフォーマーの演技。


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場内には悪魔も歩いていました。


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罪人を引き立てる集団。
左の修道士が懺悔を聞いているのでしょうか?
それにしては罪人の顔が明るすぎます。(笑)


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鳥の姿をしたパフォーマー。
姿は化け物のようですが、子供たちを翼で包んで癒しを施していました。


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祭りに捧げられる(?)猪。


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14時になると会場内を回るパレードが始まりました。


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ヘビ使いと、兵士の一団。

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先頭の旗には「1.Münchner Barbaren(第一 ミュンヘンのバーバリアン)」とありました。
これって、さきほどアイスクリーム屋に突撃していた集団です。


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野蛮人なので挑発的でした。(笑)


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バイエルン選帝侯の騎士団です。


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高貴な人々もパレードに参加していました。


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先ほど楽器を演奏していた、賢者と修道女。
男性は賢者と言うより、単なる頑固じじいの印象もありましたが...。


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悪魔(パンかな?)と、鳥女。
石の転がる下り坂を竹馬で歩くのは危なくないのかな?


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別の騎士団には女性の騎士もいました。


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王族かな?


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高貴な人の後ろに踊り子の集団が続きます。


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火炎のパフォーマンスもありました。

パレードは40分にわたり、パレードのゴールはアリーナの奥。
パレードを追って自然と人がアリーナに集まって来した。


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開場前のアリーナの様子。
前方ではセキュリティー・スタッフのブリーフィングが行われていました。


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アリーナでのメインイベントまで少し時間があるので、アリーナ横を散策中。
会場内で一番端の区域ですが、ここでも多くの店が開いて、にぎわっていました。


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アリーナに入る前にアイスクリームを買おうと並んでいると、戦士の集団がアイスクリーム屋に突撃してきました。


アイスクリーム購入の列に並んでいる際、心配していた雨が降り出しました。
直ぐに雨脚が強くなったので、アリーナの屋根の下に退避。
アイスクリームを食べて、いよいよメインイベントのアリーナでの騎士トーナメントが始まりますが、それは次回紹介します。


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今回購入したお土産の角カップ。


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本物の角を薄く、くり抜いており、光にかざすと美しいです。


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もう一つの土産は騎士祭りのビアカップ。
毎年デザインを変えていますが、店では昔のカップも使いまわしており、ビールを二杯飲んでも今年のカップに当たらなかったので、3杯目で今年のカップを要求したら準備してくれました。
なお、ビープカップはデポジット制で、返却すればデポジット金は帰って来ます。


その2に続きます。



バンド・オブ・ブラザーズの聖地巡りの旅 ~ランズベルグ

2018年6月10日にランズベルグに行って来ました。

バンド・オブ・ブラザースは、米国のケーブルテレビHBOが2001年に制作した、米軍の第101空挺師団、第506空挺連隊、第2大隊、E中隊(イージー・カンパニー)の訓練から終戦までを全10話で描くドラマです。
映画「プライベートライアン」のコンビ、スティーヴン・スピルバーグとトム・ハンクスの製作総指揮により、映画並みの1億2000万ドルの制作費をかけて作られました。

2018年4月28日~5月1日に、バンド・オブ・ブラザーズの聖地を巡って、オランダ、ベルギーとフランスを旅行し、5月30日~6月3日にノルマンディ地方に行って来ました。
それに続いて、今回は聖地巡り第3段です。

ランズベルグは、第9話「なぜ戦うのか」で、E中隊がユダヤ人の収容所を発見した町。
バンド・オブ・ブラザースの所縁の地との理由だけで、特に期待も無く訪問しましたが、ランズベルグは中世の城壁や塔の残る素敵な町でした。


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ランズベルグは、レヒ川沿いにある町です。
レヒ川はそれほど大きな川ではありませんが、堰のおかげで川幅が広がり、雄大な景色を作っています。

なお、今回は小径車のTern号を持ってきており、車をレヒ川西岸に停め、Tern号で町を散策しました。


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旧市街の中心、フーベルト・フォン・ヘルコマー通り(Hubert-von-Herkomer-Straße)。


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中央広場(Hauptplatz)にある、マリエン・ブルーネン(Marienbrunnen)。


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中央広場から見た、フーベルト・フォン・ヘルコマー通り。
ドイツの町らしい美しい街並みです。


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中央広場の横にある、シュマルツ塔(Schmalzturm)。
ランズベルグの町には中世の城壁だけでなく、多くの塔が残っています。


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シュマルツ塔で道が折り返すと、名前がノイエ・ベルグ通り(Neue Bergstraße)と変わり、町の後背部にある山を登ります。
写真は、通りから見た町並み。


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途中から、ノイエ・ベルグ通りは中世の城壁沿いを回ります。
写真は城壁に建つユングフェルンスプールング(Jungfernsprung)塔。
名前を直訳すると処女のジャンプとなり、この細長い半円の塔が、30年戦争時のスウェーデン軍の残虐行為を恐れて家から落ちた女性達を連想させる事から付いた名前だそうです。

現在はノイエ・ベルグ通りで分断されていますが、かつてはこの塔から真っすぐ川に向かって城壁が伸びていました。


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山の上にある城壁に開いた門。


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更にノイエ・ベルグ通りと城壁は続きます。


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町の東にあるバイヤー門(Bayertor)は、バイエルンでも一番美しい門と呼ばれているそうです。
ちょっと派手で、私には、おもちゃの様に見えました。


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町の東側には、中世時代の二重の城壁が残っていました。
城壁好きの私は、この辺りで少し興奮気味でした。(笑)


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東側には、ずっと城壁が続きます。


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町の北東にある、プルフェル塔(Pulverturm)。
16世紀に発展した大砲の戦い適した円形の塔です。
英語でパウダータワーの意味で、かつては火薬庫も兼ねたのでしょう。


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プルフェル塔から城壁は、川に向かって急激に下っていきます。
写真は北の城壁に建つ、ダッヒル塔(Dachlturm)(屋根の塔の意味)。

このまま、川まで降りる事が出来そうでしたが、私はこの塔の横から再び市内に戻りました。


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森を少し歩くと城壁にぶつかりました。
東の城壁の更に内側にある壁です。


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先ほどの城壁から100mほど東側にある、東の城壁です。


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東の山の上にある、聖十字教会(Heilig-Kreuzkirche)。


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町中から見たバイヤー門。


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山の上の町並みも美しいです。


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バイヤー門から急な坂を下ります。


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途中で見かけた、お洒落な家。


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  左:聖十字教会の正面ファサード
  右:急坂を下ると、シュマルツ塔に出ます。


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シュマルツ塔から北に延びるシュロッサ―ガッセ(Schlossergasse)を歩くと、ランズベルグの聖母の被昇天教会(Landsberg Mariä Himmelfahrt)がありました。


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石畳のシュロッサ―ガッセ、更に進みます。
この通りも、お洒落な町並み。


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シュロッサ―ガッセの北には、サンダウアー門(Sandauer Tor)があります。


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サンダウアー門は、既に存在した町の城壁に、1630年に造られました。


その後、ザンダウアー橋(Sandauer Brücke)を渡って、レヒ川の西側に行きました。


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レヒ川の西側に建つムッター塔(Mutterturm)。
この凝灰岩のブロックで作られたノルマン式の天守塔は、バイエルン出身の画家、フーベルト・フォン・ヘルコマーが1884年に彼の母親の記念碑として建てたものです。


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ムッター塔の辺りの川岸から見た、ランズベルクの町。


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町の南西には、ユダヤ人収容所跡が残っています。
エルプフティンガー通り(Erpftinger Str.)からバラック跡が見えました。


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エルプフティンガー通りをもう少し進むと、ヨーロッパ・ホロコースト記念館(Europäische Holocaustgedenkstätte)の看板が出ていました。


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看板から南に入ると、バラック跡があります。
説明を読むと、土管の建物(Tonröhrenbauten)と書かれていました。

これらの収容所は、元はこの周囲に疎開してきた軍事工場に人材を供給するために、ダッハウの収容所の配下として作られました。
1944年9月に最初の収容者が送られ、約2000人の男性と272人の女性が収容されました。


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第二次世界大戦中には、この周囲に同様の収容所がいくつも作られており、ここはKAUFERING VII号収容所と呼ばれていました。


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当時の施設のレイアウトです。


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オフィスビル(左端)と、土管の建物(右)。
その奥には、ここで亡くなった方の墓標が並んでいます。


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収容所の見学を終え、ランズベルグの町に戻って来ました。
写真はカロリーネン橋(Karolinenbrücke)と、ランズベルグの町並み。


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カロリーネン橋から見たレヒ川。
西岸(左)にムッター塔、右には中州が広がっています。
中州の中にはプールがあり、多くの人が泳いでいました。


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中州を隔てるミュール川に面したベッカー塔(Bäckertor)は、1435年に作られた門です。
2つの異なる形の屋根を持ち、街の外側は屋根がついています。


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町側はゴシック様式の階段状のファサードになっています。


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1530年頃に、中州にあるロースマルクト(Roßmarkt)の辺りも町に取り込まれ、その外側にフェ―バー門(Färbertor)が作られました。


ランズベルクには他にもヘクセン塔(Hexenturm)や、ノーネン塔(Nonnenturm)が残っています。


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フェ―バー門とTern号。


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レヒ川の西岸にある、ヒットラーが「わが闘争」を執筆した牢獄。
この建物は現在も刑務所として使用されています。


繰り返しになりますが、バンド・オブ・ブラザーズ所縁の地を訪問する目的だけに来た町でしたが、ランズベルグは中世の趣を強く残した素敵な町でした。
観光ガイドに載っていない素敵な町が他にも多くあるのでしょうね。


終わり

アイゼナハとヴァルトブルク城訪問

2018年4月21日から仕事でハノーファーに行きました。

4月22日~24日はハノーファー・メッセに行きました。
展示会中のホテルは会場から60km離れた、ザルツギッター(Salzgitter)にある、ホテル・アム・ゼー。
大きな展示会があるとハノーファー周辺のホテルは予約でいっぱいで、空いていても信じられない値段となります。
このため、毎日120kmを車で往復する事になりました。
  

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これが今回のホテルです。
田舎の小さなガストホーフと思っていましたが、意外と大きなホテルでした。


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ホテルは名前の通り、ザルツギッター湖の畔に建っています。
朝飯前に、湖畔を散策しました。


4月25日は、ミュンヘンまで戻る日です。
この日は朝から、ハノーファー市内に泊まっていた日本からの出張者を、メッセ会場に送った後に、ミュンヘンに戻るだけ。
少し時間があるので、途中でアイゼナハに寄り道をしました。


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アウトバーン7号線をゲッティンゲンの先で降り、一般道をしばらく走った後に、アウトバーン4号線に乗りました。
写真はヴェッラタール(Werratal)のパーキングエリアから見えた、ブランデンブルグ城址(Burgruine Brandenburg)。

一般道を走る間も多くの城や城址を見ました。
古城街道だけではなく、ドイツには、どこでも古城があるのですね。


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アウトバーンを降り、アイゼナハに来ました。
カッセラー通り(Kasseler Str)がヘーゼル川(Hörsel)を渡った所で、ヴァルトブルグ城(Die Wartburg)が見えました。
今回の目的は、この城ですが、まずは町の中を観光しました。


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Parkhaus Am Markt (住所:Hinter der Mauer 1, 99817 Eisenach)に車を停めて、町の中心に向かいます。
上の写真はゲオルゲン通り(Georgenstraße)で、写真の手前(背後の方向)に進むと、町の中心のマルクト広場(Markt)に出ます。

この時、11:40でした。


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広場の中央に建つ、ゲオルグ教会(Georgenkirche)です。
この教会では、1221年にハンガリア王女のエリザベトとテューリンゲン伯のルードヴィッヒ4世の結婚式が行われました。
また、1521年にはルターが演説をし、1685年にはバッハが洗礼を受けたそうです。


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教会の内部は、質素な装飾です。
両側の身廊は4階建てとなっており、多くの信者を収容できそうです。
まるで劇場のようです。

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広場にある、聖ゲオルグの噴水に立つ聖ゲオルグの像。


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広場の北側にあるシュタットシュロス(Stadtschloss)。
1741年に、アイゼナハ一帯はヴァイマル周辺を領土とするザクセン=ヴァイマル公国の君主であったエルンスト・アウグスト1世の領地となりました。
1750年に彼はアイゼナハでの邸宅として、この建物を完成させました。


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中央の塔を持つ建物が、アイゼナハの市庁舎です。
この建物は1564年頃に現在のルネッサンス様式となり、公共のワインセラーとして使われました。
その後、1596年から市庁舎として使われました。
ただし元の建物は、1636年に火災によって大きく破損し、1639年までに再建されました。


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広場の南側の建物。
木枠造りの建物が並んでいます。
中央に見えるのがルターの住んだ家です。


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同じ建物の全景です。
シュタインホーフ(Steinhof)と言われた、かつての領主宅の、16世紀末に拡張された東翼部分です。


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13世紀頃に建てられた、シュタインホーフ(Steinhof)と言われた、かつての領主宅跡。
左の建物は、1610年に作られたかつての醸造所で、今はシュロスホテルのレストランになっています。
その後ろの大きな建物は関係無いようです。(何か判りませんでした。)
右の木の後ろにある建物は小学校ですが、1596年―1742年まで同じ場所に領主宅の西翼が建っていました。


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1742年に、この辺りにあった主要な建物は壊され、塔のある建物と、現シュロスホテルの建物が残ったようです。



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アイゼナハの一番の商店街であるカール通り(Karlstraße)。
もう少し進めば、カールスプラッツ(Karlsplatz)と、その先にはアイゼナハの入り口の門、ニコライ門(Nikolaitor)があったのですが、途中で引き返してしまいました。
残念。


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カールス通りをクェアー通り(Querstraße)に曲がって、しばらく進むと、フラウエンプラン(Frauenplan)広場に出ます。
そこにバッハ一族が過ごしていた家(Bachhaus)があります。


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家の横に建つバッハの像。


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バッハの家から、ルター通り(Lutherstraße)を下っていきます。
写真は途中にあった家ですが、北の方にはこのような、うろこ状の壁を持つ家が多いです。


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これがマルティン・ルターが、1498年よりラテン語を学ぶ学生として住んだ家です。

アイゼナハには約1時間滞在しました。
この後、駐車場に戻って、車でヴァルトブルグ城に行きました。

もちろん、この日も昼食は抜きです。(笑)


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ヴァルトブルグ城へは森の中の道を走りますが、一瞬森が切れて城が見えました。
ちょうどそこにスペースが作られており、車を停める事が出来ました。
ドイツでは見晴らしが良い所に、停車スペースがある事は珍しいです。


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アイゼナハの町の近くの丘にある屋敷。
最初は、これがヴァルトブルグ城と勘違いしていました。


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ヴァルトブルグ城は、駐車場から、少し階段を上る必要があります。
写真は、階段を上った所にあるホテルです。


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ヴァルトブルグ城の入り口です。
この城は、1067年に、テューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが建てたとされていますが、現存する主要部分は1170年に後期ロマネスク様式で建てられ、19世紀の終わりまで増改築が繰り返されました。



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城内はガイドツアーでのみ見学できます。
13時過ぎに城に着いたのですが、ツアーが13:30からなので、時間まで中庭を散策しました。

写真は、南の塔(Südturm)から見た城の中庭部分。
この塔に上るには0.5ユーロ必要でした。


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なお塔からは城の南側の景色も見れますが、ほとんど森しか見えません。
1067年に、テューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが、この景色を気に入り、この城を建てたと言われています。


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城内にある小さな庭園。


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今はカフェになっている、昔のゲストハウス(Gäastehaus)と、南の塔(Südturm)。


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13:30になり、城内のツアーが始まりました。
見学は中央の建物(Palas)を見学します。
最初に入ったのは、騎士の間、と、呼ばれていますが、記録が残っていないので、あくまでも後代の推測とガイドが話していました。


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ダイニング・ホール。
こちらも後代の推測です。


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黄金のモザイクで飾られた、豪華なエリザベトの間。
この部屋には、エリザベトの生涯がモザイクで描かれています。


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エリザベトとルードヴィッヒ4世の結婚式。


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第6次十字軍に向かう、ルートヴィヒ4世。
聖エリザベートの夫のテューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世は1227年、皇帝フリードリヒ2世の十字軍に参加しましたが、その遠征途上、病気で27年の生涯を閉じました。

エリザベートも、その4年後の、24歳で死去しました。


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歌合戦の間
中世では文武両道がもてはやされ、詩を作れる吟遊騎士がたくさんいたそうです。
この歌合戦の間で、城主の前で騎士達が詩を競ったそうです。


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ここが歌合戦の舞台だったのでしょうか?


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後に、その話を題材に、ワーグナーがオペラ「タンホイザー」を作りました。


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ランドグラーフの部屋。
真ん中の円柱の、鷲の形の柱頭と、ライオンの基礎部分は、権力と力を現しています。


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綱状の輪を噛むように配置されたライオンは、権力の象徴と言うより、可愛らしかったです。


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ヴァルトブルグの名は、1067年、テューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが、ここの山頂を見て「待て(wart)、汝我が城(burg)となれ」と叫び建築を命じたことに由来します。
その際の様子を表したフレスコ画です。

でも、今回来るまで、私はてっきり城の名前は、Wald(ヴァルト=森)-Burg(城)と思っていました。


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3階部分を全て使った、広くて豪華な祝宴の間です。
後に、この部屋を見たバイエルン王のルードリッヒ2世が、この部屋をまねた部屋をノイシュヴァンシュタイン城に作りました。


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この部屋がガイドツアーの終点で、この後は自由行動となりました。


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祝宴の間の横は宝物を飾った博物館になっています。
 左:1600年頃に作られた、式典用の甲冑。
 右:15世紀に作られた聖エリザベトの胸像。


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宝物を飾った部屋から、アイゼナハの町が見渡せました。


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城壁の渡り廊下を通って、執行官の館(Vogtei)に向かいます。


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そこにある、ルターの部屋。
免罪符を乱発する等のカトリック教会の現状に疑問を覚え、聖書と信仰を重視する事を解くルターは、1521年4月のヴォルムス帝国議会にて、帝国追放の処分を受けました。
しかし、議会が処分を決定する前に、ルターはヴォルムスを離れフリードリヒ3世の元に逃げ込み、このヴァルトブルク城にかくまわれました。

1521年5月から翌年3月までの10ヵ月間、ルターが、この部屋に籠って新約聖書をドイツ語に翻訳しました。

当時の聖書はラテン語で書かれており、庶民には読むことが出来ないため、聖職者の言葉を通してのみ、神の教えを聞く事が出来ました。
その聖書を現地語に訳すことで、庶民が直接キリスト教の原典である聖書の中身を知る事が出来るようになりました。

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城内の観光は、これで終了です。
手前にある一階まで木枠造りの館が、執行官の館で、その奥にあるのが騎士の館(Ritterhaus)。


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一旦南の塔に戻って、そこから西側の城壁の外に出ました。
写真は、城壁の外から見た騎士の館。

この辺りには、昔の職人の作業場が再現されており、手前にある小屋は、木材加工の小屋。


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こちらは鍛冶屋の小屋。


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最後に、城の横にあるホテルの中庭の写真です。
趣のあるホテルです。

15:15にヴァルトブルグ城の見学を終え、ミュンヘンに向かいました。
ここまでは天気が良かったですが、ミュンヘンへの道中、一時強い雨になりました。
見学中に天気が持って良かったです。




終わり。


ハノーファー訪問

2018年4月21日から仕事でハノーファーに行きました。
  
4月21(土)は基本的に移動日だったので、ついでにハノーファーの町を散策しました。
今回は仕事の都合でフランクフルトからの移動で、12:10にハノーファーに到着しました。

ハノーファーは、中世期にハンザ同盟の一員として繁栄しました。
1692年にハノーファーを領していた、エルンスト・アウグストが選帝侯となったことにより、彼の公領はブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯領、通称ハノーファー選帝侯領となりました。
そして、ハノーファーが最も発展したのは、1714年に、ハノーファー選帝侯ゲオルク1世がイギリス国王ジョージ1世として即位してからの、ハノーヴァー朝の時代です。
1901年の第一次世界大戦時に、敵国ドイツの名前を避け、ウィンザー家と改名しましたが、現王室もハノーヴァー家の血筋です。


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中央駅の近くのヨアヒム通り(Joachimstraße)にあった、地下駐車場に車を停めました。
その駐車場は、ルイ―ゼ通り(Luisenstraße)に面したショッピング・アーケードのものでした。

上の写真はゲオルク通り(Georgstraße)。
最初、中央の建物が中央駅かと思い撮影しましたが、違いました。

ハノーファー第二次世界大戦で、連合軍の空襲を受け、町の3分の2が焼失したため、新しい建物が多いです。


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ゲオルク通りにある、1845年-52年に作られた、国立オペラ劇場。


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旧市街の外側に、1913年に作られた新市庁舎です。
前の道路が、昔の城壁の跡。


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入り口を入ると非常に大きなホールになっています。


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天井は四本のアーチの支えるドームになっています。


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後陣の左右には螺旋階段が配置されています。


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ホールには、各年代のハノーファーの町の模型が並んでいます。
これは、1689年の模型。
稜堡と堀で強化された、中世の城壁が町を取り囲んでいます。


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1939年の模型です。
城壁が無くなり、町はその外まで発展しています。
右手前の湖の先にあるのが、この市庁舎です。


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1945年の模型。
連合軍の爆撃で破壊された後です。
写真は、北側から見ています。


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そして、現在の姿です。


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新市庁舎のドームの上に上がる事が出来ます。
市庁舎の屋上まで普通のエレベータで上がります。

ここからドームの上まで、ドーム内のエレベータで上がりますが、6人乗りで、昇降速度が遅いので、市庁舎の屋上にエレベータ待ちの列が出来ていました。


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ドーム内のエレベータです。
ドームに沿って上るので、先で少しカーブしています。


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最後は螺旋階段で展望台に上ります。


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展望台からはハノーファーの町を一望できます。


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南側はライネ川(Leine)と、その横に作られたマシュ湖(Maschsee)。


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市庁舎は南側から見た方が美しいですが、今回は残念ながら工事中でした。


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建物の前には、チューリップが美しく咲いていました。


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アエギディエン教会(Aegidienkirche)跡。


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この教会は1350年に建てられましたが、1943年10月に連合軍の爆撃で破壊され、戦争の遺物として、石造りの壁と鐘楼だけが残っています。


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  右:鐘楼
  左:姉妹都市の広島から贈られた平和の鐘。
    鐘匠の香取正彦氏の銘が入っていました。


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旧市街の中心、マルクト広場に立つ、マルクト教会(Marktkirche)。
14世紀の建築。


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  左:97mの高さを持つ鐘楼。
  右:教会内部


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祭壇には、ゴルゴダの丘で磔にされるキリストを描いたレリーフが飾られていました。


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この教会の屋根は、細長いレンガ(タイル?)がむき出しで、最初、ザルのように見えました。


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  左:教会の横にあった変なモニュメント
  右:入り口の上にあるステンドグラス


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昔の写真が飾られていました。

  右:1946年の写真。1943年の爆撃で破壊されたままです。
  左:爆撃で破壊される前の写真。ネオゴシック式の華麗な装飾がされています。


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入り口に飾られていた、聖ゲオルグの肖像。


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  左:入り口の扉。戦中の様子が描かれています。
  右:教会の横に建つ、マルティン・ルターの像。


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いかにも北部ドイツらしい、教会北側の建物。


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教会南側に建つ、旧市庁舎。


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旧市庁舎の南側のファサード。
旧市庁舎は1410年から約100年かけて建てられました。


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その横にあった建物、市庁舎薬局(Raths Apotheke)。
かつて市庁舎付属の薬局があった事から、こう呼ばれています。


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入り口を飾るユニコーンの肖像。


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カルマールシュ通り(Karmarschstraße)を西に歩くと、ハノーファーの町の中央を流れる、ライネ川にぶつかります。
川沿いにある建物は、現在州庁舎として使われている、ライネ城(Leineschloss)。
1300年に、この地に城が築かれましたが、1533年に一旦廃棄されました。
現在の城は、1636年にブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国の一部であるカレンベルク侯領を受け継いだゲオルクが、その居城として建てました。
その後、18世紀から19世紀に渡って拡張されています。


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ライネ川に架かる橋。
この日は、FCバイエルンと、地元ハノーファー96のサッカーの試合があるようで、両チームのTシャツを着た観客がスタジアムに向かっていました。


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ライネ川の景色。
奥に見えるのは、新市庁舎のドームです。


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ライネ川と、ライネ城。
この日、川岸には市場が建っていました。


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シュロス通り(Schloßstraße)には、町の拡張に伴い、かつて二つの門が造られました。
川の西側には1782年に作られた、新しい門(Neues Tor)がありました。
また、川の東側(写真の奥)には、1340年に作られた、インナレス・ライン門(Inneres Leintor)がありました。


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ライネ城の東側のファサード。


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旧市外の城壁の防御の塔、ベギネン塔(Beginenturm)。


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ベギネン塔は17世紀に武器庫として作られた歴史博物館と共に残されています。


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1714年に作られた、厩舎の門(Tor der Marstalls)。


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昔の町並みを再建したブルグ通り(Burgstraße)。


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ホルツマルクト(材木市場)です。
中央にあるのは、「願いの井戸」として知られる、オスカ―冬の噴水(Oskar-Winter-Brunnen)です。


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マルクト広場へ続く、クラーマ―通り(Kramerstraße)。


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ハノーファーの繁華街。


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中央駅に続く、バーンホーフ通り(Bahnhofstraße)。
半地下になった商店街が駅まで続いています。

通りの上にはハノーファー・メッセの垂れ幕が出ています。
ハノーファー・メッセは、産業技術に関する欧州最大規模、または世界最大規模の展示会で、今回の私の出張も、これに参加するためです。


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ハノーファーの中央駅。
1843年に最初の駅舎が建てられ、1876年から79年にかけて、現在の駅舎が建てられました。
(第二次世界大戦後に再建)


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今回駐車した、ショッピングモール Galeria Luise。


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地下駐車場に降りる階段にあった写真。
通りの名前であり、このショッピングモールの名前の由来である、ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツの肖像です。

ルイーゼは、メクレンブルク=シュトレーリッツ公カール2世の第6子(次女)としてハノーファーで生まれ、プロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルム(後のプロイセン王、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世)と結婚しました。
プロイセン王妃であり、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の母です。


15:00過ぎに、見学を終え、ハノーファー市街を出ました。


終わり。


リンダ―ホーフ城とエッタール修道院へのドライブ

2017年10月15日(日)にリンダ―ホーフに行って来ました。

なお、この日は、今年のこの城の夏時間の最後の日で、次の日から庭園内の施設が閉鎖されます。
このため、1週前の週末に行こうと思ったのですが、天気が悪く断念しました。
この週末は天気が良かったので、たまたま日本から来ていた出張者と一緒に、男二人で旅行してきました(笑)。


リンダーホーフ城は、我らがルーちゃん(バイエルン王ルートヴィヒ2世)が建設した城の一つで、唯一完成した城です。
1874年から1878年に建設されました。


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駐車場を出るとすぐにチケット売り場があります。
ノイシュバンシュタイン城やヘレンキームゼー城と同様に、この城も内部の見学はガイドツアーのみなので、ここでツアーの予約を行う必要があります。


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リンダーホーフ城は、ヴェルサイユ宮殿内の大トリアノン宮殿を手本にして建てられたルネサンス様式の建造物です。しかしヘレンキームゼー城とは違い、完全な模倣ではなく、ルーちゃんのデザインが加味されています。

宮殿内の写真撮影は不可。よって内部の写真はありません。
内部はロココ様式の豪華な装飾が施されています。
ダイニングは、王が誰とも会うことなく食事が出来るように、階下からテーブルごとせり出してくる構造になっています。
なんとも、引きこもりなルーちゃんです。


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宮殿の前の庭には金色の女神像の噴水があります。


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その噴水から定期的に水が吹き上がります。

なお、噴水の先の丘も庭園の一部で、丘の上まで階段が続いています。


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階段の上には「ヴィーナスの神殿」が立っています。


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丘の上から見た宮殿。
宮殿の奥にもカスケードが続いており、その先には、「ヴィーナスの洞窟」が造られていますが、この時は工事中で閉鎖されていました。


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階段の手すりに置かれた鉢は、すでに冬支度で外されていました。


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リンダ―ホーフには広大な庭園があり、その中にいくつかの建物が点在しています。
写真は庭園の東にある、「ムーア風のキオスク」。


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「ムーア風のキオスク」の内部は、極彩色のオリエンタルな装飾になっています。


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庭園内は、木々が黄葉し、秋真っ盛り。


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庭園の東の外れには「フンディング・ヒュッテ」があります。

駐車場から、ここまで約1.5kmあります。
でも、もう少し歩いた気がしました。


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ここは、ワグナーの楽劇の「ニーベルングの指環」の第一幕「ヴァルキューレ」に出てくる、フンディングの館をイメージして作られています。


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小屋の中央には大きな木が立っていますが、その周辺は人造の装飾です。
キノコも取り付けられています。


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木の葉も針金でとめられていました。


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「フンディング・ヒュッテ」からの帰りは、南側の山道を歩きました。
少しアップダウンもある、ちょっとしたハイキングコースです。

なお、この道は「ヴィーナスの神殿」まで続いています。


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その後、駐車場横のレストランで昼食を取りました。
料理の名前は忘れましたが、バイエルンのハンバーグです。

この日は車の運転があるので、ビールは無しです(泣)。

なお、リンダ―ホーフ城の攻城記は以下のブログで紹介しています。


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リンダ―ホーフの帰りに、エッタールの修道院に立ち寄りました。


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この修道院は、ヴィッテルスバッハ家出身の神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世により、1330年に建造され、18世紀にバロック様式に改築されました。


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礼拝堂の内部はロココ様式の装飾が施されて、非常に美しいです。
ヴィース教会と言い、バイエルンには華麗な教会が多いです。


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大きな天井一面に、宗教画が描かれていますが、ロココ様式の明るい色彩で、癒されます。


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懺悔室にも装飾が施されています。
こんなにきらびやかだと、明るい気分になって懺悔どころじゃ無くなりそうですが。。。


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礼拝堂側から見た、入り口方向の建物。
でかい。


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中庭にあった、殉死者の碑。


冬期に入る前に、ルーちゃんの三つ目の城を見に来ましたが、途中に通った山道も含めて、季節は秋真っ盛り。
天気も良く、気持ち良いドライブが出来ました。

終わり

ニュルンベルグに行って来ました

2017年4月9日(日)にニュルンベルグに行って来ました。

ニュルンベルグは、バイエルン州でミュンヘンに次ぐ第2の都市で、12世紀末から15世紀までホーエンツォレルン家の統治した町でした。
その後、帝国自由都市として繁栄し、その間、多くの神聖ローマ皇帝もここに住みました。
しかし16世紀の宗教改革の波と共に力を失い、19世紀初頭にプロイセンやフランスの短期間の支配の後に、バイエルン王国に併合されました。
第二次世界大戦前および戦中は、ナチス党の拠点となったため、連合軍から徹底的に破壊されています。

8時前に自宅を出て、9時過ぎにニュルンベルグに着くも、駐車場探しに手間取り、結局9時半から観光を開始しました。


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写真の右手の塔はフラウエン・トア―塔で、左の門から入ると職人広場に行く事が出来ます。
また、塔の右側から北西に延びるケーニッヒ通りが、ニュルンベルグの目抜き通りです。

ニュルンベルグは市を囲む城壁や塔から中世の雰囲気を感じますが、ほとんどが第二世界大戦後の再建だそうです。

なお別館で、カイザーブルグとニュルンベルグの城壁の紹介をしています。



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その向かいにあるニュルンベルグの中央駅。


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先ほど紹介した職人広場です。
この日は日曜なのでレストラン以外は閉まっていました。
なお左の建物は、ニュルンベルガー・ソーセージで有名なレストラン、Bratwurstgloecklein。


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職人広場の街並みです。


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職人広場を東に抜け、ケーニッヒ通りを北上すれば、市内の名所を巡る事が出来るのですが、私は一旦東に行き、城壁外を散策しました。
ニュルンベルグは市の中央を東西にペグニッツ川が横切っているのですが、その上を渡る城壁です。


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中州を抜け、北側のペグニッツ川にかかる櫓橋。
写真は城内側からの撮影です。


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町の北東を守る、ラウファー塔。


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ニュルンベルグ北西側には帝国皇帝の居城、カイザーブルグがそびえています。
カイザーブルクは大きく3つの部分に分かれており、写真は東の端にある、帝国厩舎。
今はユースホステルになっているそうです。
手前の塔はルーギンスランドで、奥の塔はフュンフ・エック塔です。


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写真は西の端にあるKemenateで、中世時代の暖炉があり一番居心地の良い建物の事です。主に夫人の館だったようです。
北の城壁沿いにある居城は、重厚な稜保に守られていました。

写真の左端には、北側から城内に入る門が見えています。
なお、左の奥にあるのは、城の中央部分にあるジンヴェル塔。


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城門を抜けた所にあった扉。
扉の上の看板(?)など、凝った作りですが、どこまでが戦後の再建なのでしょうか?


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城の中央部分の外庭から見た、西の城郭。
この西の部分が、12世紀にこの城が最初に作られた場所で、その後城は東に拡張されました。


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ハイデン塔(左の写真)とジンベル塔(右の写真)です。
右の写真の右には、市内に抜ける門が開いています。


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中庭に抜ける門の扉には、皇帝の紋章の双頭の鷲が描かれていました。


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中庭の景色。
右の建物が先ほど紹介したKemenateで、中央の扉がチケット売り場の入り口です。
私は、博物館とジンヴェル塔のセットの入場券を購入しました。
左の建物が王宮です。


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王宮から見た景色。
右に見える高い塔が、ティアゲルトナーの塔で、左の塔はノイトア―塔です。


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王宮の地上階(日本の一階)の広間を抜けると、皇帝のチャペルに入ります。


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王宮の内部は博物館になっています。
一階(日本式二階)は宝物と、神聖ローマ帝国に関する資料類が展示されています。


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皇帝のオルブですがレプリカです。


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その奥の部屋にも宝物が並んでいます。


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Kemenateの中は武器の博物館になっています。


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右の椅子は、バイエルン王国摂政のルイトポルトの椅子。
中央の二門の砲は、1683年のトルコ軍によるウィーン包囲の際の戦利品だそうです。


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王宮博物館の見学の次は、外庭にあるジンヴェル塔の見学です。
写真はジンヴェル塔のらせん階段を下から撮影したもの。
らせん階段の木組みが美しいです。


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塔の上から見た、ニュルンベルグの街並み。
右手前には聖セバルドゥス教会、中央には聖ロレンツォ教会が見えます。


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塔から見た、西の城郭部分。


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塔の見学を終え外庭に降りました。
この日は暖かい日で、桜が満開でした。


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城の見学後、ノイ・トア―塔まで、城壁沿いにあるブルグガルテンを歩きました
お城の庭も、春爛漫。


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そのまま城壁沿いを歩いて、ペグニッツ川に出ました。
前に架かる橋はマックス橋。


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マックス橋から見た西の城壁。
ペグニッツ川の上には、西側にも橋状の城壁があります。
その手前には歩行者用のつり橋が架かっており、前の写真はそこから撮ったもの。


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マックス橋から東を見ると、ニュルベングの写真スポット(笑)があります。
木組みの屋敷と塔が中世の雰囲気を出しています。
更に写真の右端には、ヘンカーシュテークと呼ばれる屋根付きの木の橋が架かっています。


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ヘンカ―シュテークとは死刑執行人の小橋と言う意味だそうです。
橋の先にヘンカ―ハウスがあったので、死刑執行人が住んだのでしょうか?


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ヘンカーシュテークから一旦、カイザーブルグの西側にあるティアゲルトナー門とその前のティアゲルトナー広場に戻ってきました。(左の写真)
広場の横にある建物には、ドラゴンを倒す金の騎士の像が立っていました。(右の写真)


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広場の角には、アルブレヒト・デューラーが亡くなるまで過ごした家があります。
デューラーはドイツ・ルネッサンスの画家だそうですが、知りませんでした。


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広場の中央には変なウサギの像があります。
デューラーの「野兎」と言う絵をモチーフとした彫刻らしいです。


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ティアゲルトナー広場からベルグ通りを下ると、デューラーの像があります(左の写真)
更に下ると聖セバルドゥス教会があります。(右の写真)
二つの塔の屋根の模様が左右で異なるのが珍しいです。


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教会の東側には旧市庁舎の建物があります。


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旧市庁舎のすぐ南には、ニュルベング中心、中央広場があります。
ここはクリスマス・マルクトの会場として有名ですが、4月のこの時も、日曜市が立っていました。
中央に見えるのはフラウエン教会です。
ファサードに仕掛け時計があり、毎日12:00に動くらしいですが、すでに13:30となっており、見逃しました。

少しお腹が空いたので、この市場の屋台でニュルンベルガー・ゼンメル(パンにはさんだソーセージ)を食べました。
本当は、レストランでニュルンベルガー・ソーセージを食べたかったのですが、また次回。


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中央広場に立つ、美しの泉。
写真では判りませんが、手前のフェンスの上についたリングを三回回す間に願い事をすると、願いがかなうとの伝説があるそうです。


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フラウエン教会を見学しました。
左の写真は正面の扉を入った所にある教会への入り口。聖人の彫刻に囲まれています。
右の写真は教会内部。
派手さの無い、落ち着いた雰囲気の教会です。


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中央広場の南には別の広場があり、中心にはナーレンシーフの噴水があります。
阿呆船の噴水と言う意味ですが、15世紀のドイツ作家セバスティアン・ブラントによって書かれた諷刺文学「阿呆船」を題材にしているようですが、これも知りませんでした。


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ムゼウム橋から見た、ペグニッツ川。
左の建物はハイリグ・ガイスト・スピタール(精霊病院)です。


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川を渡るとすぐに、聖ローレンツ教会があります。
この教会も左右の塔の屋根のデザインが異なっています。
右の写真は教会内部。
この教会も派手さが無い教会です。


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祭壇上に吊るされた受胎告知のレリーフは、ファイスト・シュトス作。(左の写真)
教会の入り口(参拝者用の入り口は建物南側)の裏あった鐘(右の写真)
恐らく戦前のオリジナルの鐘と思われ、縁の部分に多くの傷がありました。


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この教会も第二次世界大戦で破壊されました。
写真は戦後すぐの教会と、廃墟の中を進む、米軍のシャーマン戦車の写真です。


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床にロウソクが灯されていましたが、砂が敷かれているので、ローソクを灯す人が思い思いの模様を描いていました。


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ケーニッヒ通りを少し歩いた時に、東にタマネギ屋根の可愛い建物が見えたので、行ってみました。
警察の相談所のようです。

ケーニッヒ通りを、そのまま歩くと、朝に見学したフラウエン・トア―塔に着きますが、ここから再び西に寄り道しました。


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コルンマルクト通り沿いにあったゲートの中では、EU関係の集会があっていました。
この中に、ゲルマン国立博物館があります。


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でも、私は更に西に歩き、ヤコブ広場に出ました。
左にあるのは聖エリザベト教会で、右に少し見えるのは聖ヤコブ教会です。
中央に見えるのはヴァイサー塔。


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ニュルンベルクの城壁の西南の守りのスピットラー・トア―塔です。


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スピットラー・トア―からは城壁外を東に歩きました。
途中に、ニュルンベルクのオペラハウスがあります。

更に東に歩きフラウエン・トア―塔/中央駅に戻り、今回の観光は終了です。


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フラウエン・トア―塔から城壁外を少し北に歩いた所にある、マリエン・トア―(跡)と、ローレンツァー通りです。
正面に見える塔は、聖ローレンツ教会のもの。

今回はこの北側にある、ニュルンベルグ・アカデミー・パークハウスに車を停めていました。
(料金:1ユーロ/時間)

そこで車をピックアップし、15時過ぎにニュルンベルグを出ました。

終わり

ヘレンキームゼー城訪問

2016年10月16日にヘレンキームゼー城を訪問しました。

攻城記は別にまとめているので、
http://blogs.yahoo.co.jp/levante_schloss/65952161.html
このページでは、キームゼー(湖)の散策を中心に書きます。


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10:00にプリエン東の桟橋から船に乗り、10:20にヘレン・インゼル(男島)に上陸しました。
今回の船は、この後、フラウエン・インゼルに向かうので、降りる場所を間違えないようにする必要があります。
写真のレンガ造りの建物は船の待合室。
この建物を出た所に、ヘレンキームゼー城のチケット売り場があります。
ここでしか買えないので、購入を忘れないように。


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船着き場の裏にある丘の上には、古いヘレンキームゼー城である、アウグスティニアン・モナスタリがあります。
その横には、レンガ造りの簡素な教会がありました。


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船着き場から約1km歩くと、ヘレンキームゼー城の宮殿に着きました。
この城は、フランスのルイ14世に憧れる、ルードヴィッヒ二世(仏語でルイ二世)がヴェルサイユ宮殿を模して作った城です。
中は豪華で、この城の建設費はノイシュバンシュタイン城とリンダ―ホーフ城の建設費の合計より高いそうです。


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宮殿の前(西側)の庭には、噴水と彫刻が並んでおり、典型的なフランス式の庭園です。


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裏(東側)の庭は、街路樹の並ぶ遊歩道が湖まで延びている、シンプルなものです。


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宮殿およびルードビッヒ二世博物館の見学を終えると、12:45になっていたので、宮殿のレストランで簡単な昼食を取りました。


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各テーブルに、花が飾られていました。
座った時は別の花でしたが、午前と午後で取り換えるようです。
前の花も、まだ元気そうでしたが、こういうこだわりがドイツらしいです。


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帰りは、行きとは別の道を帰りました。
宮殿の前の庭をアポロの池まで歩き、そこから北に歩きました。
牧場の中を歩きましたが、飼われているのは馬ばかり。
観光馬車用の馬でしょうか?
写真の建物が、アウグスティニアン・モナスタリ(昔の城)です。


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アウグスティニアン・モナスタリの西側には農家がありました。
牧歌的な雰囲気が良いです。
ドイツ人は途中で弁当を食べたりしながら、のんびり散策していましたが、私は慌ただしく船着き場に向かいました。


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船着き場の向かいには、フラウエン・インゼル(女島)(左)と、クラウト・インゼル(右)があります。
14:45に出航しました。


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帰りの船から見えた、島の北の端にある教会。


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そして島の西側を通る時に、大運河と城が見えます。


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湖の南側にはアルプスの山々が続いています。


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プリエンの郊外の船着き場には、ルーちゃんの顔がありました。


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船の事務所(チケット売り場)の屋上が展望台となっていたので上ってみました。
船着き場の周りには、ホテルやレストランが並んでおり、観光列車の駅もあります。
展望台からは、キームゼー(湖)やヘレン・インゼル、アルプスの山々が良く見えました。


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ヘレンキームゼー城から、正面に見えていたドーム屋根のモダンな建物は、室内プールでした。

なお、写真を撮っている場所は、船の桟橋の北側に突き出した防波堤(?)の先端で、ここからはプールだけでなく、大運河とヘレンキームゼー城も正面に見る事が出来ます。
(桟橋からは運河は見えない。)

この後、15:30に駐車場から車を出してミュンヘンに帰りました。
高速のA8号線は、夏場はいつも渋滞していましたが、この日は時間が早いせいか、シーズンオフのおかげか、スムーズに走る事が出来ました。

ヘレンキムゼーはミュンヘンから車で約1時間と比較的近く、綺麗な水の湖や、アルプスの山々と景色も良いので、城に興味が無くても、散歩がてら行くのも良いと思います。

終わり


家族とドイツ旅行 番外編 ~ミュンヘン観光

8月14日(日)は、家族が日本に帰る日ですが、ミュンヘン空港を飛び立つのは夜なので、昼間はミュンヘン近郊をドライブしました。


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最初に行ったのはヴィッテルスバッハ家の夏の離宮として作られた、ニンフェンブルグ城。
1664年に設計され、中央の建物が完成したのが1675年ですが、その後も拡張され続け、今の姿となりました。

なお、今回の駐在時では、ニンフェンブルグ城は私にとっても初めての訪問でした。


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建物の裏には美しいフランス式庭園があります。
更に森の中には、広大な庭園内に、小さな屋敷や池が散らばっており、全てを回るには結構歩く必要があります。(構内は自転車は禁止です。)


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ミュンヘン市内のレジデンツほどでは無いですが、中も、とても美しいです。
さすが、バイエルン候~バイエルン王の居城です。


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次に行ったのは、オーバーシュライスハイムにある、シュライスハイム城。
昔は無名でしたが、今では少し有名になっているようですね。
(と言っても、レジデンツやニンフェンブルグ城と比べると無名ですが。)

以前のブログにも書きましたが、シュライスハイムは前回の駐在時に住んだ町。
なのでオラが町の、この城は、私は大好きです。
今回の駐在時だけで、この時が3回目の訪問で、その後にも、もう一回行きました。
(実は、これらの写真は4回目の訪問時のものです・・・)


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夏は、庭園も花で飾られ綺麗です。


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これは、宮殿の表側の写真です。
シュライスハイム城も建物の中が見学できますが、4回も行きながら中の見学はしていません。
一度は入って見たいと思います。


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こちらは、向かいにある、昔の宮殿です。
この建物の左手にビアガーデンがあり、家族にとってのドイツ最後の昼食は、そこで取りました。


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二つの城を見学後、一旦アパートに戻って荷造りをし、ミュンヘン空港に移動しました。


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長かったようでも、楽しい時間は、あっという間に過ぎるもので、家族も、いよいよ帰国です。
来た時は、トンでも事件を起こしてくれましたが、帰りは無事に帰国したようです。

今回の家族の訪欧時の、総走行距離は約2500kmとなりました。
アメリカの時もそうでしたが、家族が遊びに来た時は長距離ドライブになります。

終わり


家族とドイツ旅行 番外編 ~ノイシュバンシュタイン城

8/10(水)は、家族との旅行の中休みで、ノイシュバンシュタイン城を訪問しました。
でも、私は今回の駐在時だけでも3回目の訪問で、この記事も過去と重複しない事だけを抜粋して書きます。

ここまで、バタバタしたので、今回も事前予約をしておらず(気づいた時は時間切れでした)、開場ダッシュを狙って6時半(少し過ぎていましたが)に家を出発しました。


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コロマン通りに入った所で、ノイシュバンシュタイン城が見えてくるのですが、今回は家族と一緒なので気兼ね無く(?)車を停めて写真を撮りました。


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畑の中に建つ聖コロマン教会も、一度写真を撮りたいと思っていましたが、今回撮る事が出来ました。


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コロマン通りからは、ノイシュバンシュタイン城とホーエンシュバンガウ城のツーショットも撮影できます。
他にも車を停めて撮影している人がいましたが、ほとんどがオランダからの車でした。


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チケット売り場には8:50に着きましたが、平日にも関わらず、すでに長い列が出来ていました。
約1時間並びチケットが買えましたが、最初に係の人が提示したノイシュバンシュタインの城の見学が15:30.
(ホーエンシュガンガウ城の見学が、その前にあります)。
それでは待ち時間が長すぎるので、交渉すると、12:10からノイシュバンシュタイン城、14:45からホーエンシュバンガウ城の見学となりました。
最初のものよりはましですが、それでも、待ち時間が長いです。
ハイシーズン中は平日でも予約が必須ですね。

ちなみに、チケット販売の列に並んだのは私一人で、その間、家族は土産物屋を物色していました(笑)。


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城の見学まで時間があるので、最初に、5月末から見学が解禁されたマリエン橋に行きました。
今回の駐在では初めて来ましたが、やはりここからの城は美しいです。


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馬車道では時間がかかるので、橋まで真っすぐ上る道を行きましたが、それでも橋に着く前に雨が降り始めてしまいました。
残念ながら、橋での撮影時も、かなり雨が降っていました。

この後、城に行きましたが、見学までは、まだ時間がるので、山道の途中にあるレストランで、少し早い昼食を取りました。


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その後、見学ツアーを終え、城のお土産屋を物色し終えたのが13:30。

ここまでに買った土産を入れるため、馬車道を途中から離れ、駐車場にまっすぐ降りる道を歩きました。
先の2回の訪問時は雪が残っていた事もあり馬車道しか歩いていませんが、今回は上りも下りも、新しい道をチャレンジしました。

山を下った後も時間があったので、カフェで一服した後に、ホーエンシュバンガウ城を見学。

その後は、いつものようにヴィース教会を見学しますが、私は疲れが出たので、教会の駐車場で寝ていました(笑)。
家族だけの見学も無事に終えた後、ミュンヘンに帰りました。

----------------9月6日に追記-------------------------------
真夏の8月と言うのに、皆上着を着ているのは、決して雨のせいだけではありません。
この日の気温は、なんと11度!
2月に来た時も、4月に来た時も、ミュンヘンには雪が無かったのですが、ここは雪景色でした。
アルプスの麓のホーエンシュバンガウはミュンヘンより寒いので、夏でも防寒着は必須です。
-----------------------------------------------------------

この日の走行距離:約250km


家族とドイツ旅行 四日目 ~ネルトリンゲン

ドイツ旅行四日目は、ミュンヘンに帰るだけですが、その途中でネルトリンゲンに寄りました。

この町もロマンティック街道沿いにあり、中世の街並みを良く残しており、日本人観光客にも有名です。
(とっ言っても、前回の駐在時は、全く知りませんでしたが。)
また、全周城壁で囲まれた町の構造が、進撃の巨人の町のモデルとも言われているようです。
でも、ローテンブルグよりも遥かにこじんまりとした町で、人類の生き残りが住める広さは無いです(笑)。

この地には紀元前後のローマ時代より集落がありましたが、1215年に帝国自由都市に認定され、商業の中心地として発展を遂げました。14世紀には初期の城壁の外に広がった市街を収容するために、市外壁が作り直され今の規模になりました。
しかし、1618-48年の三十年戦争で市民の約半数が戦死する損害を出して活力を失い、20世紀にようやく1618年時の人口に戻ったそうです。
不幸な歴史ですが、このおかげで、中世の街並みが手付かずで、現代に残りました。


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A7号線を降りた後一般道をしばらく走り、看板に従って到着したのが、バルディンガー門(Baldinger Tor)。
9時にローテンブルグを出発し、ネルトリンゲンに着いたのが10時前でした。
この門の外に無料の駐車場があったので車を停めましたが、時間制でした(1.5時間だったかな?)。
ゆっくり観光するなら、時間を気にしないで済む駐車場を探した方が良いと思います。
(ここは駐車スペースも少なく、私が停めた際は最後の場所でした。)

なお、他の門の上には防御の塔が立っていますが、この門にはありません。


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バルディンガー門にあった看板。
地図ではバルディンガー門が、左に書かれていますが、実際には町の北西に位置します。
南のベルガー門にパーク・ハウスがあるようなので、車で来た人は、そこに停めるのが良いのかもしれません。


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バルディンガー門からバルディンガー通りを歩くと、正面に聖ゲオルグ教会が見えてきました。
教会の前の広場が、町の中心であるマルクト広場です。


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マルクト広場に建つ舞踏館は15世紀の建設。


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舞踏館の向かいには、市庁舎(白い切妻の建物)がありますが、これは13世紀に見本市用の販売館として建てられ、1382年から市庁舎として使われたそうです。


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聖ゲオルグ教会の内部。
なお、今写真を撮っている所の上の部分にパイプオルガンが設置されています。
通常パイプオルガンは教会の後ろの壁面に設置されていますが、パイプオルガンの下にも祈りの席がある構造は珍しいと思います。


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右手の壁にもパイプオルガンのパイプが並んでいました。
これも珍しい。


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「ダニエル」との愛称を持つ、聖ゲオルグの塔は、観光客が上る事が出来、そこからネルトリンゲンの街並みを見渡せます。
もちろん上りる予定ですが、登り口が判らず探しました。
結局、塔の下にあったのですが、ちょうど教会の前で工事をやっており、死角になっていました。


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始めこそ、いつものらせん階段でしたが、途中から塔の中に設置された木組みの階段を上ります。
閉鎖的でがっちりした石造りの、らせん階段と違って、下も見渡せる木組みの階段は少し怖かった。
高い所の苦手な息子は、どうだったのだろう?


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途中にあった、大きな車は、中世の人力エレベータ。
初めて見ましたが、興味深いです。


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この塔は、塔を、ほぼ登り切った所に料金所があります。
係りの人は、守衛も兼ねて、ここに住んでいるそうです。
毎回、ここまで上り下りするのは大変ですね。

なお、料金所ではネコも出迎えてくれましたが、この塔の名物らしいです。
係りの人に名前を聞きましたが、えらく立派な名前でしたが、長すぎて忘れてしましました(笑)。

なお、写真がピンボケで申し訳ありません。
塔の中を撮影した時にAFがうまく働かず、マニュアルに設定したのですが、AFに戻すのを忘れていました。


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料金所からも、もう少し階段があるのですが、すぐにこの絶景を見る事が出来ます。
なお、朝が早いので、展望台は我々だけの貸し切り状態でした。

上の写真は、北西のバルディンガー門の方向です。
城壁には円錐屋根の塔が並んでおり、その右側に門があります(判りにくいですが)。
手前には舞踏館と市庁舎が見えています。


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北側の景色です。
正面に、ウンタラー・ヴァッサー塔(Unterer Wasserturm)と、レープジンガー門(Löpsinger Tor)が見えます。
なお、14世紀の町の拡張で、城壁内に川を取り込む事となりましたが、ウンタラー・ヴァッサー塔は、その弱点を補強するために作られた塔です。
ウンタラー・ヴァッサーとは下流の水(川)の意味です。


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東~南東の景色です。
左から、ダイニンガー門(Deininger Tor)、可愛い屋根のライス塔(Reis Turm)、そしてライムリンガー門(Reimlinger Tor)が見えます。
写真の一番右側には旧バスタイ(Alte Bastei)が見えます。これは昔の堡塁ですが、今は野外劇場になっているようです。

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南側の景色です。
写真の中央左手にある壁際の大きな建物がサルバトール教会で、その屋根の上にファイル塔(Feilturm)の屋根が見えます。
右側にはベルガー門(Berger Tor)と、レーベン塔(Löwenturm)別名プルファー塔(Pulverturm)が見えます。
ファイル塔とベルガー門の間には防御用の塔が無く、かつ一部城壁も低くなっており、防衛の弱点に感じました。


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最後は南西の景色。
前の写真と重複しますが、左からベルガー門とレーベン塔、そしてオーバーラー・ヴァッサー塔(Oberer Wasserturm)があります。
オーバーラー・ヴァッサー塔はウンターラー・ヴァッサー塔と同様、市内を流れる川の上流を防御するために建てられました。


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塔を降りた後は市庁舎の東側を抜けて、アイゼン通り(Eisengasse)に行きました。
途中にあった、市の鳥瞰図。
本当に丸い町です。


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市庁舎の東側には1618年に作られたルネッサンス様式の石彫りの階段があります。
ちなみに、この後ろにツーリストインフォメーションがあります。


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アイゼンガッセ=鉄の小道の名前を見て、何かいわれのある道かと思いましたが、特に何もない普通の商店街でした。
アイゼン通りは、そのままレープジンガー通りと続きますが、ネルトリンゲンの目抜き通りなのか、多くの店が並んでいました。


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そこで見かけた豚の像。
その謂れは、また後程。


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レープジンガー門です。
左は市内からの景色で、右は市外からの景色。


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門の外にあった豚の像です。
15世紀に近隣の領主がネルトリンゲンに夜襲をかけようと、この近辺に控えていた際、この門から逃げ出した豚を見つけた女性が「So,G'sell, so」と叫んだため、敵は夜襲が露見したと思い、引き上げたそうです。
その豚は町を救った英雄と言う事で、ネルトリンゲンのマスコットになりました。
その後、「So,G'sell, so」は町の守衛の掛け声となり、今でもダニエルの守衛が夜間に「So,G'sell, so」と叫んでいるそうです。
なお、「So,G'sell, so」の意味は「オーイ、仲間たち!」と言う意味らしいのですが、スラングなのか方言なのか、辞書を引いても出てきませんでした。


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塔から見た、レープジンガー通り。先には聖ゲオルグ教会の塔「ダニエル」が見えています。
なお、レープジンガー通りを歩いている頃から、ポツポツと雨が降ってきました。


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レープジンガー門から、今回も城壁を歩いて回りました。
でも、城壁には屋根が付いているので、雨にぬれずに快適です。


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ダイニンガー門です。
左が市内から、右が市外からの写真です。


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城壁上の歩道。
ローテンブルグのものより綺麗です。
それにしても、城壁はどこも丸く湾曲していると思っていましたが、結構直線部分がありました。


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ライムリンガー門です。南から西にかけての塔は、このように半分に切ったような構造のものが多かったです。


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ライムニンガー門の手前で、城壁が一部低くなっていました。
なぜ?


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ライムリンガー門です。
左が市内で、右が市外の様子。
市外は重厚な作りとなっていますが、市内は塔を切断したようにシンプルです。


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ライムリンガー門の西側には、旧バスタイの城塞が作られ、防御が強化されています。
折角なので外側を回ってみましたが、工事をしており行く道が判りにくく、最初全く関係ない通りに出てしまいました。
家族は、私とは別に城壁を歩いて行っているので、遅れを取り戻すために、この辺りは小走りで回っています(笑)。
なお、この城塞は、今は野外劇場になっているそうです。


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城壁の外は空濠となっています。
折角城壁外に出たので、外からファイル塔も見たかったのですが、樹々に覆われ隙間から少し見える程度でした。


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ファイル塔を過ぎた所で、再び市内に戻りました。
写真中央にファイル塔が見えています。この塔を見るには城壁を歩いた方が良かったようです。
なお、ここから城壁が低くなっています。


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このように壁が低くなっているのですが、特に理由が判りません。(左が市外)
ダニエルから見た写真でも書きましたが、ファイル塔からベルガー門まで守備の塔も無く、守備力が非常に弱いと思うのですが・・・。


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南からも聖ゲオルグ教会が良く見えました。


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少し歩くと、ベルガー門が見えてきました。


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ベルガー門の手前で、再び城壁が低くなりました。
ベルガー門の構えは重厚なのに本当に不思議です。


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ベルガー門です。
ここも市外の構えは重厚ですが、市内の造りはシンプルです。

この門が、家族と合流を約束した場所で、結局少し待たせてしまったようです。
ここからは家族と一緒に歩きました。


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レーベン塔です。


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オーバラー・ヴァッサー塔です。
ファイル塔を過ぎた辺りから雨脚が強くなっていましたが、城壁も屋根の無い所が多く、ここまでに、かなり濡れました。
人間は諦めましたが、カメラを濡らさないように気を使いました。
こんな時は防水機能が欲しいですね。



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塔から見た川、と言うか水路ですね。


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バルディンガー門に帰って来ました。
この時、12時になっていました。
ネルトリンゲンで昼食をとる事にしましたが、既に、駐車時間が過ぎているので、私は一旦車に行き、時計をリセット。
雨の中歩くのも面倒なので、写真右手のレストラン(と思った)に入りました。


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レストランなのですが、ガストホーフ(ドイツのレストラン付き民宿)のロビーに食卓が3つある程度のもの。
客も、なじみ客っぽい人が数人いるのみ。
観光地のレストランを予想して入ったのですが、田舎のドイツレストランでした。
もちろんスタッフ(女将とその母親?)も、ドイツ語のみでした。


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でも、料理は美味しかったです。
私はネルトリンゲンの名前の入ったシチュー(Eintopf)を選択。


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家族も、それぞれドイツ料理(もちろん、それしか無い)を選択。
上は、ミュンヘンで言うイェーガー・シュニッツェルンです。

店に入った瞬間は、その雰囲気から出ようかとも思ったのですが、料理も美味しく、久しぶりにドイツの田舎のレストランの雰囲気を楽しみました。

13時にレストランを出て、ネルトリンゲンを出発しました。
この後はミュンヘンに真っすぐ帰りました。

この日の走行距離:約230km

この旅の総走行距離は、約1100kmでした。



家族とドイツ旅行 三日目 ~ローテンブルグ

10:30にエーベルバッハ修道院を出た後、A3号線-A7号線とアウトバーンを移動し、13:30にローテンブルグに到着しました。
中世の街並みを良く残しているローテンブルグは、ロマンティック街道のハイライトとして昔から有名で、二十年前も多くの日本人が訪れていました。
私と妻も先の駐在に来たことがありますが、今回も妻の希望で訪れました。


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今回も駐車場のあるホテルを選んでいたので、観光前に駐車するためにホテルに行くと、すでにチェックインができました。(駐車場のスペースに限りがあるので早めに到着した方が良いと思います。)
今回泊まったのはHotel-Gasthof Postで、旧市街まで1km弱と便利な場所にあります。


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ホテルから歩くと、旧市街にはレーダー門(Rödertor)から入る事になります。
城壁を守るレーダー塔の外に、更に門が配置されており、堅固な作りとなっています。


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この辺りは城壁も二重化され、外の壁にも守備のための塔が建っていました。


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これがレーダー塔ですが、この塔だけでも立派。


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レーダー門をくぐり真っすぐ歩くと、町の中心であるマルクト広場に向かいます。
正面に見えるのはレーダーアーチとマルクス塔。
最初の市の環状外壁に作られた門で1200頃に建設されました。


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ローテンブルグの大きな特徴は、市外壁(以下城壁と呼びます)が良く残っている事で、町の周囲を高い壁が巡っています。


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ローテンブルグの城壁にはお金を出せばネームプレートを入れられるようで、様々な人がプレートを入れており、日本の企業名や個人名も結構ありました。
その中の一枚がこれ。当時から海外に興味があったので、毎週TVで見ていました。懐かしい。
そういえば、大橋巨泉さんも亡くなってしまいましたね。

ここで事件が発生!
私がこのプレートや、塔の周りの写真を撮っている間に、家族がどこかに行ってしまいました(笑)。
私までウロウロすると収拾がつかないので、その場でしばらく待っていましたが、家族は帰ってきません。
電源を切っているようで、妻の携帯にもつながりません。
正直かなりイライラしながら待っていると、ようやく妻の携帯につながりました。
どうやら、私は後から追ってくると思い、先に城壁を歩いていたそうです。
確かに、ローテンブルグに入る前に、私が城壁を歩きたいと言いましたが、私は家族から却下されると思っていたので、家族が先に行ったとは思いもしませんでした。


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家族に追いつき、そのまま城壁を歩き続け、やぐら門(Galgentor)に到達。


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やぐら門から町の中心を見ると、白い塔(Weisser Turm)が見えます。
この塔も、初期の城壁に作られた塔で、12世紀に建造されました。


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城壁は、やぐら門の先から大きく屈曲して、真っすぐ西に向かいます。


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なお、旧市街の街並みを見ながら城壁を歩くことができるのですが、町の中心にある聖ヤコブ教会は、色々な場所から見る事が出来ました。


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クリンゲン門(Klingentor)に到着。
ここから町は、タウバー川沿いの渓谷に面することになり、そのため城壁も低くなります。
よって、城壁を歩く事が出来るのも、ここまでです。
なお、この塔はかつては貯水塔の機能を持っていたそうです。
雨水を貯めたのでしょうか?


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これがタウバー川に面した部分の城壁です。


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我々は城壁を離れ、クリンガー通りを通って町の中心に向かいました。
正面は聖ヤコブ教会ですが、教会の下を道が抜けている、珍しい構造となっています。


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聖ヤコブ教会。


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教会の横(裏?)の広場を右折すると、町の中心であるマルクト広場に出ました。
ローテンブルグの市役所ですが、新旧二つの建物が隣接しています。
手前の茶色いルネッサンス様式の建物は、1572~1578年の建設で、奥の白いゴシックに建てられたルネッサンス様式の建物は1250年から建てられました。
なお、旧市庁舎にある塔には、一般客も登れるようです。


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市庁舎の横にある市議宴会館(地球の歩き方から)です。
と言われても、ピンときませんが、現地で入手した日本語のガイドマップには、市参事会員酒場と書かれており、要は「市議員専用の酒場」です。これだと判りやすいですね。
でも、議員専用に、こんな立派な酒場を建てれば、今なら大スキャンダルですね。
今は、この建物にツーリストインフォメーションが入っています。


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この日の昼食は黄色い建物のレストランで取りました。
入った時間は15時前だったので昼食と言うより夕食?
時間が遅いので、4人で3食分を注文したのですが、私が注文したイェーガー・シュニッツェルンが二皿出てきました。一応おかしいと言ったのですが、係りの男性は私がツバイ(二つ)と言ったと主張。
言ったはずは無いのですが、4名で4皿は普通なので、大した議論もせずに受け入れました。
料理は美味しかったですが、予想通り満腹になりました。(運転しないのでビールも飲んだので!)


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お腹も膨れたので、行動再開。
妻が教会内部を見学したいとの事で、一旦、聖ヤコブ教会に戻りました。
上の写真は、キルヒ(教会)広場から見た白い塔。

ヤコブ教会の見学には、入場料が必要なので、私は教会の入り口のみで中には入りませんでした。
(家族は見学しました。)


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家族が教会を見学している間、一人で辺りを散策。
写真はクロスター通り沿いの城壁です。


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再び家族と合流後、マルクト広場に戻り、南に歩きます。
写真は西に延びるヘルン通りです。
後で寄るのですが、この通り沿いに、クリスマス用品屋や、テディベアの店があります。


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次に向かったのは中世犯罪博物館。
写真は身持ちの悪い女性を閉じ込めたと言う、鉄の処女。
アイアンメイデンの名前で有名ですが、多くは木製だったとも言われてます。
(写真の物も本体は木製。ボディ部分の表面だけに鉄板が張られています。)
また、改めでWikiで調べると、現存しているものは全て19世紀の製造で、中世時代の文献も無いことから、中世に鉄の処女は存在しなかったとの説も有力との事です。びっくり。

これ以外にも中世に実在したエグい拷問器具が多数陳列されており、見ているだけで痛いです。


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犯罪博物館の見学後は、いよいよ妻の希望のケーテ・ヴォールファールトに向かいました。


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ここは、クリスマスに関する、おもちゃや雑貨が大変多く販売されています。
店内も広く、家族は恐らく一時間は出てこないでしょうから(笑)、例によって私は周囲の散策です。


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マルクト広場の辺りを散策しましたが、それでも時間を持て余し、旧市庁舎の前にあった、リンゴジュースの屋台で、ジュースを一杯飲みました。
予め家で絞ったリンゴジュースをコップに注ぐだけの、素朴なジュースでしたが、甘くて美味しかったです。


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それでも時間を持て余し、ヘルン通りを下って、城塞門(Burgtor)まで行ってみました。


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この門はタウバー川に面した門ですが、この部分は川が湾曲しており、直接谷に面していません。
そのためか、この門はかなりしっかり作られています。
上の写真が塔の外側ですが、攻め手に熱湯や油をかけるための穴が、人の顔になっているのが面白いですね。

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そして、塔の外郭に、更に門が設けられています。
なお、この外側に1142年に城塞が作られましたが(そのため門の名前が城塞門)、1356年の地震で崩壊したそうです。
今は城塞跡が公園となっています。


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門の左手にある防衛のための塔。
でも、攻撃の為の狭間が少ないですね。


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城塞公園からはローテンブルクの南部と、タウバー渓谷の素晴らしい景色を見る事が出来ます。
渓谷に見える教会は、コーボルツェラー教会で1172年から1479年の間に建設されました。
それほど大きな教会に見えませんが、三百年もかけて建設したのですね(改築も含めてでしょうが)。
その横の橋は二重橋と呼ばれ、14世紀に架かったそうです。


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城塞門の南側の門。
特に名前が書かれてなかったけど、この門も含めて城塞門と言うのかな?


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先の門から入った市街地。
この辺りは渓谷の崖が高いので、市内側の城壁は、これほど低いです。


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ヘルン通りに戻ると、かなり時間も経っていたので、流石に家族は二軒あるケーテの土産物屋での物色を終え、テディ―ベアのお店、テディランドに入る所でした。


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欲しいものを買って、幸せな二名。
ここまで彼女らに付き合った息子はどうだったのかな・・・?


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ヘレン通りにいた、無防備に昼寝中の猫。


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折角なので、家族も城塞公園に連れて行きました。


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マルクト広場から見た、レーダーアーチです。
この道を真っすぐ歩くと、レーダー門に至るのですが、まだホテルには帰りません(笑)。


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ローテンブルグの見どころのひとつ、プレーンライン。
ジーパーの塔(左)と木組みの家の織り成す風景が、昔から絵画や写真のモチーフとなっています。
また、ジーパーの塔とコーボルツェラー門(右)が同時に見えるところが、中世の複雑な街並みを象徴しています。
なお、ジーパーの塔は1385年頃の建設、コーボルツェラー門は1360年頃の建設だそうです。
パンフレットの説明では、「コーボルツェラー門は空濠と、かつて4つの門を備えた、町で最も興味深い防御設備」との事。外まで行ってみればよかったな。


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ジーパーの塔の南側の風景です。
こちら側にも、お洒落な木組みの家がありました。


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ジーパーの塔からシュピタール通りを歩くと、町で一番南の門、シュピタール門があります。
シュピタール門は17世紀に、二つの空濠と7つの門を備えた堅固な造りとなり、要塞と言える施設になっています。


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現在は車道となっている、メインの門。


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要塞の横にある、現在の人道となっている脇道と空濠です。


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内部は塁道となっており、大砲の移動、設置に便利になっています。


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堡塁と空濠です。
奥に見えるのが、シュピタールの塔ですが、堡塁は塔から、かなり張り出して作られています。


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帰りは城壁の外を歩きました。
城壁と、シュピタールの塔。


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城壁と防御の塔です。



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プレーンラインに近い所で城壁に通り道が開いていたので、そこから再び市内に入りました。


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家族は下を歩きましたが、私は城壁の上を歩きました。
何とかと煙は高い所を好みます(笑)。


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レーダー塔が近づいてきました。
左下に見える建物は、ゲルラッハ鍛冶屋の家(だと思われる)です。
パンフレットによると「必見の木骨組家屋」だそうですよ。
.
昼食を取った時間が遅く、かつボリュームもあったので、夕食は観光途中で買ったローテンベルグ名物のスウィーツ、シュネーバルをホテルの部屋で食べました。なお、ホテル手前にスーパーEDEKAがあったので飲み物はそこで購入。ローテンブルグの市街に近く、帰り道にスーパーもあるので、ロケーションの良いホテルでした。


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今回も、家族皆が一緒に泊まれる部屋を予約しましたが、今回も屋根裏部屋でした。
でも、二部屋が使えて、部屋もベッドも広さは十分でした。
地理的な便利さと無料駐車場がある事で選びましたが、結果良いホテルでした。

本日の走行距離:約250km


四日目に続きます。



家族とドイツ旅行 二&三日目 ~リューデスハイム

ホテルにチェックインした後、リューデスハイムの町の見学に行きました。


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ホテルの前のライン通りです。
奥にあるのは、アドラーの塔。


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ホテルの横のマルクト通りです。


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ここでも、家族がマルクト通りの土産屋を物色している間、私は周囲の観光をしました。
マルクト通りを歩くと、町の中心であるマルクト広場に出ます。


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マルクト広場にある聖ヤコブス教会です。


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その横にある市庁舎です。

この後、家族と合流し、マルクト通りからオーバー通りを歩きました。


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オーバー通りにある、ニーダーバルトに向かうケーブルカー乗り場です。


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マルクト通りもですが、オーバー通りにも多くの店やレストランが並び、人通りが多いです。


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これがリューデスハイムで有名なつぐみ通りです。
この通りは、ワイン酒屋と土産屋が並んでします。


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私は、ストロベリーのワインを飲みました。
少し疲れていた事もあり、冷たく甘いワインが美味しかったです。


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ライン通りにある、つぐみ通りの看板の前で記念撮影。


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ワイン醸造所、カールユングです。
屋敷の周りはブドウ畑に囲まれています。


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ライン通り沿いにある、ブレムザー城です。
中はワイン博物館になっていますが、すでに閉館していました。


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カールユングの横にある二―ダー通りが、オーバー通りにぶつかる所にあった館。


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オーバー通りにある、ブレムザー館。
中は自動演奏楽器の博物館で、館の写真を撮っていると、ちょうど窓に飾られた鐘が音楽を奏で出しました。


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この日の夕食はオーバー通りにある、ヴィンツァーケラー(Winzerkeller)で取りました。
折角リューデスハイムのケラーに入ったので、ハウスワインを注文。
美味!


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家族はドイツ飯を堪能後にアイスも注文。
アイスに乗った傘がおしゃれです。

夕食後は、ホテルに戻って就寝しました。


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次の日の朝です。
朝食を食べるためにレストランに行く前に、ホテルの前で写真を撮りました。
ライン通りの先に、ブレムザー城が少し見えています。


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ホテルの前には、ライン川遊覧の船が停まっていました。
(ホテルの部屋からの写真)


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ホテルをチェックアウト後、車でニーダーバルトの展望台に行きました。
ドイツ統一を記念して、1883年に建てられたゲルマニアの女神像が、ここからライン川を見下ろしています。


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展望台から見た、ビンゲンの町方面の景色。
手前の斜面には、ブドウ畑が広がっています。
ここから、昨日見損ねたネズミの塔が見える事も期待しましたが、残念ながら右手の丘に阻まれて見えませんでした。


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展望台から見た、リューデスハイムの町です。


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ゲルマニア像の下には、ラベンダー(手前)とエリカ(奥)が綺麗に咲いていました。

二―ダバルトの展望台を9:30に出発。


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次の目的地に向かう途中、エーベルバッハ修道院に立ち寄りました。
1136年に創立された修道院で、ショーンコネリーの映画「薔薇の名前」が撮影されたことでも有名です。
と言っても、妻に聞くまでこの映画の事も知りませんでしたが・・・

修道院の内部も見学できますが、入場料が6ユーロ/人と高く、時間も余り無いことから見学はパスしました。
なお、現在はヘッセン州のワイン販売所となっており、土産に、ここでワインを買いました。

修道院を10:30に出発し、次の目的地へ。

続く


家族とドイツ旅行 二日目 ~ライン川ドライブ

旅の二日目はライン川沿いのドライブです。
ご存知のようにライン川沿いは古城が多く、城好きの私には楽しいドライブでした。


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コブレンツを出て最初にあるのはストルツェンフェルス城。
この城は13世紀に建てられた城の基礎の上に建つ、イギリス風ロマン様式のお城です。


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写真を撮るだけのつもりでしたが、車を停めたついでに、見学することにしました。
でも、山の上まで車では行けないので、歩いていく必要があります。
山は、それほど高く無いのですが、城までのルートが曲がりくねって、少し時間がかかりました。


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途中にある、登城ルートを守る門です。
この建物だけでも、立派です。
上の写真は、城からの下りに撮りました。


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これが城の主要部分で、写真の左部分に城門があります。
城内に入り(有料)、内庭やチャペルを見学しましたが、建物の中はツアーでの見学となり、時間がかかりそうだったのでパスしました。
しかしネット情報では、綺麗な内装や高価なアンティーク等、建物内部も見る価値があるようです。


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次はBreyの町の対岸にある、マルクスブルク城です。
ライン川沿いでは貴重な、破壊を免れ、中世の姿を完全に残しているそうです。
これはBreyの町の先にあったバス停に車を停めて撮影しましたが、日本でなら見栄えの良い所に駐車場があるのですが、ドイツではそんな配慮は無いですね。


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別の角度から見たマルクスブルク城です。
Breyの町を過ぎた所(キャンピングカーの駐車場への入り口)で、対向車線側に駐車できそうな場所を見つけたのですが、気付いたのは通り過ぎた後だったので、上のバス停まで走った後にUターンして戻って撮影しました。
しかし、苦労した割には逆光で綺麗な写真は撮れませんでした。


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ボッパルトの町で少し休憩です。
本当は停まる予定は無かったのですが、私の勘違いで妻が立ち寄りを希望している町と思い駐車しました。
逆に妻は、私が立ち寄りたいと思って駐車したのだと考えたそうです。
間違いで停まった町ですが、中々雰囲気の良い町でした。


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ライン川沿いの景色も良いですが、この門を抜けた先の旧市街側も良かったです。


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木組みの建物が美しいです。
ドイツ北部の木組みとは色遣いが違いますね。


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マルクト広場の風景です。
家族は、ここで土産物屋を物色し始めたので、その間、私は周囲を見学しました。


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マルクト広場にある聖セべルス教会。


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教会の内部ですが、アーチの縁の模様が珍しいです。


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ツーリストインフォメーションの入った建物です。
この裏に無料の公衆トイレがありました。

家族が、お土産を買うのを待ち、ボッパルトの町を出発しました。
この時点で、すでに12時前。
短い距離しか走っていませんが、見学が多いと時間がたってしまいます。


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中央にあるのがシュテーレンベルグ城(Burg Sterrenberg)で、その右手にあるのが、リーベンシュタイン城(Burg Liebenstein)です。
これほど隣接した城も珍しいです。
建てられた時期が異なるのかもしれませんが、同じ時期にあれば、いつも喧嘩してそうですね。
なお、リーベンシュタイン城はホテルになっているようです。


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ネズミ城(トゥルンベルク城)です。
14世紀にトリアの大司教によって建てられたそうですが、14世紀末に、少し下流にノイカッツェネルンボーゲン城(略してカッツ城、ネコ城)が建てられたので、それと対比してネズミ城のニックネームが付いたそうです。


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次に行ったのはラインフェルス城です。
1245年にカッツェネルンボーゲン家(ネコ城も作った家)のディーター5世によって建造されたお城ですが、難攻不落を誇り18世紀末のフランス革命軍に破壊されるまで拡張を続け、ライン川中流域では最大規模の城(と言うより要塞)となっています。

基本的には廃城ですが、この橋を渡った広場の建物が再建されホテルとなっています。


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ここが城郭への入り口で、ここから有料です。


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前の写真の塔の上から見た城郭部分。
城壁が幾層にも重なり、堅固な城郭となっています。


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塔の上から撮ったライン上流側の景色です。
ザンクトゴアールの町(右手前)とネコ城(中央)が見渡せます。
また写真右の丘の裏にローレライがあります。


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下流側の景色です。
左手のライン川が見えなくなる辺りに、ネズミ城が見えます。


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本丸(?)部分の広場には囚人を拘束する枷があったので、捕まってみました(笑)。


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城のトイレ。
水を流すレバーが機械式のレバーで面白かったのですが、戻る時に大きな音がするのでちょっと驚きました。


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手洗いをするにも自分でポンプを押す必要があります。


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ラインフェルス城を出るとすぐにローレライの岩があります。
かつての船の難所で、水の妖精が美しい歌声で船員を惑わすとの言い伝えがあります。
有名な場所ですが、はっきり言って130mの岩山があるだけ。
でも、この上からのライン川の景色は美しいそうです。


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ラインフェルト城でゆっくりした事もあり、ローレライに着いた時は、14時になっていたので、ここで遅い昼食をとりました。


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このレストランはテラスがあり、テラスからはローレライとライン川の景色を楽しみながら食事ができます。
上の写真の中央にはネコ城が見えます。


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ライン川沿いには自転車道も整備されており、自転車で走っている人も多かったです。
景色の良い所が連続するので、駐車場所に困る車より、自転車の方が観光しやすいと思います。


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オーバーベーゼルの町にある、オクセンの塔(Ochsenturm)(左)と、カッツェンの塔(Katzenturm)(右)です。
カッツェンの塔の上に見えるのは、今はホテルになっている、シェーンブルグ城です。


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ライン川の中州に1327年に作られた、プファルツ城。
おとぎの国の城のように可愛い城ですが、川の中央で通行税をビシビシ徴収したのでしょうね。


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対岸のカウプの町と、その背後にはグーテンフェルス城があります。


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バッハラッハの町の裏にある、シュタールエック城です。
地球の歩き方にシュターレック城とあったので、旅の間は勝手にスター・トレック城と呼んでいました。
(覚えやすいので)


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現在はユースホステルになっていますが、一般の人も中庭までは入る事ができました。
(無料)


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城内の丸い塔。


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城からの見える景色で、下に広がるのは、バッハラッハの町です。


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城を降りて町を見学しました。
実は妻が来たいと言った町は、ボッパルトではなく、このバッハラッハでした。
(私が勘違い。)

町の上にはシュタールエック城が見えます。


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ここは木組みの家の並ぶ可愛い感じの町です。


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木組みの立派なホテル(Altkölnischer Hof)と、奥にあるのは聖ペーター教会です。
教会の壁もレンガのオレンジで縁取りされ、木組みの家と調和しています。


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聖ペーター教会から西に延びるブリューヒャー通りです。
シュタールエック城に車で行くには、この道を上って行きます。
(歩行者の道は別にあります。)


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マルクト通りとマルクト塔。


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町の上には廃墟となったWernerkapelleがあります。


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バッハラッハの市庁舎。


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この町には、鉄道沿いにあったと思われる城壁を守る塔がいくつか残っています。
左はマルクト塔で、右がミュンツ塔。


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そして上の写真の右にあるのがクラーネン塔です。
(この右側にマルクト塔があります)


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観光を終え、川沿いの駐車場に戻ると、目の前を観光船ボッパルト号が通り過ぎていきました。

この後、ビンゲンの町までゾーネック城、ライヘンシュタイン城、ラインシュタイン城と城が続きますが、車窓からの見学のみで写真は撮っていません。
(途中、工事で渋滞したので、ホテルへの到着時間が気になっていました。)

また、ベルゲンの町のそばにあるネズミの塔も有名ですが、これも気づかずに通り過ぎました。
(車道からは見えないのだと思います。)


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今回の宿はリューデスハイムに取っているので、ベルゲンからはフェリーで対岸に渡りました。
この時点で18時になっています。


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フェリーから見たニーダーバルトの展望台。
その下にはワイン用のブドウ畑が広がっています。


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リューデスハイムのこの日の宿、パークホテル・リューデスハイムです。
リューデスハイムの町中にありますが、無料の駐車場も着いており便利なホテルでした。
なお、駐車場はカフェ右手の路地から入りますが、ちょっと判りにくかったし、駐車場も狭いです。
町中なので仕方ありませんが。


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この日は、家族4人が一緒に寝る事が出来る部屋を選びましたが、屋根裏でした。
でも、広さは十分です。


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部屋から見たライン川と、対岸の聖ロッフス教会です。
この後、リューデスハイムの町の見学をしたのですが、それはまた次回。


この日の走行距離:約80km


家族とドイツ旅行 一日目 ~コブレンツ

ミュンヘンに遊びに来た家族を、仕事のために三日ほど放置した後、8月6日(土)から旅行に行きました。
旅行の第一弾はドイツ旅行で、まずはコブレンツに向かいました。


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7時前に自宅を出て、アウトバーンのA9号線からA3号線と走り、ビュルツブルグのサービスエリア(Würzburg Nord)で一休み。
ここは、以前仕事で走った時に立ち寄ったことがあり、ビュルツブルグの町を見渡すことができるので、家族が来たら寄るつもりでした。


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これがその景色。
中央にビュルツブルグの町、左奥にはマリエンベルグ城も見えています。

このサービスエリアで朝食をとり、9時過ぎに出発。
その後もA3を順調に走り、11時半にコブレンツ着。


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でも最初に向かったのは、コブレンツの町ではなく、Die Wehrtechnische Studiensammlung。
(住所:Mayener Straße 85-87, 56070 Koblenz)
直訳すると軍事技術的学習博物館。
要はドイツ連邦軍の軍事博物館です。
息子がオンラインゲームから、戦車に興味を持っており(父に似た!)、今回是非戦車を見たいとの事で、流石にムンスターの戦車博物館は遠いので、ここに来ました。

連邦軍の施設のため入場料は2ユーロ/人と良心的です。
一方で、入場前にパスポートの確認がありました。


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学習のための博物館と言うだけあり、ひたすら戦車が並んでいたムンスターとは異なり、兵器の技術や歴史が判る展示内容となっています。
上は戦車のカットモデルですが、真っ二つで中の構造が良く判ります。(反対側ももちろん展示されています。)
この他にもT55のスケルトンモデルなどもありました。


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そして量産車両より、試作戦車などが多く、上の写真はレオパルド2の試作品です。
量産型より少しこじんまりしています。

ネット情報から、ここにはパンターや三突があると期待して来ました。
特にパンターはムンスターでも見る事が出来なかったので、期待しましたが、展示されていませんでした。
パンフレットにも載っていませんし、帰る時に受付のおじさんにも聞いてみましたが「無い」との事。
(英語が通じなかったので、質問の意味がきちんと通じたかは不明です。)


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第二次世界大戦時の車両として、最初にあったのはルノーFT-17(この戦車は第一次世界大戦と言うべきか)。
ここではドイツの軽戦車M17FTとして展示されていました。
フランス戦での鹵獲戦車でしょうか?


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ドイツ軍の装甲車、SdKfz231です。
ドイツ軍らいしい凝った作りの車両ですが、今回この車両を見れたのは嬉しかったです。


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8tハーフトラックに20mm対空砲を乗せた、対空車両です。
パンターや三突と言ったメジャー(?)な車両が無くなり、ニッチな車両のみ残っています。
それにしても、パンターや三突はどこに行ったのでしょうか?

この横には米製の対空車両、M16A1がありました。
戦後に配備していたようです。


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ここはドイツ連邦軍の博物館なので、陸軍だけなく、空軍・海軍関係の展示もあります。
今回、一番の収穫は、このハインドを見れたことかもしれません。
東ドイツの装備が、ドイツ統一で西ドイツの連邦軍に編入されたのですね。
それにしても、巨大なヘリコプターでした。


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他にも大砲、銃器の他、地雷や無線機等、あらゆる連邦軍の装備品(それ以前の歴史的品も含めて)が展示されていました。
上の写真は対戦車ライフルと、対戦車ロケットの展示コーナーです。

ムンスターのイメージがあったので、この日はこの博物館だけで終わるかと思っていましたが、2時間で見学が終了しました。(息子は兎も角、妻と娘がそれ以上は待てないでしょうね。。。笑)

このため、午後からはコブレンツの市中に移動し、市内観光をしました。
市内に入ると、駐車場のサインが多数出ていたので、Zentrumの看板を目指し、市役所そばの駐車場に車を停めました。


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駐車場を出ても、土地勘が無いので適当に歩いていると、聖母教会(Liebfrauenkirche)に出ました。


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その横にあった建物。
何の建物かは知りませんが、雰囲気が良かったので写真を撮りました。


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そこから、コブレンツの名所、ドイチェス・エックに移動しました。
ここはモーゼル川とライン川が合流する所で、三角形の土地に、ドイツ皇帝ヴィルヘルム一世の像が建っています。
なお、この日の昼食は、ここに来る途中、銅像の右後ろ側の林の中にあった、ビア・ガーデンで食べました。


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像の台座に上ると、川の合流地点が良く見えます。
右がライン川で、左がモーゼル川です。
なお、手前には新婚さんが記念撮影をしています。


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また、ライン川対岸にあるエーレンブライトシュタイン城砦も良く見えます。


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ドイチェス・エックの横にある、ドイツ騎士団の家。
今はルードヴィッヒ博物館になっていましたが、どのルードヴィッヒなのでしょうか?


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その横にある聖カスト―教会。
手前のアウディ―はドアミラーにリボンがかけられていたので、ドイチェスエックで、写真撮影をしていた新婚さんのものと思われます。


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教会にあった花。
花びらの薄い紫色が綺麗でした。


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なお、コブレンツはローマ時代の町が起源となっているようで、ローマ前期には、この教会の辺りにローマ軍団の駐屯地があったようです。
また、聖母教会のある辺りは、ローマ後期に城壁に囲まれた町があったとの事。


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教会の横から、エーレンブライトシュタイン城砦に上るケーブルカーが出ているので、乗りました。
途中ドイチェスエックとコブレンツの町が良く見えます。
なお、チケットはケーブルカーのみと、城砦の博物館との共通チケットがありましたが、博物館に興味が無かったのでケーブルカーのチケットのみを購入しました。


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しかし、博物館と思った共通券は、城砦(城砦そのものが博物館)に入るためのチケットでした。
城砦には入って見たかったのですが、城砦単独のチケットは高かったので(時間も無かったし)あきらめました。
後で、地球の歩き方を読み直すと、しっかり城砦とケーブルの共通チケットがあると書かれていました(泣)。

ケーブルカーを降りた所からはコブレンツの町が見えませんので、城砦に興味は無くても共通チケットで中に入った方が良いと思います。

少し北側に展望台(無料)があったので、我々はそこから見学しました。


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ここが展望台。


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そこから見たコブレンツの街並み。


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そしてライン川の下流方向の景色です。

この後、コブレンツに戻り、駐車場に戻りましたが、折角なので少し南側を回って帰りました。


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コブレンツの南側には選帝侯の城があるのですが、最初この建物が城だと思って向かいました。
でも着いて看板を見ると、昔の政府の建物との事。
プロシア時代の政庁舎のようです。


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次に城と思って向かったのがこの建物ですが、この建物も違いました。
結局選帝侯の城はこの後ろにあったのですが、家族も疲れているようなので、行くのは諦めて駐車場に向かいました。


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駐車場に向かう途中、偶然(半分狙って)市役所の横を通りました。
この右手に少年が水を吹く噴水がありましたが、後で地球の歩き方を読むと、コブレンツでのドイチェス・エックに次ぐ名所、シェンゲルの泉でした。

コブレンツの見学は次の日のつもりだったので、この日は勉強不足が続きました(笑)。


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この日の宿は、コブレンツの北側にある、ibis budget Koblenz Nordホテルで、17:30にチェックインしました。
このホテルは価格が安かったので少し心配しましたが、部屋は少し狭いものの調度も新しく良かったです。
ネットで部屋の写真を見るとシングルベットの二段ベットに見えましたが、ダブルベット+シングルベット(二階)で三名寝る事ができる部屋でした。

ただし、ホテルにレストランは無く、近所にもファーストフード位しかなさそうなので、泊まる場合は夕食を済ませて来た方が良いと思います。

ホテルで1時間ほど休んだ後、我々は夕食を食べにコブレンツ市内に戻りました。
私は駐車が面倒なので市内までは行きたくなかったのですが、珍しく妻が町に戻ることを主張。
その理由は後程。

今回は町の様子が判っていたので、ドイチェスエックに近い、旧市街の駐車場の看板を目指しましたが、ドイチェスエックの辺りが非常に判りにくく、付近を何周かした後、Historiensäuleの噴水のあるJosef-Görres-Platzにある地下駐車場に停めました。
でもこの駐車場は、市役所、ドイチェスエック、そして選帝侯の城というコブレンツの観光名所へ、ほぼ等距離で行くことができるので観光に便利だと思います。(駐車場入り口への道が狭く、少し判り難いです。)


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妻の見たいあるものを探して、ドイチェスエックの周りをウロウロしています。

エーレンブライトシュタイン城砦が西日を浴びて綺麗でした。
駐車場探しには苦労しましたが、また来て良かったです。
なお、この時の時刻は18:45。


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ドイツ騎士団の家と聖カスト―教会です。
今回の目的の物は、この広場の奥(写真右側)で発見しました。


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それが、このベルリンの壁!
ドイツ統一を記念して、この地に移設されたそうです。
先の駐在時も既にベルリンの壁が崩壊した後でしたが、妻とベルリンを訪問した時はまだ、東ドイツの雰囲気が色濃く残った時期でした。
妻にしてみれば、特別な思いがあったのでしょう。
ただのコンクリートの壁ですがね(笑)。


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日の陰ったコブレンツの街並みです。
この時19:00になっていました。
良い時間となったので、レストランの並ぶライン川沿いに回り、ライン通りにあったイタリアンレストランで食事をとり、ホテルに戻りました。

この日の走行距離: 約540km

ドイツ旅行二日目に続きます。



戦車と世界遺産の旅 四日目 ~ ヴィルヘルムスヘーエ/カッセル

トレンデルブルグを出発し、次に向かったのはカッセルです。
と言っても、カッセルの街に行ったのではなく、郊外にあるヴィルヘルムスヘーエに行きました。

ヴィルヘルムスヘーエは、カッセル西方にある丘陵全体を公園化しており、総面積240ヘクタールという、ヨーロッパ最大規模の公園で、世界遺産に認定されています。

なお、ウェッブで調べていると、「ヴィルヘルムスヘーエ公園 は、次のスポットと共にユネスコ・ルート „地下資源と建築“ を構成しています」との説明がありました。
その世界遺産スポットは、以下の所で、赤字は今回の旅で回った所です。
無計画に旅した割には結構回りました(笑)。

アールフェルトのファグス工場 » ヒルデスハイムの大聖堂と聖ミヒャエリス教会 » ランメルスベルク鉱山とゴスラーの歴史地区、オーバーハルツ水利管理システム » クヴェートリンブルクの司教座教会と城、旧市街 » コルヴァイのカロリング朝ヴェストヴェルクとキウィタス » ヴィルヘルムスヘーエ公園 » メッセル・ピット化石地域


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トレンデルブルグから約40km一般道を走り、10時前に公園に着いたのですが、何しろ公園が広すぎで駐車場が良く分からず、車で丘を一往復しました。(何か所かあったので何処に停めるのが良いか判らずウロウロしました。)
最終的に、ふもとにある見学者センター(Besucherzentrum)の少し上にあった駐車場に車を停めました。
上の建物が、見学者センターで、カッセル市街からの電車の駅になっています。

麓に車を停めたという事は、頂上まで歩いて登る必要があります。
(駐車場からヘラクレスの銅像までシャトルバスが出ており、バス代も駐車料金に含まれているとの事でしたが、次は一時間後との事で歩きました。)

10時に駐車場を出発。


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10分ほど歩くと、この公園の中心地、ヴィルヘルムスヘーエ城(Schloss Wilhelmshoehe)が見えてきました。


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更に5分、急坂を上って、ヴィルヘルムスヘーエ城に到着しました。


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そこから見たカッセルの街です。
と言っても、ここからは、まだ街はそれほど見えませんね。


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これが城の表側。
でも、中には入らず、更に上を目指します。


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ヴィルヘルムスヘーエ城から見た、ヘラクレス像(頂上)です。
まだ、先は長い!


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なお、ここからは、レーベンブルグも見えていました。


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城からヘラクレスの銅像までは、北側、南側の両方から登れますが、私はこの景色が見えたので北側から上りました。
ここの名前はフォンテイネンタイヒです。直訳すると、噴水の池。
でも、ここで噴水が見えるのは、限られた時だけです(後で説明します)。


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こちらはフォンテイネンタイヒの上にある、アクアダクト。
直訳すると水道ですが、ローマの水道橋を模して作った造形物です。
崩れた様子も、懐古趣味であらかじめ作られたもの。
王の趣味で作られたテーマパークですね。

この時点で10:30。
駐車場から30分かかっています。


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上の構造は、まさに水道橋でした。


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水道橋に続く水路ですが、水は水路の下を流れており、水路は渇いていました。


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悪魔の橋と言う意味の、トイフェルスブルッケそばの景色。
私はこの石造りの構造物が、悪魔の橋と思っていましたが、ウェッブで調べると、この時渡った金属製の橋が悪魔の橋だったようです。(写真を撮り忘れた)


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そこから見た、ヴィルヘルムスヘーエ城とカッセルの街。
かなり上ってきました。


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ネプチューンベッケン(池)にたどり着きました。
ここから、カスカーデンと呼ばれる階段状の滝の横を上って、ヘラクレスの像まで登ります。
この時点で10時50分でした。


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ここはかなり広い広場となっており、多くの人が、のんびり景色を見ていましたが、私は写真を撮ったら、そのまま上に。


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ヘラクレスの銅像とその台座。
この日は、250mmまでの望遠レンズ持ってきていたので、使ってみました。


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ヘラクレスの像の拡大です。
天気が良いので、Wズームキットの望遠レンズでも、解像度良く写っています。


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カスカーデンを流れる水。
横の階段が結構急なので、横を流れる水で涼をとりながらのんびり上るのが良いと思います。
私は、写真を撮る時以外は、結構早足で登りましたが。


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頂上手前の広場に到着。


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広場から見たカスカーデンです。
障害物なく、正面からカスカーデンを撮影するポイントはここが最後


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ついに頂上に到着しました。
駐車場から、ちょうど1時間で来ました。


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ここまで来て、工事中のフェンスの写真から、この公園では定期的に水を放流している事を知りました。
「水の芸術」との名前と呼ばれ、結構有名なようで、地球の歩き方にも詳しく書かれていましたが、よく読んでいなかった(苦笑)。
「水の芸術」は、5月1日から10月3日までの、毎週水曜と日曜日および祭日の14:30から行われています。

14:30に、このヘラクレスの銅像の下から放流が始まり、カスカーデンを下った水は、
15:05 シュタインホーファー滝
15:20 悪魔の橋
15:30 水道橋
15:45 噴水の池
と、各所に流れる時間が決まっているようです。
それにしても、私は、ここまで何の予備知識も無いまま上がってきましたが、偶然このイベントのコースを歩いたようです。
この日は日曜だったので、14:30まで待てば見る事が出来ましたが、ミュンヘンに帰りつくのが遅くなるので、待たずに帰りました。(残ればよかったかな?!)


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なお、上から写真を撮っていると、カスカーデンの上の広場でスポーツウェアを着たグループが運動をしていました。このグループは、カスケーデンの横を、途中途中で色々なトレーニングをしながら上がっていましたが、私が抜かした際は、狭い階段に寝てエクササイズを行っており、非常に邪魔でした(笑)。

10分ほど頂上からの景色を楽しんで、駐車場に戻るために下りましたが、上りとは反対の南側のルートを通ってみました。


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下る途中にあった、シュタインホーファー滝。
これも、当日は、岩のごつごつした風景が珍しく写真を撮っただけでしたが、このブログを書いている時に、シュタインホーファー滝の位置を確認して、この場所が滝だと知りました。
上りもそうですが、運が良いというか、観光要所への鼻が利くと言うか、しっかり「水の芸術」の要所を押さえて歩いていました。

なお、ここは悪魔の橋へ降りるルートから少し外れる(水が来るのも早い)ので、ヘラクレスの銅像で放流を見た後に、この滝を見て悪魔の橋に向かうのは少し難しいかも。


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下りで南側の道を選んだのは、途中にある、このレーベンブルグを見てみたかったから。
この城も、王が懐古趣味で作った城のようで、生活臭が感じられませんでした。
(ディズニーのお城のように感じました。)


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内部の景色です。


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恐らく、戦争や事故で壊れたのではなく、懐古趣味のために、完成当初から壊れていたと思われる塔です。


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レーベンブルグの裏側からは、ヘラクレスの銅像と台座が見えました。


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レーベンブルグからの下りは、車道側(一般車は立ち入り禁止)を歩きましたが、ここにも懐古趣味のモニュメントがありました。ローマの遺跡をイメージしたもののようです。


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道沿いには昔のローマの城壁跡(笑)もありました。


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Lac(Schlossteich)まで下ってきました。
の池は、上りの時も通ったのですが(上から二番目の写真の辺り)、下りは東の端まで回り込む必要がありました。駐車場に行くには少し遠回りですが、ここからは、ヴィルヘルムスヘーエ城が良く見えました。


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公園の東の端から見たヴィルヘルムスヘーエ城とヘラクレス像。


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ようやく見学者センターに戻ってきました。
この時12:15となっており、駐車場を出て2時間以上の散策となりました。
この後はミュンヘンに帰るのみ。

ヴィルヘルムスヘーエからはカッセルの町中を走らずに高速に乗れるはずですが、BMWのナビはしっかりカッセル市街も観光させて(走り抜けただけですが)くれました。
どうも、このナビの誘導には信頼がおけない気がします・・・。

この日も昼食抜きで車を走らせ、5時少し前にミュンヘンに付きました。
ヴィルヘルムスヘーエからミュンヘンまでは約480キロ.
途中ニュールンベルグの周辺で、少し渋滞した事を考えると、結構良いペースで走りました。

なお、日は十分高いので、長距離ドライブをして汚れた車を洗車してアパートに帰りました。

今回4日間の総走行距離は約1900キロ。
慣らし運転も終了です。


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