2023年8月6日に筑前大島(以下は大島と呼びます)に行ってきました。
6時前に家を出た後、まずは波津海岸に出て、いつものトイレ前で記念撮影。
波津から玄界灘沿いを走って大島に渡る神湊港を目指しました。
出港まで時間があるので、ゆっくりと走りましたが、7時前に神湊港に到着しました。
少し早すぎ、まだターミナルも開いていませんでした。
7時にターミナルが開き、7:10にフェリー「おおしま」が入港してきました。
フェリーは定刻の7:40に出港しました。
いつもながら船旅って旅情をかき立てられます。
30分弱の船旅で、8時過ぎに大島港に入港しました。
まずは、港のそばにある宗像大社の中津宮に参拝しました。
中津宮から、峠をひとつ超えて、島の西端にある津和瀬に着きました。
津和瀬には、かつてポルトガル人が漂泊したそうです。
前の写真で鳥居が建っていたのは、ここから宗像大社の沖津宮のある沖ノ島が見えるから。
写真では分かりにくいとは思いますが、この日は雲もなく、沖ノ島がよく見えました。
津和瀬を過ぎるとすぐに次の峠が始まります。
峠に上る途中で左折し、しばらく下ると大島灯台があります。
ここからも沖ノ島がよく見えました。
峠に戻る途中に灯台を振り返りました。
写真右側の白い部分は、宗像三女神の長女神である田心姫神が馬に乗って沖ノ島に渡った際に出来た馬の足跡と言われている馬蹄岩です。
灯台から来た道を戻った後、再び峠に向かって坂を上りました。
峠で左折して、更に、しばらく上ると砲台跡に出ます。
観測所から海を見ましたが、草が伸びて視界を邪魔してました。
砲台跡も残っており、終戦間際の昭和20年には15センチ砲が備えられたそうです。
でも太平洋戦争時代だと、露天の砲台では敵の艦砲や航空攻撃ですぐに潰されますね。
砲台への途中にある大島むなかた牧場です。
馬も放牧されており、しばし見学。
峠を挟んで砲台の反対側には、御嶽山展望台があります。
この展望台から、南側は福岡市から鐘崎方面が一望できました。
また、北側には沖ノ島が見えました(写真では分かりにくいですね)。
なお、大島は坂は多いですが傾斜は概ね5~8%で上りやすいのですが、峠から展望台までは15~17%の激坂でした。私がロードバイクで何とか上ったこの坂を、ミニベロのDAHON K3で上ってきた人がいました。すごい。
展望台付近に御嶽神社もあったので参拝。
峠を下ると、宗像大社 沖津宮 遙拝所があります。
沖津宮のある沖ノ島は、神事でないと上陸できず、しかも女人禁制なので、一般の人はここから参拝します。
遙拝所の横の岩瀬の湾は海が非常にきれいでした。
小さい島で時間はたっぷりあるので、島の東端の加代海岸にも立ち寄りました。
お店などは無いですが、その分プライベート感のあるビーチでした。
島の南東にある、かんす海水浴場と夢の小夜島。
島内で一番賑わっている海水浴場で、この日も多くの人が泳いでいました。
ここで、しばらく海水浴客を眺めていましたが、時刻はまだ10:40。
次の船は13:00なので、まだ時間はたっぷりあります。
暇なので島の東半分をもう一度回りました。
写真は遙拝所に向かう途中にある安倍宗任の墓。
安倍氏は平安時代に奥州奥六郡(岩手県内陸部)を基盤とした豪族で、朝廷に対して半独立の勢力を築いていました。永承6年(1051年)に、陸奥守・藤原登任が安倍氏討伐の兵をあげましたが、安倍頼時とその子貞任、宗任は奮戦し朝廷軍を退けました。
藤原登任の後任として陸奥守になった源頼義も苦戦しましたが、康平5年(1062年)に安倍氏を討伐しました(前九年の役)。
役で安倍氏の主だったものは死亡しましたが、宗任は捕縛され、最初は伊予国、のちに筑前国の宗像に流され、この地で亡くなったとされています。
島の東半分を1周して、11:30に港に戻ってきたので、港近くの海宝丸さんで海賊丼を頂きました。
島には食堂が少なく選択肢が無い事もあり、私にしては贅沢な昼食でしたが、その分美味しかったです。
なお、私が入店後すぐに満席となり、食事が出るのも遅かったので、早めの昼食が吉でした。
昼食後は港に移動して、13:00の出港を待ちました。
待つ間、デザートに甘夏アイスを頂きました。
暑い時期には柑橘系のアイスが美味しいですね!
今回の走行ルートです。
走行距離は島の東半分を1周半しても26.5kmでした。
なお、走行距離は短いものの獲得標高は539 mありました。
また、
自宅から神湊港までの往路は20㎞、
神湊港から自宅までの復路は18㎞
を走りmした。
大島は自宅から近く、美しい海や、山からの展望が楽しめ良い所です。
涼しくなったら、また行きたいです。
終わり
6時前に家を出た後、まずは波津海岸に出て、いつものトイレ前で記念撮影。
波津から玄界灘沿いを走って大島に渡る神湊港を目指しました。
出港まで時間があるので、ゆっくりと走りましたが、7時前に神湊港に到着しました。
少し早すぎ、まだターミナルも開いていませんでした。
7時にターミナルが開き、7:10にフェリー「おおしま」が入港してきました。
フェリーは定刻の7:40に出港しました。
いつもながら船旅って旅情をかき立てられます。
30分弱の船旅で、8時過ぎに大島港に入港しました。
まずは、港のそばにある宗像大社の中津宮に参拝しました。
社務所横から石段を降りると、清水が湧き出す「天の真名井」があります。
水はもちろん美味しいですが、時刻が8:30になり気温が上がってきたので、水の冷たさが気持ち良かった!
中津宮から、峠をひとつ超えて、島の西端にある津和瀬に着きました。
津和瀬には、かつてポルトガル人が漂泊したそうです。
前の写真で鳥居が建っていたのは、ここから宗像大社の沖津宮のある沖ノ島が見えるから。
写真では分かりにくいとは思いますが、この日は雲もなく、沖ノ島がよく見えました。
津和瀬を過ぎるとすぐに次の峠が始まります。
峠に上る途中で左折し、しばらく下ると大島灯台があります。
ここからも沖ノ島がよく見えました。
峠に戻る途中に灯台を振り返りました。
写真右側の白い部分は、宗像三女神の長女神である田心姫神が馬に乗って沖ノ島に渡った際に出来た馬の足跡と言われている馬蹄岩です。
灯台から来た道を戻った後、再び峠に向かって坂を上りました。
峠で左折して、更に、しばらく上ると砲台跡に出ます。
この砲台は、昭和11年に完成したといわれています。
写真は観測所の掩体壕です。
写真は観測所の掩体壕です。
観測所から海を見ましたが、草が伸びて視界を邪魔してました。
砲台跡も残っており、終戦間際の昭和20年には15センチ砲が備えられたそうです。
でも太平洋戦争時代だと、露天の砲台では敵の艦砲や航空攻撃ですぐに潰されますね。
砲台への途中にある大島むなかた牧場です。
馬も放牧されており、しばし見学。
峠を挟んで砲台の反対側には、御嶽山展望台があります。
この展望台から、南側は福岡市から鐘崎方面が一望できました。
また、北側には沖ノ島が見えました(写真では分かりにくいですね)。
なお、大島は坂は多いですが傾斜は概ね5~8%で上りやすいのですが、峠から展望台までは15~17%の激坂でした。私がロードバイクで何とか上ったこの坂を、ミニベロのDAHON K3で上ってきた人がいました。すごい。
展望台付近に御嶽神社もあったので参拝。
峠を下ると、宗像大社 沖津宮 遙拝所があります。
沖津宮のある沖ノ島は、神事でないと上陸できず、しかも女人禁制なので、一般の人はここから参拝します。
遙拝所の横の岩瀬の湾は海が非常にきれいでした。
小さい島で時間はたっぷりあるので、島の東端の加代海岸にも立ち寄りました。
お店などは無いですが、その分プライベート感のあるビーチでした。
島の南東にある、かんす海水浴場と夢の小夜島。
島内で一番賑わっている海水浴場で、この日も多くの人が泳いでいました。
ここで、しばらく海水浴客を眺めていましたが、時刻はまだ10:40。
次の船は13:00なので、まだ時間はたっぷりあります。
暇なので島の東半分をもう一度回りました。
写真は遙拝所に向かう途中にある安倍宗任の墓。
安倍氏は平安時代に奥州奥六郡(岩手県内陸部)を基盤とした豪族で、朝廷に対して半独立の勢力を築いていました。永承6年(1051年)に、陸奥守・藤原登任が安倍氏討伐の兵をあげましたが、安倍頼時とその子貞任、宗任は奮戦し朝廷軍を退けました。
藤原登任の後任として陸奥守になった源頼義も苦戦しましたが、康平5年(1062年)に安倍氏を討伐しました(前九年の役)。
役で安倍氏の主だったものは死亡しましたが、宗任は捕縛され、最初は伊予国、のちに筑前国の宗像に流され、この地で亡くなったとされています。
島の東半分を1周して、11:30に港に戻ってきたので、港近くの海宝丸さんで海賊丼を頂きました。
島には食堂が少なく選択肢が無い事もあり、私にしては贅沢な昼食でしたが、その分美味しかったです。
なお、私が入店後すぐに満席となり、食事が出るのも遅かったので、早めの昼食が吉でした。
昼食後は港に移動して、13:00の出港を待ちました。
待つ間、デザートに甘夏アイスを頂きました。
暑い時期には柑橘系のアイスが美味しいですね!
今回の走行ルートです。
走行距離は島の東半分を1周半しても26.5kmでした。
なお、走行距離は短いものの獲得標高は539 mありました。
また、
自宅から神湊港までの往路は20㎞、
神湊港から自宅までの復路は18㎞
を走りmした。
大島は自宅から近く、美しい海や、山からの展望が楽しめ良い所です。
涼しくなったら、また行きたいです。
終わり